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September 2007

2007.09.30

エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜

フランスが生んだ偉大なる歌姫エディット・ピアフの生涯を、マリオン・コティヤール主演、オリヴィエ・ダアン監督により映画化された「エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜」


エディット・ピアフ。1959年、ニューヨーク公演中に倒れてしまう。薄らぐ意識の中で思い出したのは、幼い頃のことだった。
大道芸人でフランス軍に従軍していた父と街頭で歌手をやっていた母と間に生まれたエディットは、父方の祖母の元に預けられる。そこは貧しい娼館だった。あるとき、エディットは4歳のときに目が見えなくなっていた。聖テレーズに祈るエディット。するとある日、目が見えるようになったのだった。
迎えに来た父と共に大道芸の世界に入るエディット。苦し紛れに客間の前で歌わされたことが歌姫誕生の瞬間だった。

「愛の讃歌」っていうと越路吹雪とかを思い出すので、エディット・ピアフ自身についてはあんまり知らないのですが、ははあこういう人だったのかと。

なんといっても主演のマリオン・コティヤールのなりきりぶりにはさすがと思う。
歌をはじめた頃から死までを、最期のころなんて年齢は47歳だというのに、よぼよぼのおばあちゃん状態になっているのを見事に演じてます。
歌のシーンなんて最初シンクロ撮影かと思っていたら、プレイバック(先に録音された音に合わせて演技をする)なんですね。完璧ですよ。本当に歌っているように見えます。

構成としては時制を行ったり来たりするので、エディット・ピアフのことをわかっていれば別ですが、取り巻きの人々がいったい誰なのか、印象的なパトロンや作曲家を除いてはわかりにくいのが難点。そのかわり、マルセル・セルダンとの恋は大きく描かれています。(ここで「愛の讃歌」がでる)
それと引き替えに第二次世界大戦とナチ侵攻によるレジスタンスというのが、すっぱり削られているのが驚き。
これも、時代の中のエディットを描くのではなく、エディットの中にある恋と歌をメインに持ってきたからでしょうか。


ともかく、マリオン・コティヤールの、エディット・ピアフが乗り移ったかのような、演技は一件の価値あり。


観るべし!

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2007.09.26

ファンタスティック・フォー 銀河の危機

科学者で超能力を持った4人のスーパーヒーロー「ファンタスティック・フォー」の第2弾。今回は宿敵シルバーサーファーが登場する「ファンタスティック・フォー 銀河の危機」


ある惑星が破壊され、そこからある物体が次の惑星を目指して飛んでいった。次の目標は地球。各地で異常気象が起きていた。一方、ファンタスティック・フォーのリードとスーの結婚で、世界中がにぎわっていた。セレブ扱いされることにとまどうファンタスティック・フォーの4人。
いざ、結婚式の当日、異常気象を起こした物体が姿を現した。全身銀色の地球外生命体、シルバーサーファーだ。ファンタスティック・フォーシルバーサーファーを倒せるのか?

アメコミ実写映画化の中ではそつなく作られたファンタスティック・フォー。今回も90分というコンパクトな上映時間の中で、シルバーサーファー登場と決闘を見せてくれます。

……うーん、これで良いのか?
可もなく不可もなく、さくさく見られるんですけどね。特に2時間超えが当たり前の時代に、90分というのは潔いですよ。
だけどファンタスティック・フォーに、というか宇宙忍者ゴーレムに思い入れも何もないし、作り手も「これで及第点でしょ」てな作りなので、見ても見なくてもどっちでもいいよ、って感じが濃厚。

シルバーサーファーはCGのときはまあそうかなと思うのですが、いざ人が芝居すると、全身銀色に塗った井手らっきょに見えてしまうところがご愛敬。

こういうアメコミヒーローの映画化には、作り手にわがままとも言える愛が欲しいですねえ。
ギレルモ・デル・トロの「ヘルボーイ」なんか、原作は全く知らないんですけど、作り手の愛は十二分に伝わってきたもんなあ。
ああ、「パンズ・ラビリンス」が楽しみ。

って違う映画をオススメしてどうする。いや、いいのだ。観るべし!

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2007.09.18

ホステル2

イーライ・ロス監督による、人体拷問描写で話題になったスプラッタホラー映画の続編。前作で登場した人体拷問殺人売買組織に、新たな標的にされた少女たちの脱出行を描く「ホステル2」


スロバキアにある恐るべき組織とその施設。そこではさらわれてきた旅行者を、世界中の金持ちが大金で買い、拷問して殺人が出来るというのだ。
今回の犠牲になるのは、女子大生三人組。そして、恐るべき組織の全容も明かされるのだった。

前作の犠牲者が野郎三人組だったのに対し、今回の犠牲者は女子大生(美人とは限らないけど)。そのせいかどうか、全体的にアルジェントに代表されるイタリアンホラーな味わいがそこはかと。多分イーライ・ロス監督は意識してそうしてると思いますが。
ベタな女囚刑務所所長みたいな金髪おばちゃんもいるし。

ただし、「2」になったので血糊も悲鳴も2倍か……というと肩すかしを食らうかも。

今回のキモは、殺人売買組織の全体像を描くことにあり、標的になった犠牲者がどうやって売買され、連れ去られて拷問にかけられていくかを事細かに描いて見せます。
結局、げに恐ろしきは人間の欲望というヤツで。

スプラッタ描写は、前作の直接的即物的な描写より、ちょっと様式的になりましたね。これをアート的に方向転換したと捉えるか、表現の後退ととるかはそれぞれですが。
ああいう描写ってやってもやってもきりがないからねえ。

後半の脱出劇は前作ほどのハラハラ度は薄めです。いや、いざというときは女性の方が強くて積極的(?)ってことですかねえ。
でもクライマックスのやりとりって、OKなのかなあ。反則技のように思うけど。

しかしですよ、この話自体はフィクションなんだけど、スロバキア人は怒らないのか?


昨日、人情喜劇を観てきてですよ、今日は今日とてこんな血も涙もない……いや、血と涙がドバドバ出るスプラッタ観てる自分って。
だから、金で殺人を買うこの登場人物たちを「けしからん」と思いつつ、フィクションという枠の中で「今度はどんな過激な殺人が起きるのか」と心の奥底で期待して観てしまう自分たちの姿そのものだったりするわけですよ。

ということまで狙ってこの映画を作っているとしたら、イーライ・ロス監督って、実はかなりクレバーな人かも。

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2007.09.17

青年劇場「シャッター通り商店街」

久々に芝居を見に行く。
紀伊國屋書店サザンシアターにて、青年劇場第95回公演「シャッター通り商店街」(作:高橋正圀 演出:松波喬介)。

とある地方都市の商店街。人の流れは郊外のショッピングセンターに向かい、かつての商店は次々とシャッターを降ろしている状態。
なんとか残った仲間たちで、もう一度商店街を盛り上げようといろいろなアイデアを出し合っていた。
そこに、喫茶店の次男坊が、インドの放浪の旅から帰って来るという。商店街の皆は、新しい後継者に希望を見いだそうとするが……。

寅さんのいない間の、柴又商店街の奮闘物語、というような感じの喜劇。台本を書いているのが山田洋次監督の弟子で、栗山富夫監督とのコンビで「祝辞」や「釣りバカ日誌」の5,7を書いている人なので、安定感がありますね。
昨今の地方都市の疲弊で、シャッター通り商店街がまだまだ増えつつあるのは、全国を飛び回っている身として実感しますが、そういった劇の端々にある生堅な社会派的主張より、概ね人情喜劇として展開していきます。
基本的に破天荒な人物がいたり、深刻な展開には陥らないのが良いんじゃないでしょうか。
基本的に、ちゃんと希望のもてる終わり方をしているのが好感触。

ほぼ商店街の仲間たちが集う喫茶店のセット一杯で展開しますが、山田洋次譲りのコメディタッチが、凄く懐かしいですね。一昔前なら寅さんの併映作で映画にしていたりしそうです。

商店街を盛り上げるためにタウン誌をみんなで作ろうなんて展開もあり、これが寅さんなら、取材を受けているくるまや一家のところに、ひょっこり寅さんが帰ってきて……、
(と書き始めたら長かったので、本題のあとにオマケでアップしておきます)

なんて寅さんのことを思いながら劇場を出ようとしたら、後ろに見覚えのある白髪の……あ、山田洋次監督だ!
見に来ていらしたんですね。ビックリしました。


9/21まで紀伊國屋書店サザンシアターにて。当日券あるようですよ。
観るべし!

というわけで、
<おまけ贋作:男はつらいよ>

○くるまや店内
緊張気味に取材を受けているくるまやの面々。取材をしているのは若くてなかなかに美人の記者である。
記者「みなさんお揃いですね。誌面に載せる、お店の皆さん一緒の写真を撮りますから」
さくら「はい。お願いします」
おばちゃん「なんだか緊張しちゃうねえ」
おいちゃん「こういうときに、肝心の跡取りがいないんだよなあ」
記者「(博に向かって)あら、若旦那さんではないんですか?」
博「いいえ、私は裏の印刷所で働いていますから」
さくら「本当は私の兄がいるんですが」
おいちゃん「気にしないでください。ぷいっと出て行って、いつ帰ってくるかわかりゃしないヤツです。死んだも同然の男です」
おばちゃん「待ってて来るわけじゃありませんから、もうこれで撮っていただければ」
記者「そうですか。では、はい笑って」
シャッター音。
さくら「(記者に)じゃあ今度は一緒に入って記念写真を」
記者「そうですか。あ、すいません、シャッター押してもらえますか」
と、店の前を通りかかった人物に、カメラを渡そうとする記者。手渡された人間を見て、くるまや一同ビックリ。寅さんだ。
寅「ここを押せばいいのかい?」
記者「はい」
寅「おい? このカメラ、どこをのぞけばいいんだい?」
記者「これ、デジカメですから。モニターに映っているのを見てシャッターを押せば良いんですよ」
寅「なに? オレはカメじゃねえよ、寅だよ、寅次郎っていうんだ」
記者「あら、おじさんのお名前じゃなくて、このカメラがデジタルカメラっていうんですよ」
寅「ははん。なんだかわかりゃしないが、ともかく撮りゃいいんだな」
記者「お願いします」
くるまや一同と一緒に並ぶ記者。寅さんにカメラを向けられてそわそわするくるまや一同。
寅「笑って笑って、はい、バター」
シャッターを押す寅。
記者「ありがとうございます」
寅「いいってことよ」
寅からデジカメを受け取る記者。モニターを確認し、
記者「きちんと写ってます。ほら」
記者、寅さんにデジカメのモニタを見せる。ビックリする寅さん。
寅「へえ、こりゃ今撮ったのをもう見られるのかい。てえしたもんだよ蛙の小便」
記者「はい? 蛙の……?」
寅「ところでお嬢さん、あんた観光かい? 一緒に写るならもっと景気の良いもんと写った方がいいぞ」
記者「いえ、違うんです。このお店の取材で皆さんを撮っていたんです」
寅さん「そうかい。こんなしけたじじいとばばあでやってる店を取材ねえ」
記者「そんなひどい。一生懸命がんばってらっしゃるのに。なんでも跡取りの方は出て行ったきり死んだも同然の方だっていうし」
寅「なに? 誰がそんなことを」
記者「ここの皆さんが。いったいあなたは誰なんですか?」
寅「(一同を見回して)その、死んだも同然の男です」
くるまやの面々、万事休す。


デジカメネタってシリーズが続いていたら、ありそうだったなあ。

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2007.09.16

スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ

三池崇史監督による、平家落人伝説の寒村を舞台に、出演者は日本人だが全編英語を話す、マカロニならぬその名も「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」


源平合戦の数百年後、平家落人伝説に彩られた根畑の湯田村。そこに旅のガンマンが現れた。この村は今、伝説の埋蔵金を巡って、清盛率いる平家と、義経率いる源氏がしのぎを削りながら占拠していた。腕の立つガンマンを用心棒に雇おうとする両陣営だったが、ガンマンは雑貨屋の婆のところに身を寄せる。この戦いの勝者は平家か、源氏か、はたまた……。


実にくだらない設定に、ものすごく本格的なウエスタン(ただしマカロニ)をやってみせるという、破天荒きわまりない映画。イタリア製だとマカロニ・ウエスタンだけど、これは日本製なのでスキヤキ・ウエスタンというわけ。

日本でも西部劇を移植する試みは幾度となく行われ、最良の形が黒澤明の「七人の侍」「用心棒」のような時代劇として結実させたり(これは皆さんご存じの通り「荒野の七人」「荒野の用心棒」になった)しています。
もっとあからさまに西部劇よりの作品としては、日活アクションで「赤い荒野」とか「渡り鳥」シリーズのような形があったり、高倉健さんの「荒野の渡世人」とか。岡本喜八監督の「EAST MEETS WEST」もありました。出張編としては、侍が西部に登場するの三船敏郎の「レッド・サン」があったし、仲代達矢もぬけぬけとマカロニウエスタンの主役をやったりしてますね。

ところがどうやっても、こういうのは映画史としちゃ怪作扱いにしかならない。日本人が基本的にはいない西部開拓史の世界では、どこからどう見ても日本人がガンマンやカウボーイの格好をした時点で失笑してしまうわけで。

ならばというわけで、堂々と、ありもしない西部の街を源平合戦をベースに作り上げ、ガンマン以下ウエスタンの登場人物を日本人俳優に、しかも全員英語で話すという、キッチュなものにさらに二段三段とキッチュな設定を重ね、その重しに、書き割りセットの中で語り部としてクエンティン・タランティーノを登場させるという訳のわからなさで包んでみせる三池崇史。

タランティーノとロバート・ロドリゲスが「グラインドハウス」でやってみせたのと呼応するかのように、この「〜ジャンゴ」で三池崇史が目指したのも、映画に「くだらない猥雑さ」を取り戻させようとしたのでしょう。
かつては、イタリアで西部劇を撮ろうとも、それが面白ければ「マカロニウエスタン」として世界中でヒットしたし、ホラーでもなんでも、ショッキングで面白ければそれもアリだった。
だからこそ、和製西部劇=スキヤキ・ウエスタンでもいいじゃないかと。

俳優陣も、そんな馬鹿な企みに、元気いっぱいで応えてみせる。
しかもみなアクションが決まっているだけに、なかなかのもの。伊勢谷友介の殺陣があれほど美しいとは思わなかったし、卑劣な佐藤浩市というのも久々な気がする。(「新選組!」の芹澤鴨はそれっぽかったけど、いかんせんテレビサイズの演技)
また、桃井かおりが、クライマックスまで主役そこのけの最強ぶり(しかも一番英語が上手い)を見せるので、クライマックスを伊藤英明が見せるところが残っているのかと心配になってしまった。(ちゃんとあります)

ところが。
そのようなキッチュなギミックも観ているうちに慣れてくると、後に残るのは「そこそこに面白い西部劇」になってくるからあら不思議。
考えてみると映画史上、どれだけの数の西部劇が作られてきたか知らないけれど、歴史に名を残すものはそのうちの何パーセントか、ということを考えれば、この「そこそこ楽しいキッチュな和製西部劇」というのは、悪くないのかもしれません。
もっとも、映画史の中に、この映画を組み込んでみせようってんだから、馬鹿なフリしてよくまあぬけぬけと。

客のまばらな薄汚れた映画館で、「グラインドハウス」とあわせて2本立て(いや3本立てか)で観るという環境が、この映画にふさわしいんじゃないでしょうか。


それにしても、最後のサブちゃんの「ジャンゴ」を聴いてると、なんだか「おじゃる丸」の声がしてくるんだよなあ。え、私だけ?
ちなみにこの主題歌、CD屋さんの演歌コーナーに、カセットテープ(!)で売ってました。iPodだのが全盛の21世紀に、恐るべしサブちゃん。

聴くべし!

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2007.09.12

HERO

木村拓哉主演の人気ドラマが6年ぶりに映画となって帰ってきた。ジーンズを着こなす型破りな検事・久利生公平の活躍を描く「HERO」


東京地検城西支部の検事久利生公平。今回手がけた事件は、夜に起きた若者による傷害致死事件。容疑者の青年も取り調べに素直に応じ、簡単に解決するかに思えた。
ところが公判で被告は証言を翻し、全面無罪を主張する。しかも弁護人になったのは、名うての弁護士として知られる蒲生一臣。そしてこの事件の背後には、政界を揺るがす汚職事件にまで発展するのだった。

実は、ドラマ「HERO」は結構好きで観てたんですよ。まさか映画になるとは思いませんでしたけど。

今年は周防正行監督による超傑作裁判映画「それでもボクはやってない」で、あれだけリアルでなおかつ面白いものを見せられてしまった以上、いくらキムタク主演のヒーロー映画といえども、裁判はそれなりに描かないといけないでしょう。
ドラマにはほとんどなかった法廷シーンも、まあ許容範囲内ですかね。(クライマックスの不自然さは後述)

この映画で一番気になったのはそこではなくて、この監督の、ド正面カメラ目線カットの頻発ぶり。しかも切り返しも同じく正面カットという、普通こんな撮り方は、素人くさく見えるのでやらないんですけど。
演出はドラマの時と変わらないんですが、テレビサイズならまだともかく、今回わざわざ映画のためにシネスコにしたので、なおのことカットの不自然さが強調されてしまったと思うのですが。
おまけに移動撮影のタイミングがどういう意図でやっているのかわからない(単に画に変化をつけたいだけのようですが)ので、観ていてものすごく気持ち悪くて。
あとエキストラの芝居の付け方がオーバーアクト。もっと全体の中でなじむようにしないと。開廷中に傍聴席が騒ぎすぎ。

お話はまあ悪くないんですけどね。「キムタクがかっこよく見える」という一点のために、頭で組み立てた感じの展開なので、凄く線が細い。いくらでも「その展開ヘンだよ」と突っ込めるんですが。

今回のライバルは松本幸四郎演じる弁護士蒲生。さすがの貫禄を見せつけますが、肝心要のクライマックスで何の役にも立たないのはいかがなものか。あれこそ「異議あり」でかわせるはずなのに。大物代議士役のタモリだって「どうなってるんだ!」と怒りますよ。

去年にあったスペシャル版ドラマの話がかなり重要なポイントを占めていて、スペシャル版はちゃんと観ていなかった私にはいまいち理解が足りず。それって良いのか悪いのか。


でもまあいいんですよね。そんなことより、メガネの松たか子との恋の行方とか、そういうところがファンにとっては「待ってました」というわけだから。

もちろん、そういう展開も、


あるよ。

今回観ていて気づいたのは、城西支部の受付の警備員、彼こそが「それでもボクはやってない」の、人の良い裁判官だよ!(もちろんもう一人の極悪裁判官が小日向さん)
ちょっとにんまり。

今回は宇多田ヒカルの主題歌はないのね。
あったら「ヱヴァンゲリヲン」と1,2フィニッシュが出来たんじゃないのかな。残念。


そんなわけで、ドラマでファンだった人にとっては、観たいものがちゃんと揃ってると言えます。
あとはどこまで求めるかですが。そこは各自のご判断で。

今年、東宝は「愛の流刑地」「それでもボクはやってない」とこれで3本目の裁判映画。ううむ。

え、どれが一番面白いかって? 訊くまでもないでしょう!

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2007.09.10

ショートバス

「ヘドウィッグ・アンド・アングリー・インチ」のジョン・キャメロン・ミッチェル監督の新作は、ニューヨークに暮らす人々のセックスと愛にまつわる物語「ショートバス」


ニューヨークで暮らす人々。恋愛セラピストでありながら、夫のロブとのセックスでオーガズムを感じたことのないソフィア。パートナーを愛しながらうまくお互いを表現できないジェイムズとジェイミー。孤独な心の女王様のセヴェリン。
そんな彼らが身を寄せるのがサロン“ショートバス”。そこでは様々な性癖を持った人たちが、自らの性を開放する場所だった。

えー、白状しておくと「ヘドウィッグ・アンド・アングリー・インチ」観てません。(汗)

今作、最初から最後までクライマックス……ってこのフレーズ、何回使ってることやら。
それはともかく、赤裸々にセックスがずっと描かれ続けるのですが、本当に描いているのは、都市に住む人々それぞれの「つながりたい」という孤独な心。ヘテロであれゲイであれ、パートナーがいても、いやいるからこそ、孤独な心は渇ききった砂漠の砂のごとく満たされることがない。互いに傷つくのが弱い心を、少しずつ開いていこうとします。

その中心にあるカオスの中心、ショートバスが、なんと心優しくも温かく見えることか。ここでは自分をさらけ出すことにとがめもしないし傷つけることもないのです。
激しいセックスシーンも、見慣れてしまえば、これが“愛”の物語に他ならないことに気づきます。

クライマックスの絶望と対比されるラストの喧噪が、まさに神々しい祝祭に満ちているのです。
ラストシーンは、すさまじいことになりますが。いやあビックリ。ハマちゃんの“合体”でもありゃあかなわないわ。(比較するもんでもないけど)

観るべし!

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2007.09.09

釣りバカ日誌18

長らく松竹の看板シリーズとして続いてきた西田敏行、三国連太郎の「釣りバカ日誌」シリーズ。今回は社長として活躍してきたスーさんがついに会長職に退く、シリーズ20作目の記念作「釣りバカ日誌18」


鈴木建設の社長として、戦後から第一線で働き続けてきたスーさんこと鈴木一之助が、社長を退き、会長職に就任した。その会長就任の挨拶で言葉が出ないスーさんを助けたのが、ハマちゃんこと営業三課の浜崎伝助。
会長になってからしばらくして、スーさんは失踪する。スーさんを探しにハマちゃんも出かけるが、その居場所は、美しい瀬戸内海を望む岡山だった。スーさんはお寺で泊めてもらって親切にしてもらっていたのだ。
美しい浜にリゾート施設の建設が進み、スーさんとハマちゃんは住民たちの反対運動に参加することに。しかしそのリゾート施設の建設は鈴木建設が行っていたのだ。どうするハマちゃんスーさん。

シリーズは「14」から朝原雄三監督が5作連続で撮っているのですが、今回、その朝原釣りバカの最高傑作と言えるのではないでしょうか。

本音を言うと、朝原監督に交代してからの「釣りバカ」は、主演二人の衰えとモチーフの疲弊も重なってあまり好きではありませんでした。「14」は三宅裕司を呼んでサラ専VS釣りバカをやってみせたものの、監督新人賞を獲った「15」も「麦秋」の出来の悪いコピーにしか見えなかったし、その次の「16」は行きすぎたドタバタが見苦しく、「17」はついに観なかったのです。
でも今回はスーさんが会長になるというので、これは観ておかねばと思って。これが大正解!

スーさんの会長就任挨拶という、最初からクライマックスだぜ! で始まりますが、これがシリーズを見続けたことへの感慨深さと大ホールでのスペクタクルもあいまって、かなりの見応えがあります。でも、いきなりこんなおいしいものを持ってきたら、あとどうするの? と思ったらさにあらず。最初から最後までクライマックスだぜ!

実は今作はスーさんが会長職になることで、「釣りバカ日誌」の原点回帰を果たしています。それは何よりもまず「釣りバカ日誌」が“サラリーマン喜劇”であるということなのです。

スーさんが会長になることで、この作品が社長と平社員が、趣味の上では逆転してしまう楽しさを、改めて再確認させたのです。
今回は徹頭徹尾、会社と会社の立場、会社の持つ社会的役割と影響力を、地方でのリゾート開発の中で描き続けます。

リゾート開発を鈴木建設自身がやっているという話は、シリーズ初期の「3」でもありました。でも改めてそれを会長になったスーさんがやることで、スーさんの持つ社会人としての力を示しています。もっとも、とても水戸黄門的ご都合主義な解決方法なのは、監督以下スタッフも承知の上なので、わざわざスーさんに「禁じ手」といわせ、時代劇的に「一件落着」としゃべらせているのです。そうしないとこれ以上描こうとすると、釣りバカ世界を破壊しかねませんから。

物語の中心をスーさんに持ってきたことで、最近は消化不良だったハマちゃんとの丁々発止のやりとりも復活し、奈良岡朋子ついに浜崎家に登場とか、小生意気な鯉太郎の意外な活躍、みち子さんとの合体など、数々のお約束も盛り込んでます。

「武士の一分」に続き、檀れいはマドンナとしてぴったりですね。世間的にはCM以外それほど露出も高くない分、古風で清楚な感じが「釣りバカ」世界の中では映えますね。金麦冷やして待っててくれてるんでしょうか。

しかし、檀れいは宝塚出身だし、相手役の高嶋政伸はもちろん高島忠夫・寿美花代の次男坊、「若大将」シリーズのヒロイン星由里子までも登場となると、最初の富士山がなかったら、ほとんど東宝サラリーマン喜劇。
そうだ谷啓さんもいたな。よくよく考えると、クレージーキャッツの中で残りは、犬塚弘と桜井センリという山田洋次作品の常連三人だけになっちゃったんですね。
谷啓さんも、隠居してたまに会社に遊びに来る佐々木さんとか、そういうことでもいいかもしれないなあ。

いや、それをスタッフはわかってて、なおかつ各シーンも数々の映画的引用を片っ端からやっている。スーさんがいなくなった会長室での役員たちのやりとりは「天国と地獄」、瀬戸内海を望む丘の上の寺での三国連太郎と星由里子のシーンは「東京物語」、小沢昭一登場は「ゴッドファーザー」的こころですねえ。
あと、スタッフは多分客にバレないと思いながらも、寺の集会シーンの黒板に、日本映画の名キャメラマンの名前が書き連ねてあったり。観ててニヤニヤ。

そして最後にもう一度、最初のクライマックスをひっくり返して笑わせてくれます。素晴らしい!
ここまできれいに落としてみせたのはシリーズでもそうそうなかったのではないかな。


いうなればこれは釣りバカ版「007/カジノ・ロワイヤル」とも言えるでしょう。シリーズの原点に戻った楽しさに満ちています。


観るべし!

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ラッシュアワー3

ジャッキー・チェン、クリス・タッカーのコンビ、ブレット・ラトナー監督のバディアクション映画の第3作。今回はパリを舞台に、真田広之、工藤夕貴ら日本人俳優も登場する「ラッシュアワー3」


中国のハン大使は、中国マフィアの“シャンシェイ”の謎を明るみに出そうとしたが、それゆえに狙撃されてしまう。ハン大使の護衛をしていたリー警部は、またまたあの黒人刑事カーターと、犯人を捕らえようとするが、その前に立ちはだかったのは、リーの義兄弟として一緒に暮らしたケンジだった。

まあ3作目ともなるとこんなもんかいなと思うだけですが、さすがにジャッキーも50代。いくらなんでも衰えは隠せません。
でもハリウッドではどうしてもアクションを割ってしまうのよねえ。だからダメだって。

ジャッキーのアクションとアステアのダンスはカット割っちゃダメ! ロングショットでゆったり1カットで撮らないと、そのすばらしさは伝わらないんだって!
近作「香港国際警察」など香港映画だと、監督が誰であれジャッキーが自分でコントロールするから、その原則が守られるんですけどね。

真田広之との念願のアクション共演はうれしかったけど、「シャンハイ・ナイト」でのジャッキーVSドニー・イェンと同じく、「観られてうれしいけれどこれでいいのか」感がたっぷりと。
それに無理して日本語しゃべらなくても。>ジャッキー


DVDで「酔拳」日本語吹き替えあり版が出たので、そっちを買って観ようかなあ。

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エヴァ大ヒット中!

都内最大級の劇場、新宿ミラノ1で9/1〜7の1週間限定で拡大公開だった「ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序」が、そのまま新宿ミラノ1で公開され続けることに

まあそうだよねえ。この勢い、たったの1週間で終わるとは思えないですし。もう夏休みも終わって、「ハリポタ」とか続けるより、こっちのほうがお客も入るでしょう。

いや、それよりなにより、その下に書いてある9/14「スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ前夜祭」って……。

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台風と怪獣と戦争と

先日の台風9号は、東日本を縦断していきましたが、皆様のところはいかがだったでしょうか。
これから来る台風にもご注意ください。

こういう言い方をすると不謹慎かもしれませんが、みんな台風好きですよねえ。マスコミ報道も「台風だー、台風だー」ってなもんで、楽しそうだもん。古館伊知郎も滝川クリステルもここぞとばかりにアドレナリン出しまくり。「川が増水だ! 屋根が吹っ飛んだ! 標識が倒れたぞ!」とか。
雨合羽着たレポーターの台風中継は、ほとんど若手芸人の体力勝負コントみたいなもんです。


と、不謹慎ついでにさらに重ねていうと、日本において怪獣映画や戦争映画は、自然災害のメタファーでしょう。ゴジラが東京の街を破壊するのも、台風の被害と結局は同義になっちゃう。通常に考えれば災害をもたらす原因であるゴジラに憎しみとか持ちそうだけど、そういう方向には話しが向かわない。
「大災害をもたらすもの」というものに対する根底に、台風とか地震のような人間の手に負えないものという考えがあるんだろうと思う。

今村昌平監督の「黒い雨」が、カンヌ映画祭に出品したら、「原爆をまるで自然災害かなにかのように描いている」といわれて受賞を逃してしまったけれど、日本人が観たら感動するであろうあの映画も、やっぱり同じ。「火垂るの墓」もそう。戦争映画に欠かせないはずの「敵」という存在があいまいで、空襲の被害が「天から降ってきた災害」になってしまう。
その思考はアニメの「エヴァンゲリオン」にまで引き継がれていて、自分達の平和を守るために主人公は使徒と戦っているはずなのに、敵である使徒そのものはなんなのか、ということは誰も疑問に思わない。つまりそこに敵は存在しないという不思議なことになっている。

だから良いとか悪いとかいうことではないんだけれど、常に敵という存在がいて、それを倒すことで自己が確立されるアメリカと対極だよねと。
天変地異と同義である「ゴジラ」が、アメリカに行ったら、突然変異のイグアナになって、ボコボコにやっつけられちゃう。何でも神様になっちゃう日本と、神は唯一無二の存在で、それ以外は排除すべき敵になってしまうアメリカ。よくまあこれで戦後60年、やってこれたなあ。

あ、違う。
日本にやってきた時点で、「“アメリカ”という名前の神様」になっちゃったのか。だから触らぬ神にたたりなし、お供え物も出しますよ、てなことか。

って、台風の話からドンドン逸れてしまいましたが。
ともかく、皆様、今後も台風は来ることと思いますが、お気をつけください。

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磯田道史「武士の家計簿」

先日NHK教育の「知るを楽しむ」で、「拝見・武士の家計簿」を見たところ、あまりに面白いので、番組の元になっている「武士の家計簿」(新潮新書)を読んでみました。

この新書「武士の家計簿」では、著者がある下級武士の家計簿を入手するところから話が始まります。
加賀藩の御算用者(会計係)を勤めていた猪山家の幕末から明治に至る詳細な家計簿。なにせ公務で会計係をやっているだけに、読み解くとすさまじく微に入り細にわたった一家の家計がわかったわけです。

藤沢周平原作、山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」以下「隠し剣鬼の爪」「武士の一分」を見ていて思ったのは、武士の暮らしが実際のところどうだったかよくわからないとことなわけです。もちろん山田組スタッフは、出来る限りのディテールを突き詰めて映像化していますが、それでも、清兵衛は海坂藩(うなさか:藤沢周平の時代小説の舞台。庄内藩がモデル)の、50石取りの平侍で、妻に先立たれものすごく貧乏な生活をしているということになっているけれども、じゃあその50石ってどのぐらいの給料なんでしょうか?

この本では武士家庭の収入および支出が詳しく説明されるのですが、その内容が目から鱗が落ちる思い。そもそも武士の給与ってどういうもの? とか思うでしょ。その基本から教えてくれます。
猪山家家計簿の解説を通して見えるのは、武士階級の窮屈さと崩壊の過程な訳です。
特に散財しているわけでもないのに、慢性的に赤字の家計簿。
でも、武士のたしなみとしては一段低く見られていた算術を武器に、猪山家は幕末から明治維新の激動期を生き抜きます。
一方、お上頼みしか知らない武士は時代の波の中で消えていくわけです。

「美しい国」とか言って「武士道」や「大和魂」だのを持ち出す人は多いですが、実際の武士がどうして消えていったかを知ることは重要かも。
そんな日本史の一端が、無名の武士家庭の家計簿を通してかいま見えるというのは痛快と言えましょう。


そうそう、話のついでに。
「たそがれ清兵衛」では、決定稿には、清兵衛の家で米がなくなってしまって、娘に、近所から米を借りに行かせるというシーンがあったのですが、完成した映画ではなかったので、残念でした。なぜならそのシーンは、クライマックスで闘う余吾善右衛門との会話で「米櫃に米がなくなった時の貧乏の悲しみ」を語り合うのですが、その会話で、清兵衛と善右衛門は同一の存在であることを知らしめるための複線として、重要なシーンになるはずだったのです。
ここと、意味不明な井上陽水のエンディング曲使用の2つが、わずかながらに、「たそがれ清兵衛」を自分の中で超傑作になりえない(でも傑作だとは思います)ものにしているのです。

この本、2003年に出ているので、きっと山田洋次監督も読んでいるに違いありません。それが「隠し剣鬼の爪」「武士の一分」に生かされている、かも。(ホントか?)
でも、最初の2作が幕末という設定にしていたのに、「武士の一分」がそうではない(よくて江戸中期ぐらい?)のも、あんまりリアルに生活を描こうとしすぎると話が進まないからだと思いますけど。


そんなわけで薄めの新書で思い切り楽しめること請け合いの本です。
読むべし!

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2007.09.02

ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序

1000人入る新宿ミラノ座で立ち見って。何年ぶりだよ!
Evamirano


1995年のテレビ放映から完結版劇場公開の熱狂。あれから10年、新たに描かれ再編集された4部作の劇場版第1作となる「ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序」


2015年。セカンドインパクトによって世界の大半が崩壊した。日本では首都を第三新東京市に移すが、そこに“使徒”と呼ばれる正体不明の巨大生物が襲来する。それを倒すために組織されたのが“ネルフ”と呼ばれる特務組織だった。14歳の少年碇シンジは、ネルフの司令官を務める父より、巨大な人型決戦兵器エヴァンゲリオンに乗ることを命令されるが。

エヴァか、何もかもが懐かしい……。
改めてリファインされた劇場版。CGIもふんだんに、すいすいと見せてくれます。オリジナルのテレビ版第6話までを再構成していますが、密度の上がった画と、岡本喜八譲りのカット尻の短いテンポで一気にクライマックスまで。カヲルくんもちょっとだけ出ます。
そもそも、10年前にみんなが観たかった劇場版ってこれだよねと。ひょっとすると劇場版ガンダム3部作に匹敵する名作になるかもしれません。

あらためてストーリーがまとまってみると、「やる気のない主役の男の子を、ひたすら登場人物の女性陣がやる気にさせようとする」話だなと。お姉さんは同居しながらなだめすかして、同級生は裸を見せて胸まで触らせてくれるという。って「ポーキーズ」か「超能力学園Z」か。いや、やっぱり「青い体験」か。って何の話だ。
なのに主人公はひたすらパパの顔色伺い。いやはや。
あと、今回の映画版、あまりにテンポが良すぎてタメがないというか、もう少しゆっくりさせるところがあっても良かったんではないかと思いますねえ。


しかし、実は、今回の映画のキモはそこじゃない。
「まあやっぱりこんなものかな」と思いつつ、宇多田ヒカルの曲の流れるエンディング後に訪れる、誰もが「おお!」と叫ばずにはいられない懐かしさよ。記憶が一気に、何かに憑かれるように毎週テレビ放映を観ていた12年前に引き戻されましたよ。
場内割れんばかりの拍手!
これで次回も楽しみになりました。


そんなわけで、いつもなら観るべし! なんですが、今回の決め台詞は、


サービス、サービス!

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