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November 2007

2007.11.30

仙台があつい!

Jojoandisaka
本屋さんで、ユリイカ11月臨時増刊号「荒木飛呂彦」特集を購入。
ユリイカなのに、週間ベストセラーランキング入りしたからねえ。凄いぞ荒木飛呂彦。しかも昔「ジャンプ」で写真を見たときから容貌が変わってない。やっぱり波紋の力? それとも石仮面の力?
まさかユリイカでスタンド事典を読むとは思いませんでした。

あれは小学校六年生のとき、荒木飛呂彦のデビュー連載「魔少年ビーティー」が10週打ち切りで終わったとき、担任の先生(川嶋先生)が、

「こいつはいずれ凄いものを描く漫画家になる!」

と、なぜかホームルームの時間に宣言していた。(なぜそんな話になったのか覚えていないけど)

あれから四半世紀。「バオー来訪者」を経て、「ジョジョの奇妙な冒険」が連載開始されたとき、「あ、あのとき川嶋先生が言っていた『凄いもの』ってこれなんだ」と確信したのを覚えている。
第二部第三部は本当に大好きでしたねえ。あれを読んでドイツの技術力は世界一なんだ、と思ったり、カーズの正体はバオーじゃないかと思ったり。(バルバルバルバルバルバルゥ!)

第四部までは読んでいたんだけど、五部以降は正直ついて行けなくなって「ストーンオーシャン」「スティール・ボール・ラン」はほとんど読んでいません。第四部も三部までに比べるとそれほど好きではないけど、あのサバービアな感じは、今の方がより伝わりやすいかも。

で、その第四部を舞台に、乙一が小説化。杜王町でオリジナルスタンド“The Book”が登場。読みましたが、乙一らしく、ちょっとひねったミステリ仕立て。
杜王町って仙台郊外の町なんだよね(荒木飛呂彦は仙台出身)。具体的にはどのあたりをイメージしてるんだろう?

もう一つ、仙台在住の作家、直木賞に一番近い男伊坂幸太郎の新刊「ゴールデンスランバー」も出ました。こちらはストレートに仙台を舞台にした「ダイハード」+「逃亡者」+「JFK」だそうで。これから読みます。

しかし仙台は作家多いなあ。
わが福岡も出身の作家、在住の作家(夏樹静子、原尞など)は多いけど、芸能人の数はもっと多いから、イメージとしてはそっちの方が強いかも。つまり表に出てパフォーマンスする方が好きってことか。>博多もん

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2007.11.26

本体サイトを終了しました

実は今年になってからずっと考えていたのですが、このたび自分のサイトを終了させることにいたしました。
(リンク先には終了の案内があるだけです)

なぜかというと、忙しくなってサイトの更新もままならなくなってしまったということと、自分のやりたいこととして、次の段階へ進みたいという気持ちが強くなったからです。
更新終了にしてサイトは残すことも考えましたが、それもなんだか昔の自分が中途半端に残っているようで嫌なので、潔く全部のページを下げました。

この前の日記、『SF映画としての「ALWAYS 三丁目の夕日」』も、やろうと思ってやり残していた評論だったので、この際と思って書きました。
今後はもう少し普通の日記になると思います。

このココログ、filmdays daybookは残します。
もしお気に入りやブックマークにしていただいた方は、お手数ですがこちらに登録し直していただければと思います。

そのようなわけで、今後ともよろしくお願いいたします。

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2007.11.25

SF映画としての「ALWAYS 三丁目の夕日」

昔々、はるかかなたの三丁目で……。


2005年に公開され大ヒットを記録した、山崎貴監督の第三作「ALWAYS 三丁目の夕日」。お得意のVFXを駆使した昭和33年の再現と、街の人々の人情劇が受け入れられ、二年後の現在、続編「ALWAYS 続・三丁目の夕日」も公開され、これも大ヒットを記録している。
この映画で描かれた昭和33年の東京が、懐かしさと共に喚起され、下地としてにぎわっていた昭和ブームを一気に加速化させる役割を果たした。その他の映画やドラマでも昭和30年代を舞台にした作品が作られてもいる。
その一方で、ウェルメイドな物語に批判的な見方からか、劇中で描かれていない昭和30年代の暗い側面を挙げるといった批評も多く書かれている。
しかし、それらの批評は「ALWAYS」という作品を通り越し、昭和30年代の日本をネガとポジを観ているにすぎず、その方向で書けば書くだけ、どちらも結論は現代日本への小言で終わるという、言ってしまえば「オヤジの繰り言」に堕しているのではないだろうか。

山崎貴監督の前二作「ジュブナイル」「リターナー」は、共に現代日本を舞台にしたSF映画であり、それらはVFXマン出身である山崎監督の持つ力を発揮した作品でもあった。山崎監督のデビューと相前後して、同様に特撮技術を理解し使いこなせる監督(「ピンポン」曽利文彦、「ローレライ」樋口真嗣、「HINOKIO」秋山貴彦、など)が登場してきたが、他の監督と山崎監督との大きな違いは、SF的設定を持ってきておきながら、それを現代日本に移植するときのバランス感覚のよさである。
例えば「ジュブナイル」。地方都市を舞台に子供を主人公にして、巨大ロボットに乗って異星人と闘うオーソドックスなSFであるが、操縦桿を子供でも扱えるゲーム機(プレイステーション2)のコントローラーである。また、映画のキーとなる発明家の青年が、近所の電気屋さんであるという、タイトルにふさわしく子供目線で理解出来る「のりしろ」をきちんとつけているのだ。

これまでの日本の特撮SF映画が、東宝のお家芸である怪獣映画と、天下国家の一大事であるパニック映画ばかりしかなかったために、ごく普通にSF をなじませることが出来なかった。だから多くのSF好きの観客はそれらの作品群を観て、ハリウッドからやってきたSF映画との落差に失望し続けてきたのだ。
そのハリウッドからやってきたSF映画とは、言わずとしれたジョージ・ルーカス監督の第三作「スター・ウォーズ」である。

「スター・ウォーズ」が世界中に与えた影響は今では歴史になってしまったが、当時の他のSF映画ともっとも大きな違いは、「本当にどこかの星でルークやレイア姫たちがいるかのようなリアリティ」を獲得していたことである。それは美術の汚しのリアリティであったり、卓越したSFXによって、ルークもハン・ソロもチューバッカも、登場人物たちが「遠いところにいる身近な存在」と思えたことだったのだ。だから惑星タトゥーインの沈みゆく二重太陽の夕日を見ながら、その向こうに広がる宇宙に想いを馳せるルーク・スカイウォーカーに感情移入できたのだ。

山崎貴監督は、おそらくその点を忠実に受け継いだ、ルーカスの子供の一人なのだ。だからどうすれば自立して動くテトラや、仕事人であるリターナーが現代日本でリアルな存在に見えるかに腐心してきたのである。
だから「ALWAYS 三丁目の夕日」も同様に、三丁目の人々「身近な存在」と思わせるために、巨大なセットやVFXを駆使して「リアルに見える昭和33年の日本」を“作り出した”のだ。だから夕日町三丁目は、惑星タトゥーインと同様の舞台なのである。

そのことを山崎監督は明確に表明しており、切通理作『情緒論』(春秋社)の「昭和ブームの中で消える「町」」でのインタビューでこう語っている。

「(前略)堤真一さん演ずる鈴木オートの社長が乗るダイハツミゼットは、この映画の中では『スター・ウォーズ』でハン・ソロ(ハリソン・フォード)が操る宇宙船ミレニアム・ファルコンなんです!」(『情緒論』186ページ)

そう、紛れもなく、鈴木オートの社長は家族を抱えたハン・ソロであり、吉岡秀隆演ずる作家・茶川竜之介はルーク・スカイウォーカー、ヒロインである小雪演ずるヒロミはレイア姫なのだ。
ルークたちが、はるかかなたの銀河系を駆けめぐるかわりに、三丁目の住人たちは、昭和33年の東京の夕日町三丁目の中を駆けめぐるのである。
そして、主人公茶川は、引き取った子供の古行淳之介の“実の父親”と正続二部作をかけて対決しなければならないのだ。

夕日町三丁目という小宇宙をかける、彼らの姿に涙するのは、懐かしさだけではなく、そこにある普遍的な「希望を獲得する物語」であるからだ。それは、ジョージ・ルーカスがごく普遍的な冒険物語を描こうとして作り上げた巨大な「スター・ウォーズ」サガの、ごく日本的な換骨奪胎なのである。

「スター・ウォーズ」の最終作「エピソード3」で、ラストの二重太陽で観客が涙してしまうのは、その先にやってくる希望の物語のスタートを知っているからだ。
1作目の象徴となった、ラストの夕日を見つめた少年一平の言葉は示唆的だ。「当たり前じゃないか、明日だって明後日だって、50年先だって、夕日はずっときれいだよ」
そう、登場人物の彼らと観客の私たちは、昭和33年と50年後の現在の、“二重の太陽”を見て涙する。「ALWAYS 三丁目の夕日」のラストの夕日が本当に描いているのは、50年後の日本が抱えた、やがてくる“新たな希望”なのだ。

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2007.11.14

「映画監督 舛田利雄」舛田利雄 佐藤利明・高護 編

日活の裕次郎映画「赤い波止場」「赤いハンカチ」、を皮切りに、渡哲也の「紅の流れ星」、吉永小百合の「あヽひめゆりの塔」、70年代は「トラ・トラ・トラ!」「人間革命」「ノストラダムスの大予言」といったスペクタクル映画、一方ではアニメ「宇宙戦艦ヤマト」劇場版を手がけ、80年代は「二百三高地」「大日本帝国」といった超大作戦争映画と当時にたのきん映画まで手がけるというフィールドの広さで、常に日本映画の第一線で活躍してきた映画監督・舛田利雄。
これだけジャンルが多岐にわたれば、いずれかの作品のどれかを観たという人は多いはず。
にもかかわらず、監督自身が前に出て作品を語る機会というのは、他の監督に比べればずっと少なかったのではないか。それは常に「撮り続けること」で証明し続けてきた活動屋としてのプライドであったに違いない。

今回、デビュー作からの全作インタビューによって、その全貌があきらかになった労作「映画監督 舛田利雄」

リアルタイムで観た70年代80年代の作品にも興味が行くが、舛田監督自身がこだわるアウトローへの思い入れ、また映倫の手で“不完全な”形で公開されてしまった「完全な遊戯」のテーマが、後の「大日本帝国」などの戦争大作映画へ繋がっていくダイナミズム。この話だけでも「完全な遊戯」を観たくなる!

また、近年新証言によりそのベールが剥がれつつある黒澤明監督降板のハリウッド大作「トラ・トラ・トラ!」も、舛田利雄監督からの目線で語られると、これもまた全く違う視界が開けてくる。しかもこれまた黒澤監督と、「二百三高地」の主演である仲代達矢を巡って因果がまわる。

面白いのは、組んだ脚本家の相性が良いかどうかはその力量(いずれも名を残す名脚本家ばかり)とは関係ないところ。もちろん良く書けているかは重要だけど、監督としては地味なシーンばかり書かれたのではつまらない。とはいえ、そこを何とかするのが娯楽映画監督の腕の見せ所なのだろう。

どんな役者でも良いところを褒めて言及するあたり、さすが監督。だからこそ現場で慕われるんだなあと。

第一線で走り続けた映画監督の自負がみなぎる総528ページ。読まずに過ごすは映画好きの名折れとなろう。

「昭和の劇 映画脚本家・笠原和夫」
「映画監督 深作欣二」
「遊撃の美学 映画監督中島貞夫」
「映画の呼吸 澤井信一郎の監督作法」

と合わせて読むと、2500ページを超える怒濤の厚さ。いや、なかなかどうして、映画人たちの熱い血潮を感じるべし!

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2007.11.04

ALWAYS 続・三丁目の夕日

山崎貴監督、完全試合達成!

昭和33年をVFXで見事に再現し、人情物語として大ヒットした前作から2年。昭和34年を舞台に夕日町三丁目の人々の姿を描く「ALWAYS 続・三丁目の夕日」


昭和34年。鈴木オートに、新しい住人が登場する。一平のはとこである美加。お嬢様育ちの美加には三丁目の暮らしは驚きの連続だった。そんな美加にほのかな恋心を抱く一平。一方、淳之介とともに暮らす茶川竜之介。貧乏暮らしは相変わらず。そこへ淳之介の実父川渕が再び淳之介を連れ戻しに現れる。再度拒否する茶川だったが、ろくな暮らしをしていないことを指摘され一念発起。自分の元を去ったヒロミを迎えるためにも、再度芥川賞を目指して執筆を開始するのだった。

いきなりオープニングに度肝を抜かれる。これで2時間やって欲しい。ああ。
ともかく、前作を観た誰もが願うであろう、ラストに向かって直球勝負。完投しきって、エンドクレジットのラストカットまで飽きさせません。
もちろんそこへいたる物語がつまらなければどうしようもないけれど、前作のシーンや台詞を表に裏にひっくり返しながら、つなげてみせる。いきなり一平の「そうだなあ……」まで使ってみせるとは。そんなに上手くなっちゃってどうするのよ、と余計な心配をしてしまう。

今回のシンボルに高速道路のない日本橋を持ってきたけれど、前作の東京タワーほどのテーマを支えるものにはちょっとなっていないかと。そのあたりが今作のウイークポイントといえるかもしれないけれど、それはまあいいでしょう。これだけアベレージが高いものを見せてもらってしまってそこまでいうのは贅沢というもの。
個人的に注目の東京タワー展望台の観光用望遠鏡もちゃんと出てくるし。
どうでもいいけど、一平が三平の真似をする、という奇しくも笑えるネタになってしまったなあ。

山崎貴監督は「本編も撮れる特技監督」からだんだん「特撮も撮れる本編監督」になってきたけど、今回はまた一段とグレードアップして、「本編も特撮も素晴らしく撮れる監督」になってしまったなあ。
しかし、前作の後、昭和30年代を舞台にしたドラマが雨後の竹の子のように作られたけれど、今回、光の速さでぶっちぎってしまった。なにせ今回、ほとんどロケーションで撮っているかのような撮影になっていて、前作以上にカメラが動く動く。
これをやってみせちゃった以上、ちょっとロケセットを作って撮りましたなんてドラマじゃ誰も納得しなくなります。

前作を楽しんだ人なら、正続合わせて一本として観て、これできれいに満足出来るはず。
もしかすると、日本アカデミー賞史上初の正続連続受賞を果たすかもしれません。

山田洋次作品にも思うことだけど、お客が望む話に向かって、きちんと正面切って直球を投げることのなんと難しいことよ。そしてそれを果たしてみせた山崎貴監督とスタッフに心から敬意を表します。
どっかのプロ野球の監督みたいに、勝てばいいでしょ、てな感じで、「みんなが見たかったもの」を置き去りにしてはいけないのです。お金より勝利より大事なものがあるんですよ。

前作を観ていない人は、ビデオを借りて来て、合わせて、観るべし!観るべし!観るべし!観るべし!


さて。
いままで「観た映画は必ず感想を書く」ことを日課にずっと続けてきましたが、今回の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の映画感想を最後にします。
今後は、備忘録用として週一〜十日間隔で書くつもりの身辺雑記日記に、観た映画のタイトルと一言感想は書くかもしれません。が、その程度にとどめておこうと思います。

理由はあれこれありますが、褒めるにしろ貶すにしろ、もうこれ以上他人の作品に云々することに飽きてしまいました。ここまで書いてきて、もう充分です。
茶川さんじゃないけれど、時間とエネルギーをもっと創作の方に使いたくなったのです。って芥川賞を狙うわけではありませんが。

そんなわけで、これまで御拝読ありがとうございました。

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