昔々、はるかかなたの三丁目で……。
2005年に公開され大ヒットを記録した、山崎貴監督の第三作「ALWAYS 三丁目の夕日」。お得意のVFXを駆使した昭和33年の再現と、街の人々の人情劇が受け入れられ、二年後の現在、続編「ALWAYS 続・三丁目の夕日」も公開され、これも大ヒットを記録している。
この映画で描かれた昭和33年の東京が、懐かしさと共に喚起され、下地としてにぎわっていた昭和ブームを一気に加速化させる役割を果たした。その他の映画やドラマでも昭和30年代を舞台にした作品が作られてもいる。
その一方で、ウェルメイドな物語に批判的な見方からか、劇中で描かれていない昭和30年代の暗い側面を挙げるといった批評も多く書かれている。
しかし、それらの批評は「ALWAYS」という作品を通り越し、昭和30年代の日本をネガとポジを観ているにすぎず、その方向で書けば書くだけ、どちらも結論は現代日本への小言で終わるという、言ってしまえば「オヤジの繰り言」に堕しているのではないだろうか。
山崎貴監督の前二作「ジュブナイル」「リターナー」は、共に現代日本を舞台にしたSF映画であり、それらはVFXマン出身である山崎監督の持つ力を発揮した作品でもあった。山崎監督のデビューと相前後して、同様に特撮技術を理解し使いこなせる監督(「ピンポン」曽利文彦、「ローレライ」樋口真嗣、「HINOKIO」秋山貴彦、など)が登場してきたが、他の監督と山崎監督との大きな違いは、SF的設定を持ってきておきながら、それを現代日本に移植するときのバランス感覚のよさである。
例えば「ジュブナイル」。地方都市を舞台に子供を主人公にして、巨大ロボットに乗って異星人と闘うオーソドックスなSFであるが、操縦桿を子供でも扱えるゲーム機(プレイステーション2)のコントローラーである。また、映画のキーとなる発明家の青年が、近所の電気屋さんであるという、タイトルにふさわしく子供目線で理解出来る「のりしろ」をきちんとつけているのだ。
これまでの日本の特撮SF映画が、東宝のお家芸である怪獣映画と、天下国家の一大事であるパニック映画ばかりしかなかったために、ごく普通にSF をなじませることが出来なかった。だから多くのSF好きの観客はそれらの作品群を観て、ハリウッドからやってきたSF映画との落差に失望し続けてきたのだ。
そのハリウッドからやってきたSF映画とは、言わずとしれたジョージ・ルーカス監督の第三作「スター・ウォーズ」である。
「スター・ウォーズ」が世界中に与えた影響は今では歴史になってしまったが、当時の他のSF映画ともっとも大きな違いは、「本当にどこかの星でルークやレイア姫たちがいるかのようなリアリティ」を獲得していたことである。それは美術の汚しのリアリティであったり、卓越したSFXによって、ルークもハン・ソロもチューバッカも、登場人物たちが「遠いところにいる身近な存在」と思えたことだったのだ。だから惑星タトゥーインの沈みゆく二重太陽の夕日を見ながら、その向こうに広がる宇宙に想いを馳せるルーク・スカイウォーカーに感情移入できたのだ。
山崎貴監督は、おそらくその点を忠実に受け継いだ、ルーカスの子供の一人なのだ。だからどうすれば自立して動くテトラや、仕事人であるリターナーが現代日本でリアルな存在に見えるかに腐心してきたのである。
だから「ALWAYS 三丁目の夕日」も同様に、三丁目の人々「身近な存在」と思わせるために、巨大なセットやVFXを駆使して「リアルに見える昭和33年の日本」を“作り出した”のだ。だから夕日町三丁目は、惑星タトゥーインと同様の舞台なのである。
そのことを山崎監督は明確に表明しており、切通理作『情緒論』(春秋社)の「昭和ブームの中で消える「町」」でのインタビューでこう語っている。
「(前略)堤真一さん演ずる鈴木オートの社長が乗るダイハツミゼットは、この映画の中では『スター・ウォーズ』でハン・ソロ(ハリソン・フォード)が操る宇宙船ミレニアム・ファルコンなんです!」(『情緒論』186ページ)
そう、紛れもなく、鈴木オートの社長は家族を抱えたハン・ソロであり、吉岡秀隆演ずる作家・茶川竜之介はルーク・スカイウォーカー、ヒロインである小雪演ずるヒロミはレイア姫なのだ。
ルークたちが、はるかかなたの銀河系を駆けめぐるかわりに、三丁目の住人たちは、昭和33年の東京の夕日町三丁目の中を駆けめぐるのである。
そして、主人公茶川は、引き取った子供の古行淳之介の“実の父親”と正続二部作をかけて対決しなければならないのだ。
夕日町三丁目という小宇宙をかける、彼らの姿に涙するのは、懐かしさだけではなく、そこにある普遍的な「希望を獲得する物語」であるからだ。それは、ジョージ・ルーカスがごく普遍的な冒険物語を描こうとして作り上げた巨大な「スター・ウォーズ」サガの、ごく日本的な換骨奪胎なのである。
「スター・ウォーズ」の最終作「エピソード3」で、ラストの二重太陽で観客が涙してしまうのは、その先にやってくる希望の物語のスタートを知っているからだ。
1作目の象徴となった、ラストの夕日を見つめた少年一平の言葉は示唆的だ。「当たり前じゃないか、明日だって明後日だって、50年先だって、夕日はずっときれいだよ」
そう、登場人物の彼らと観客の私たちは、昭和33年と50年後の現在の、“二重の太陽”を見て涙する。「ALWAYS 三丁目の夕日」のラストの夕日が本当に描いているのは、50年後の日本が抱えた、やがてくる“新たな希望”なのだ。
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