母べえ
激しい。
こんなに激しい山田洋次作品はこれまでなかった。
黒澤明監督のスクリプターとして活躍してきた野上照代の自伝小説を、山田洋次監督が自身の80作目の監督作品として、吉永小百合主演で映画化した、激動の昭和の戦時を生き抜いた家族の物語「母べえ」。
昭和15年。慎ましい暮らしをしていた野上家。互いに“べえ”とつけて、父の滋は“父べえ”、母の佳代は“母べえ”、長女の初子は“初べえ”、次女の照美は“照べえ”と呼び合っていた。
一家の大黒柱である父べえは、ある夜、逮捕され、思想犯として拘留される。留守を預かる母べえを助けるように、父べえの教え子である“山ちゃん” こと山崎、父べえの妹の久子、叔父の仙吉らが野上家に出入りして賑やかであったが、家族の願いは、父べえの一日も早い帰りだった。しかし次第に、戦争の足音が日本を覆い、野上家にもその影は忍び寄っていたのだった。
これほどまでに、ストレートに心情を吐露した作品が、山田洋次監督作品であっただろうか。
戦時中の日本の小さな家庭を描きながら、その一家に押し寄せる大きな時代の波。抗いたくてもそうはさせない時代の空気感を、山田監督の丁寧な演技演出と、日本映画の最後に残された各スタッフの職人仕事と、スターだけが持つ年齢を超えた吉永小百合の気品が隙のない作品として作り出している。
「男はつらいよ」にはじまり、過去の山田作品にも観られた市井の人々の生活の中で見せる山田作品の笑いは健在だが、この作品がこれまでと決定的に違うのは、それが戦争と死の影と隣り合わせの必死さからくる笑いなのである。
例えば、捕らえられ、下げたくもない頭を特高に下げなければならない母べえと警官とのやりとり。周囲の目を気にしながらさりげなく母べえにアドバイスをする隣組のおじさん。力になりたいと思いながら実務にはからきし駄目な山ちゃん。どれも笑いの裏にあるのは、時代を覆う、暗く死の臭いのする影なのだ。
それは、笑福亭鶴瓶演ずる愉快な仙吉でさえ、その先に待つのは“のたれ死に”の運命なのである。時代が下れば彼は“寅さん”として、周囲から疎まれつつも愛される人物として生きていけたかもしれないのに。
山田監督は、その一つ一つの挿話の中に、慎ましくあたたかい家庭のぬくもりと同時に、そうやって肩を寄せ合うように生き抜かざるを得なかった母や娘の悲しみで満たすのだ。
そして物語の最後で、山田監督はこれまでの作品にない、激烈なラストを描いてみせた。現在の我々が気にもしていないこの平和が、あの時代の苦難から連綿と続き、決してこの作品がノスタルジーで振り返ってはいないことを示して。
さて。
今作と前作「武士の一分」が東宝スタジオにて撮影された、ということから来る勝手な思い入れかもしれないが、近作の山田作品に「こうあって欲しかった晩年の黒澤明作品」の姿を観てしまうのは、やはり思いこみがすぎるだろうか。
いくつかのシーンで黒澤作品を彷彿とさせる部分もあるが、そもそも原作が黒澤明監督のスクリプターであった野上照代氏でもあるし、藤沢周平三部作でも衣装として黒澤和子氏(黒澤監督の長女)を起用して、ある面では「撮影所に育てられた日本映画の、バトンを渡された最後の体現者」を意識していると思うのだが。
ただ、そのバトンを山田監督から受け取るのはいったい誰なのか。そもそもそのバトンを渡す場である本来の故郷、大船撮影所はもう無いのだ。
まるで「日本沈没」で沈没後の日本人の物語のごとく、流浪の旅はまだ続くのか。
何はともあれ、観ておかなければならない今年必見の一作。
観るべし!





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