作家・井上ひさしは、右翼から抗議が来たとき、ひるまず「あなた、歴代の天皇の名前(追号のこと)、全部言えますか?」といって、歴代天皇の名前を神武から全部言ったそうな。それで相手はひるんで帰っていったとか。
井上ひさしの博覧強記ぶりと見事な切り返しとして知られる有名なエピソードだが、この話にはひとつの了解事項がある。
「右翼たるもの歴代天皇の名前ぐらい知っているものだ」ということだ。
さて、本題。
オタキング岡田斗司夫の「いつまでもデブと思うなよ」に続いて、新潮新書から出たのは、2006年5月24日に新宿ロフトプラスワンで行われたイベント「オタク・イズ・デッド」の内容をもとに、大幅に加筆修正した「オタクはすでに死んでいる」。
岡田氏自身が最近触れた今のオタク青年のふるまいが、かつて自分たちの共通理解としていたオタクとは違っていた。そこから現代の「オタク」の変質し、オタクというものは死んでしまった、という内容。
便宜上(かなりエクスキューズを入れているが)オタクを世代に分けて、岡田氏自身の40代半ばの世代をオタク第一世代。80年代後半から90年代にかけて青春の20代終わりから30代半ばの第二世代。そして現在の20代前半を第三世代としている。そしてもっとも第一第二世代と、第三世代との間に溝が出来ていること。
だいたいオタクって「自分の好きなものをとことん追求せずにはいられない人」ぐらいの定義だったんですね。だから人によってはそれがアニメかもしれないし、鉄道かもしれない、映画かもしれない、ミリタリーかもしれない。もちろんジャンルの横断はあります。ミリタリー好きで戦争映画ばっかり観ているオタク、なんてのは当然います。
もうひとつのお約束として、とりあえず他ジャンルのことに無茶に侵犯しないということがあります。鉄の人が知らない人に埼京線の絶景撮影ポイントを説明してくれる(この場合撮り鉄だっけ)ということはありますが、だからといってその人がアニメオタクを攻撃はしません。ただし、同じ撮り鉄だったら、同好の士しての了解事項と目に見えない鉄の掟が存在します。
SFオタク同士なら「サンリオSF文庫は基礎教養として全部読んでて当たり前」みたいな。ああ、なんか懐かしい会話ですねえ。
ところがいつの間にやら、オタクというのは美少女ものが大好きでメイド喫茶で「萌え~」というような、テレビで出てくるようなステレオタイプなものになって、しかもそれをなぞるような若者がメインになってしまった。
(私なんかは美少女アニメとか欠片も興味がないのですが)まあそれはそれでいいんですが、問題はそれが全てで、他者に対して排他的な態度になっていくのですね。
美少女アニメが好きならそれで良いと思うんですけど、一応それ以外にも「自分の好きなもの以外のオタク世界があること」ぐらいは了解しておいていいんじゃないでしょうか。それでだいたいのトラブルは解決しますよ。
思うのは、第三世代は異様に歴史の認識が浅い。というか歴史がなくて「今」しかない。
美少女アニメだと、それこそ「リボンの騎士」から始まって、魔法少女もの「魔法使いサリーちゃん」とか「魔女ッ子メグちゃん」とかから「魔法のプリンセスミンキーモモ」「魔法の天使クリィミーマミ」みたいなところがあって、「美少女戦士セーラームーン」から現在の隆盛があるはずなんですが、もう通じないですね。 (ここまで、素でタイトル書けちゃったよ)
とにかく今、自分の好きなもので完結している感じ。
漫画が大好きという若者に「ドラゴンボール好き?」と訊いたら「何ですかそれ」と言われちゃったことは自分の世代だと最近よくあるわけですよ。
格好いいイケメンアニメが好きだというから「サムライトルーパー」「幽遊白書」を持ち出しても「なにそれ? しらなーい」みたいな。
知らなきゃ知らないでいいんだけど、「じゃあ読んでみようかな」みたいなものがなくって「私は私の好きな○○がいいんです! 放っておいてください」というようなATフィールド張りまくって全拒絶かい、っていうような態度をね。
これを「自分の気持ち至上主義」と本書中で書かれています。
で、ここで話は冒頭の井上ひさしに戻ります。
最初の「歴代の天皇の名前を言えますか?」というネタの根底には、「右翼を名乗るなら歴代天皇の名前を全部言うことぐらい出来るはずだ」という暗黙の了解と、「それを敵だと思っていた井上ひさしに軽々と言われちゃって恥ずかしい」ということが前提なわけです。だから抗議に来た右翼もすごすごと帰っていったわけです。
ところが、これがオタクのみならず第三世代になるとどうか。おそらく歴代天皇の名前なんて知らないし、それ以前にそれが意味することも理解できないと思います。「天皇の名前が言えないからそれがなんだ。そんなことよりとにかくお前が気に入らない」といって刺しちゃうかもしれない。いやー可能性ありそうだなあ。
今の日本は、排他的で自分のその時の気持ちだけが肥大化した社会ではないでしょうか。
ともかく、今の日本を覆っているイントレランス(不寛容)なありよう。
凶悪事件をことさらに煽り、極刑を望む報道。でも裁判員制度の開始に伴って「でもそんな面倒くさいことやりたくない」という感じ。
やれ「反日だ」「ブサヨ死ね」とネットで書き込むものの、真っ当に日本の歴史もよく知らない、それを指摘されると逆ギレする人たち。
まあ、自分の世界だけじゃなく、他者の世界もあるって認識すること。
自分の好きなものがあるなら、もうちょっと(自分が好きなものなんだから)歴史を学びましょうということです。
そのふたつがあれば、もうちょっと世間は良くなると思います。
と、この本を読んで、そんなことをつらつらと考えてみたのでした。
Recent Comments