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May 2008

2008.05.25

ランボー 最後の戦場

「ロッキー・ザ・ファイナル」に続き、シルベスター・スタローン自身の人気シリーズを、主演・脚本・監督と三役をこなし復活させた。内戦の続くビルマ(ミャンマー)を舞台に、凄惨な戦争アクションが展開する「ランボー 最後の戦場」


タイで世捨て人のように過ごしていたランボーの元に、軍事政権の圧政が続くビルマの人々への支援グループが、ビルマへのガイドを依頼する。最初は断るランボーだったが、グループのメンバーの女性サラの懇願に心を動かされ、彼らをビルマへ連れて行った。しかし彼らが支援の村にたどり着いたところで、軍の虐殺が起き、村は壊滅し、サラたちは捕らえられてしまう。支援グループはサラたちを救うため傭兵を雇い、ランボーに再びガイドを依頼するが。

子どもの頃テレビでやっているのを観てても、ランボーって暗いしあんまり好きではなかったなあ。
今回久々に復活してみたら、話題になっている通り、すさまじい戦闘シーンの描写の数々。本当に戦場で撮っているかのごとく、頭や手足は吹っ飛ぶ、身体に穴はあく、血糊と死体の数は半端じゃないです。
しかも、ストーリーは単純明快な上に、90分というコンパクトな上映時間(しかもエンドクレジットが10分あるので、結局中身は80分!)にこれでもかのアクションが満載です。

ところが、ビルマや世界各地で起きている凄惨な戦場の再現も、ランボーの活躍で、不思議に高揚感のあるファンタジーと化してしまう転倒ぶり。それが作品として良かったのか悪かったのかといわれると判断に迷うところだけど、やっぱりジェリー・ゴールドスミスの「ランボーのテーマ」がかかっちゃうと、ああやっぱりねえ、なんて思ってしまうわけで。
ランボーはリアルさを求めた戦争アクションだったので、ある意味本卦還りか。

映画の感想とは別だけど、中国の四川省の地震被害はまだ報道されているけれど、ビルマの台風被害はロクに報道されないから、いったいどうなっていることか。事実は映画よりも奇なり。

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山のあなた 徳市の恋

清水宏監督の1938年の作品「按摩と女」を、石井克人監督・草なぎ剛主演で“カバー”という名のリメイクに挑んだ。「山のあなた 徳市の恋」


按摩の徳市は、相棒の福市と峠を歩いていた。山あいの温泉場で、按摩の仕事をするためだ。道中、二人は目明きを追い抜くのを遊びにしていた。
さらに道を行くと、馬車が追い越していった。徳市は馬車に乗った女に気がつく。東京の女の匂いがする。
たどり着いた温泉場で、指名がかかった部屋にて、徳市はその女と再会する。徳市はその女に思いを寄せていくが……。

なぜリメイクではなくて“カバー”という表現にしているかというと、オリジナルの構図やテンポを出来る限り再現したからだと。
(「按摩と女」の感想はこちらをご覧ください。)
こういうのって、例えば稲垣浩監督の「無法松の一生」を、戦前の阪妻版が検閲でカットされてしまったために、戦後稲垣浩監督が三船敏郎主演でカラー・シネスコでセルフリメイクして、しかも出来るだけ構図とかも同じようにしたことがある。
また、ヒチコックの「サイコ」を、ガス・ヴァン=サント監督がカラーでリメイクしたが、これも特に有名なシャワーシーンを含め、出来るだけオリジナルに似せて制作した。
今回の「山のあなた」も、観ると確かにオリジナルの構図や台詞回しに近い形で再現されている。

ところが。
オリジナルの「按摩と女」を観てみればわかるが、高峰三枝子を山あいの温泉場のロケでちゃちゃっと撮って作りました、という映画で、全体を覆う軽さも、意図してというより、即興で撮っていった(であろう)結果なのだ。
それを、今回、ロケ先を選びに選び、きっちりしたセットを組み、現在では撮れない温泉場は、VFXを駆使して1カット1カットトレースするかのように「ちゃんと再現するぞ」となぞっていった結果、今回の方が、全体的に微妙に温度の高い感じがするのだ。

モーツァルトが実際に演奏した曲そのものは聴けないけれど、古楽器によるピリオド奏法で今の演奏家たちが「モーツァルトが演奏したであろう曲」をやればやるほど、一生懸命さは感じるけど、窮屈な感じもするのだ。
それだったら、カラヤンのとかバーンスタインのように大編成のオケでやってもらった方がよっぽど気持ちいいって感じるようなもの。って例えが伝わらないか。

もちろん、今回のスタッフの努力を認めつつも、であるからこそそういう努力とは無縁のところに、松竹映画を支えた清水宏作品が屹立しているのではないだろうか。それと、癒し癒しって宣伝してるけど、「按摩と女」は癒しとも無縁の作品ですよ。


ともあれ、興味のある方は、オリジナルの「按摩と女」を観るきっかけにしてもらえばいいのではないでしょうか。

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2008.05.22

清水宏監督作品DVD-BOXより「按摩と女」

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清水宏監督の「按摩と女」が、何の故あってか、草なぎくん主演でリメイク。おかげで、清水宏の作品群がDVD化されました。何はともあれ、めでたいですね。
というわけで、清水宏監督作品DVD-BOX第一集~山あいの風景~を買いました。
これには「有りがたうさん」「按摩と女」「簪」「港の日本娘」の4作がセット。

「有りがたうさん」から観ようと思ったけど、まあここは「按摩と女」から手をつけることに。ここで感想書いておかないと元が取れない、というかもったいない。

按摩の徳市は、相棒の福市と峠を歩いていた。山あいの温泉場で、按摩の仕事をするためだ。道中、二人は目明きを追い抜くのを遊びにしていた。
さらに道を行くと、馬車が追い越していった。徳市は馬車に乗った女に気がつく。東京の女の匂いがする。
たどり着いた温泉場で、指名がかかった部屋にて、徳市はその女と再会する。徳市はその女に思いを寄せていくが……。

あきらかに、温泉場のロケでちゃちゃっと撮って、話つなぎましたという感じの軽めの作品。でも、どうでもいい話の一時間強の小品が今観るととても軽やかで美しい。女学生の服のセンスとかがめっちゃカワイイのですよ。
あと、ピンぼけなカットがあって、あれ? と思ったら、あ、これ、見えない徳市の見た目ショットなのか、とか、結構な遊びを入れている。

リメイク版「山のあなた 徳市の恋」の感想は近日中にあげるだろうから、違いはそこで詳しく書くとして、予告だけで一点言っておくなら、ダイアローグスピードが全然違いますね。オリジナルは台詞が速い、速いです。普通の会話とかわらないぐらい速いテンポですね。
でも「山のあなた」はもっとゆったりしてて、それはまたなんでだか。

それと、なぜリメイク版が東宝で公開?

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2008.05.14

東北大学機械系フォーラム2008

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先週末5/10、アキバスクエアUDXにて行われた、東北大学機械系フォーラム2008というのに行ってきました。目印はサイボーグ009。やっぱり機械系だからかな。

これはなにかというと、東北大学の機械系のアピールとして行ったイベントで、各研究室ごとにブースを出して、それぞれの研究テーマを発表していました。
写真のようにロボットとのダンスパフォーマンスをやったり、オープン講義やセミナー、サイエンスカフェをやったりしていました。
機械系特任教授の瀬名秀明さんの講義とかサイン会もやってました。
場所はオープンスペースだったのですが、当日はあいにくの雨で、ちょっと寒かったです。
ここでも記事になってます。

それぞれ話を聞いてみると、専門外の私にはわからない部分もあるものの、面白そうな研究がありましたね。
目についた研究室だと、レスキューロボットを開発している田所研究室とか、磁気粘性流体の研究をしている西山・高奈研究室、ロボットとのダンスパフォーマンスをやった小菅・菅原研究室とか。

ただ、ブースごとに出しているパネルが、パッと見て内容がよくわからないのが多かったのと、字が細かすぎて目の前にないと読めないのがあったのは、残念。
どうやら「1ブースにパネルは三枚まで」とかそういうしばりがあったんでしょうけど、こういうパネルは、大きな文字で、素人でもわかるキャッチーなものにしておいて、訪れた人の足を「お、これなんだろう」と止めさせるのが第一歩。
そこで本当に伝えたい研究内容を、紙資料を渡して説明したほうがいいのではないかと思いました。

たとえば、「日本を沈没から救う田所研究室」とか「高齢者に愛のロボットをお届けする小菅・菅原研」とか(おばあちゃんの歩行補助車をセンサーで感知して危険からさけられるロボットとして開発したものを展示してました)、そういうコピーを前面に出すとかね。
ってまあ、外野だから勝手なことを言ってますが。


というわけで、これから大学にいって勉強する中高校生は、こういう研究をしているところにいって、日本を明るくしてください。

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2008.05.12

靖国 YASUKUNI

A級戦犯の合祀や首相の参拝で揺れる靖国神社の有り様を、中国人の李纓監督が、10年にわたって撮り続けた「靖国 YASUKUNI」


靖国神社。英霊をまつるこの神社には、終戦記念日の八月十五日には、様々な人々が参拝や抗議、はたまた見物にやってくる。一方、靖国神社の御神体である“靖国刀”を作り続けてきた現役最後の刀匠の言葉と共に、靖国神社とは何であるかに迫る。

こりゃ、コントだねえ。
八月十五日にやってくる人々が右のお兄さんも左のお兄さんも個性が強烈で、おかしくてしょうがない。みんな勝手に軍服だったり軍服っぽい服だったりを着て、参拝だとか、口上を延々述べたり、ラッパならしたり。
それらが入れ替わり立ち替わりやってくるもんだから、参道はごった返してまあ大変。
また、小泉総理の靖国参拝を支持しますとか言いながらビラ配ってたアメリカ人のおっちゃんは、星条旗振ってるもんだから、テンションの上がった右のおじさんに文句言われて退散するはめに。
追悼集会に乗り込んでいって「靖国参拝反対」を唱えたら、待ってましたとばかりにボコボコにされて、「中国人は日本に帰れ!」と言われて外に出された若者が一言「ぼくは日本人です」。それを撮ってる中国人の監督。
なにせ全部ガチンコですからね、笑えるところはたくさんありますね。

一方、この映画の主役のようにして登場する刀匠のおじいさんのインタビューはあんまり成功していない。インタビュアーである監督の質問が漠然としてて、明らかにインタビュイーであるおじいさんの方が何を答えたらいいのかとまどっている。逆に「あんたは小泉さんの参拝をどう思う」と質問される始末。
中国人の監督が日本人に日本語で、しかも一番デリケートな質問をするシチュエーションとはいえ、ここはもう少しがんばって欲しかったところ。

靖国神社ってこんなところ、ということがわかるようになってもいないし、ひたすらに靖国神社の喧噪と混乱のありようを描いた作品と言えますかね。


というところはまあなんですが、劇場の入り口にはお巡りさんが立ってて、シアター内にも警備員とSPがいて、いくら全回満席とはいえ、経費的には割に合うのかな? とか、いざ始まって予告で「ゲゲゲの鬼太郎2」が流れて、みんな笑ってます。いやはや。しかしなぜここでウェンツ鬼太郎?

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ミスト

フランク・ダラボンはトム・クルーズに雇われて「ミッション・インポッシブル3」のシナリオをトムの注文を聞きつつ書いたものの、結局ボツ。今度は「インディ・ジョーンズ4」のシナリオをルーカス、スピルバーグ、ハリソン・フォードの注文を聞きつつ書いて、これまた結局ボツ。
そしてこう思ったに違いない。
「神様、一生懸命働いたのに、この俺の努力はいったい何だったんですか!?」と。


「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」に続き、三度スティーヴン・キング原作をフランク・ダラボン監督が映画化。傑作中編ホラーとして名高い「霧」を完全映画化した「ミスト」


嵐の過ぎ去った翌日。デイビッドは息子を連れ、仲の良くない隣人と車で買い出しに出かける。停電が終わらず、ごった返すスーパーマーケットだったが、道路には警察や軍が行き来している。そして血を流しながら現れた老人がスーパーマーケットに飛び込んでくる。「霧がくるぞ!」
スーパーマーケットは霧に包まれ、何も見えなくなる。その向こうにはいったい何が?

傑作!
ほぼ忠実に「霧」の映画化を果たしましたね。ズームをつけた手持ちカメラの撮影が、臨場感をあおってくれます。それと音楽が抑え気味でね、盛り上げそうなところで逆に音楽つけてないから、リアルなんですよ。

閉じこめられ、異常な緊張にさらされた状態では、外から襲ってくる怪物より人間の方がよっぽど怖いもの。
熱心なカソリック信者とか行きすぎた懐疑主義の方が、社会をむしばんでいる状況とか、ほぼスーパーマーケットのセット一杯しかないこの映画でアメリカを描いてしまいます。
なんか「ゾンビ」も彷彿としますね。

それと、格好良さそうなヤツが次々に犠牲になり、チビハゲメガネのオッサンとか、老人の方が活躍してしまう皮肉。
そして、原作にはなかったラストの展開。いや、ダークサイドに突き落とされますよ。もうキッツくてねえ。2時間付き合わされて、これかと。
原作のラストって、ジョン・カーペンターの映画っぽいんだけど、このラストがまず、一回突き落とされて、そこからひっくり返されて、おまけに「あれ、あれは!」ともう一回突き落とされます。
そのためにも映画の序盤をぼーっと観ていちゃ駄目ですよ。

今までの作品がホワイトダラボンだったけど、今回はブラックダラボン全開ですよ。あまりの衝撃に突き落とされて、エンディングが終わるまで立ち上がれません。


今年必見の一本!
観るべし! 観るべし! 観るべし!


本筋とは関係ないけど、予告で「「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」に続く全世界待望の最新作」って津嘉山正種のあの声でナレーションをいうと、この2作までバリバリのホラーみたいじゃんねえ。

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隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS

黒澤明監督の連続活劇冒険時代劇を、長澤まさみ・松本潤主演、「ローレライ」「日本沈没」の樋口真嗣監督によりリメイクされた「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」


秋月、早川、山名。国境を接するこの三国は、秋月と早川の同盟により、山名を抑えていた。しかし山名は秋月を攻め、城を攻め落とした。すんでのところで秋月の雪姫と軍資金の金百貫は、いずこかへ消えてしまった。
山名の民だった武蔵は秋月の城で、金探しに連れてこられていたが、どさくさに紛れて逃げ出してしまう。そこに一緒についてきたのが新八。二人は逃げ先の谷で、小枝に隠された金を見つける。そこに現れた弓の使い手と武士に捕まってしまう。武蔵は彼らに金を持って早川領に逃げ込む案を提案する。それは敵の裏をかいて、山名領に入り、早川領に抜けるというものだった。果たして無事金を運べるのか、そして武士たちの正体は?

「隠し砦の三悪人」って黒澤時代劇の中では、「七人の侍」「用心棒」「椿三十郎」「赤ひげ」もマスターピースっぷりより、一段思い入れとしては下がるんだけど、いやあくまで私の中ではだけど。
前半一時間はオリジナルを1.5倍のスピードで駆け抜ける。特にオリジナルは逃避行をはじめるまでが前半一時間使っていたと思うけど、出だしは字幕でやって、ものの数十分で隠し金を背負って逃避行に出発。
見せ場の関所越えや馬でのスピード感あふれるチャンバラも、ちょっとずつひねりつつ、軽快感あふれてサクサク進みます。
阿部ちゃんや椎名桔平、甲本雅弘、高嶋政宏など、良い感じにノリノリだし、宮川大輔もコメディ役としては良い感じ。

これはこれで悪くないんじゃないの、思ったら、後半に入って、ものすごい勢いで減速してマツジュンとまさみちゃんのラブロマンスに突入。ああ、やっぱり。
でもねえ、なんかこのラブロマンスってデジャブ感ありありだなあ。
と、思い出しましたよ、これ「里見八犬伝」だよ。

当時、角川映画の伝奇時代劇の中では、同じ深作監督の「魔界転生」と合わせて大好きだったのよ。千葉ちゃん以下JACのアクション陣も一番ノってる頃で見ごたえもあったし、特撮も当時良い感じに出来ていたしね(でもなかったか?)。
特に、志保美悦子の悲劇的な女犬士とかの死に様が好きでねえ。それと、小学生だったから真田広之と薬師丸ひろ子のラブシーンにドキドキしたり。
思わず劇場で二回連続観ちゃったもんね。


あ、「隠し砦の三悪人」ですか。だんだんマツジュンとまさみちゃんが真田広之と薬師丸ひろ子に見えてきた。阿部ちゃんは千葉ちゃんね。
エンディングの曲が気に入らない? 「里見八犬伝」は英語歌詞だったから、これぐらい問題ないって。

そんなわけで、ちょっと別の懐かしさを感じる映画でした。
ま、見ておけばいいっすよ。

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2008.05.07

NEXT-ネクスト-

フィリップ・K・ディックの「ゴールデン・マン」を原作に、2分先の未来が見える男を巡るサスペンスアクション「NEXT-ネクスト-」。

ラスベガスでしがないマジシャンをやっているクリス。その彼の能力をテロリストの捜索に生かそうとFBIは捕まえようとするが、クリスは持ち前の能力でピンチを脱出する。2分先の未来しか見えないが、唯一、運命の女性のことだけは先の未来が見えていた。そしてその出会いを果たすが、二人の先には、FBIと、彼の能力を邪魔だとするテロリストの両方が立ちはだかっていた。

ははあ。
脚本を書いたゲイリー・ゴールドマンは、よほどのディック好きらしく、「トータル・リコール」も「マイノリティ・リポート」もこの人が脚本を書いている。
この「NEXT」も短編「ゴールデン・マン」の2分間先の予知が出来る男、というところをとって、違う話にしてますが。

まあ、なかなかかなと思います。
ニコラス・ケイジも特筆するところはないけど、ジュリアン・ムーアが「ハンニバル」のクラリスのその後にしか見えないとか、久々に観たぞピーター・フォーク(コロンボは古いのしょっちゅう観るけど、今に近いのはね)とか、どうでもいいところばかりを楽しみますが。
あと、テレビの映像に「博士の異常な愛情」だったり、「時計仕掛けのオレンジ」を彷彿とさせたりとキューブリックへのオマージュのつもりなんでしょう。だからどうだ、ということでもなくて、「やってみたかった」ってことでしょうが。

オチがね、短編小説ならふむふむ、と思いますが、1時間半の映画でこれやられると、脱力しますねえ。ここいらへんは脚本が「どうだーいけてるだろー」と思うんでしょうが、撮ってつないでみたらドッチラケなんですよ。もう一段ひねって欲しかったところ。

あと個人的にはジェシカ・ビールが、そんなに運命の女に見えるほど綺麗に撮れていないのは映画としてはどうかと。そこが出来てないと本当は全て台無しなんだけどなあ。

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岡田斗司夫「オタクはすでに死んでいる」

作家・井上ひさしは、右翼から抗議が来たとき、ひるまず「あなた、歴代の天皇の名前(追号のこと)、全部言えますか?」といって、歴代天皇の名前を神武から全部言ったそうな。それで相手はひるんで帰っていったとか。
井上ひさしの博覧強記ぶりと見事な切り返しとして知られる有名なエピソードだが、この話にはひとつの了解事項がある。
「右翼たるもの歴代天皇の名前ぐらい知っているものだ」ということだ。

さて、本題。
オタキング岡田斗司夫の「いつまでもデブと思うなよ」に続いて、新潮新書から出たのは、2006年5月24日に新宿ロフトプラスワンで行われたイベント「オタク・イズ・デッド」の内容をもとに、大幅に加筆修正した「オタクはすでに死んでいる」

岡田氏自身が最近触れた今のオタク青年のふるまいが、かつて自分たちの共通理解としていたオタクとは違っていた。そこから現代の「オタク」の変質し、オタクというものは死んでしまった、という内容。
便宜上(かなりエクスキューズを入れているが)オタクを世代に分けて、岡田氏自身の40代半ばの世代をオタク第一世代。80年代後半から90年代にかけて青春の20代終わりから30代半ばの第二世代。そして現在の20代前半を第三世代としている。そしてもっとも第一第二世代と、第三世代との間に溝が出来ていること。

だいたいオタクって「自分の好きなものをとことん追求せずにはいられない人」ぐらいの定義だったんですね。だから人によってはそれがアニメかもしれないし、鉄道かもしれない、映画かもしれない、ミリタリーかもしれない。もちろんジャンルの横断はあります。ミリタリー好きで戦争映画ばっかり観ているオタク、なんてのは当然います。
もうひとつのお約束として、とりあえず他ジャンルのことに無茶に侵犯しないということがあります。鉄の人が知らない人に埼京線の絶景撮影ポイントを説明してくれる(この場合撮り鉄だっけ)ということはありますが、だからといってその人がアニメオタクを攻撃はしません。ただし、同じ撮り鉄だったら、同好の士しての了解事項と目に見えない鉄の掟が存在します。
SFオタク同士なら「サンリオSF文庫は基礎教養として全部読んでて当たり前」みたいな。ああ、なんか懐かしい会話ですねえ。

ところがいつの間にやら、オタクというのは美少女ものが大好きでメイド喫茶で「萌え~」というような、テレビで出てくるようなステレオタイプなものになって、しかもそれをなぞるような若者がメインになってしまった。
(私なんかは美少女アニメとか欠片も興味がないのですが)まあそれはそれでいいんですが、問題はそれが全てで、他者に対して排他的な態度になっていくのですね。

美少女アニメが好きならそれで良いと思うんですけど、一応それ以外にも「自分の好きなもの以外のオタク世界があること」ぐらいは了解しておいていいんじゃないでしょうか。それでだいたいのトラブルは解決しますよ。

思うのは、第三世代は異様に歴史の認識が浅い。というか歴史がなくて「今」しかない。
美少女アニメだと、それこそ「リボンの騎士」から始まって、魔法少女もの「魔法使いサリーちゃん」とか「魔女ッ子メグちゃん」とかから「魔法のプリンセスミンキーモモ」「魔法の天使クリィミーマミ」みたいなところがあって、「美少女戦士セーラームーン」から現在の隆盛があるはずなんですが、もう通じないですね。 (ここまで、素でタイトル書けちゃったよ)
とにかく今、自分の好きなもので完結している感じ。
漫画が大好きという若者に「ドラゴンボール好き?」と訊いたら「何ですかそれ」と言われちゃったことは自分の世代だと最近よくあるわけですよ。
格好いいイケメンアニメが好きだというから「サムライトルーパー」「幽遊白書」を持ち出しても「なにそれ? しらなーい」みたいな。
知らなきゃ知らないでいいんだけど、「じゃあ読んでみようかな」みたいなものがなくって「私は私の好きな○○がいいんです! 放っておいてください」というようなATフィールド張りまくって全拒絶かい、っていうような態度をね。
これを「自分の気持ち至上主義」と本書中で書かれています。


で、ここで話は冒頭の井上ひさしに戻ります。
最初の「歴代の天皇の名前を言えますか?」というネタの根底には、「右翼を名乗るなら歴代天皇の名前を全部言うことぐらい出来るはずだ」という暗黙の了解と、「それを敵だと思っていた井上ひさしに軽々と言われちゃって恥ずかしい」ということが前提なわけです。だから抗議に来た右翼もすごすごと帰っていったわけです。
ところが、これがオタクのみならず第三世代になるとどうか。おそらく歴代天皇の名前なんて知らないし、それ以前にそれが意味することも理解できないと思います。「天皇の名前が言えないからそれがなんだ。そんなことよりとにかくお前が気に入らない」といって刺しちゃうかもしれない。いやー可能性ありそうだなあ。

今の日本は、排他的で自分のその時の気持ちだけが肥大化した社会ではないでしょうか。
ともかく、今の日本を覆っているイントレランス(不寛容)なありよう。
凶悪事件をことさらに煽り、極刑を望む報道。でも裁判員制度の開始に伴って「でもそんな面倒くさいことやりたくない」という感じ。
やれ「反日だ」「ブサヨ死ね」とネットで書き込むものの、真っ当に日本の歴史もよく知らない、それを指摘されると逆ギレする人たち。

まあ、自分の世界だけじゃなく、他者の世界もあるって認識すること。
自分の好きなものがあるなら、もうちょっと(自分が好きなものなんだから)歴史を学びましょうということです。
そのふたつがあれば、もうちょっと世間は良くなると思います。


と、この本を読んで、そんなことをつらつらと考えてみたのでした。

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2008.05.05

Perfumeと最新アルバム「GAME」

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去年の夏あたり街中でお店の有線なんかで「リニアモーターガール」を聴いて、「なんだろう?」と思ったのがきっかけで気になり、アルバム「Perfume 〜Complete Best〜」を買ってからはヘビーローテで聴きまくり、一気に大好きになった、Perfume。
この曲の、意図的な無機質さがたまりません。
このperfumeの三人、最初はまだビジュアルはいけてないなーとか思ってたんですが、曲は聴いた瞬間にハートわしづかみという、珍しいツボのハマり方をしてしまいました。
なんて言えばいいのやら、このピコピコポコポコ音に無意識的に反応してしまいますね。もはや逃れられないファミコン世代の性(さが)。
「わけわかんない」と言われるかもしれないけど、なまじリアルな楽器音より、ファミコンのピコピコ音にリアルさを感じてしまうのですよ。わかってくれますかね。

で、Perfumeのニューアルバム「GAME」。
無事発売日の4月16日にAmazonで届いて、聴き倒してます。

PINOのCM曲になっている「シークレットシークレット」もいいですが、今回のアルバムの中では「マカロニ」がイチオシ。
あと、シングルを買い損ねたので、今回「チョコレイト・ディスコ」がこれで聴けるようになってうれしい〜。

そしてアルバム「GAME」の中でお気に入りの「マカロニ」。
いろんな人が語っているように、Perfumeの曲は、アップテンポなテクノなのに、歌詞だけ読むとメチャメチャ暗かったりする。
この「マカロニ」も、彼との恋愛進行中の物語なのに、曲全体ではなぜか終わった先の不安をかき立てるのだ。

この曲のPVはこれまでのPerfumeのものと変えて、8ミリで撮った3人の“彼女”の光景なのだ。

「GAME」の初回限定版に入っているDVDには、このPVとは別バージョンで、3人それぞれが1人だけ登場するバージョンが3パターン入っている。もちろん、それぞれのファン向けに作ってあるわけだけど、これを観るともっと突き進んで「死んでしまった彼女の思い出の映像」に見えてくるのだ。
あ〜ちゃんはぬいぐるみと戯れ、のっちは8ミリカメラで撮っている彼氏(つまり撮影者)を撮り、かしゆかはカメラで周囲を撮り続ける。
「彼氏とのデートの最中」という設定で、とくに恥ずかしがっているかしゆかなんか、PVの最後はカットアウトで暗転するので、観ていて暴力的なまでの切ない「終わってしまった」感をかもし出してる。

こういう感じを持たせられるのは、やはりメディアとしては終わってしまった(と言ってしまったら怒られるかもしれないけど)8ミリというメディアを使っているからかもしれない。

Perfumeそのものがかもし出している「今ようやくブレイクしたけど、いつまで続くかわかんないもん」という在りようとシンクロしていて、刹那過ぎる。


んで、11/6,7に武道館ライブが決定!
これは行くしかない!とおもって、生まれて初めてファンクラブなるものに入会してしまいました。
ああ、どこまでPerfumeにハマッていくのでしょうか。

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相棒 −劇場版−

「ミナサン コンニチハ スティーブン・スピルバーグ デス」
「コンニチハ ジョージ・ルーカス デス」
「オマタセシマシタ タノシンデ クダサーイ」
え、こっちの相棒じゃなく?


土曜ワイド劇場の二時間推理ドラマから出発し、人気テレビシリーズとなった刑事ドラマが、満を持しての劇場版として登場。「相棒 −劇場版−」


警視庁の窓際部署 特命係。そこに所属する杉下右京と亀山薫。これまで数々の難事件を解決してきた二人の前に、不可解な殺人事件が起きる。右京の推理から連続殺人の可能性を見いだし、ついにSNSサイトで処刑扱いされた被害者たちであったことがわかる。その連続殺人は、東京を走るマラソン大会を狙った爆破事件へと発展するが、その真の狙いは、驚くべきものだった。

ようやくここまでたどり着いたか。
というのは、「相棒」が土曜ワイド劇場の二時間ドラマからシリーズ化、そして劇場映画に発展したことを言っているのではない。
個人的には、テレビ版をたまに観て、なかなかトリッキーな構成をするなあと感心するぐらいで、特に大ファンというわけではない。
そうではなくて、明らかにこの劇場版「相棒」は、警察ドラマを使って、どうやって東京を、日本を描くか、ということの一応の通過点の作品なのだ。
いや、もっとわかりやすく言おう。この作品は「機動警察パトレイバー」を実写映画化するという夢の、この20年の苦闘の里程標なのだ。

押井守が監督したアニメ「機動警察パトレイバー the Movie」「機動警察パトレイバー2 the Movie」は、現代の東京を舞台に、エンターテインメントとして成立させてみせた作品だった。その綿密なロケーションと、現代の東京が抱える問題を、ロボットアクションと警察ドラマの醍醐味を織り交ぜたこの高い到達点は、多くの刺激を作り手に与えた。
その直接の影響を受けて作られたのが「踊る大捜査線」であり、人物の配置といい、「ロボットアクションのないパトレイバー」に仕立てあげた。

この「相棒」もまたトリッキーな推理ドラマとしての構成と、名探偵コンビという枠組みを使いつつ、「踊る大捜査線」がその専売特許のごとく見せた組織の縦構造の矛盾も描いていく。そして、「踊る大捜査線2」が「レインボーブリッジ封鎖」が見せ場なら、こっちは東京マラソンだ! とばかりにクライマックスにも力を入れている。

もちろん、トリッキーな推理のどんでん返しを狙うあまり、探偵役の右京がいなかったら成立しない無意味なトリックの連続であったり、真犯人の真の目的が成立しない可能性もあったはずなのだというところが不問にふされていたりする。
しかし、その無理を押してでも、描こうとした真相はなかなかに骨太であり、エンターテインメントの枠からすれば大きすぎるその意気を買っても良いのではないだろうか。
真の敵とは、この日本の有り様そのもの。それこそが、押井守が「機動警察パトレイバー」で描いたものであり、この「相棒」もその直系の子孫なのだ。


と、固いところはともかく、キャストも実はサブレギュラーキャラの目白押し。個人的には六角精児演ずる米沢守の見せ場が多くて良かったなと。
ストーリーも穴だらけではあるけれど、そこもまた愛嬌かと。
観るべし。

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2008.05.02

スパイダーウィックの謎

トニー・ディテルリッジの児童向けロー・ファンタジーを、映画化。一冊の妖精図鑑を手に、悪のゴブリンと闘う一族の物語。「スパイダーウィックの謎」


妖精を研究していたアーサー・スパイダーウィックは、その成果を一冊の本にまとめた。それから80年の時が過ぎ、ひ孫の世代がこのスパイダーウィック邸に暮らすようになる。双子のジャレッドはこの家の秘密を探るが、屋根裏に大伯父のアーサーの部屋を発見し、封をされた本を見つける。これこそ妖精の世界の秘密をまとめた妖精図鑑だった。

なかなか面白いですね。
ファンタジー映画は雨後の竹の子でいっぱいでてますけど、その中では出来の良い方だと思います。ひょっとして「ナルニア国」よりいいかも。
一族の物語であり、ロー・ファンタジーの中では、あくまで自分の家の身の回りだけで怪物や妖精たちが出てくるので、親しみやすいし。
屋根裏に秘密の部屋、しかも読んではいけない本とか。そういうのはお約束で読むよねえ。

主人公の少年は「ネバーランド」「チャーリーとチョコレート工場」のフレディ・ハイモアくんですね。いやー、そっくりな子を連れてきたなと思ったら、一人二役だったんですね。違和感ないです。

なんというか、「グーニーズ」とか「ヤング・シャーロック ピラミッドの謎」をわくわくしながら観た頃を思い出しました。
製作は、キャスリーン・ケネディ / フランク・マーシャルなんですね。一昔前ならスピルバーグが製作総指揮とかやりそうな映画だと思ったら、やっぱりこのコンビだったか。

お子さん連れで、吹き替え版で観るには最適。楽しい映画だと思います。
観るべし。

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アイム・ノット・ゼア

生きるカリスマ、ボブ・ディランの半生を題材に、6人の人種も年齢も性別も違う俳優たちが、それぞれディランの多面的な人生を演じていく「アイム・ノット・ゼア」


ボブ・ディラン。彼の多面的な顔を見せてきた半生をそれぞれ別の人格として描く。それを通して見えてくる、ボブ・ディランという男とは?

ポカーン。
いやもう、私を含めて、ほとんどの人が「ボブ・ディランの伝記映画」だと思って観に行ったら、いったい何のことやらわけもわからず。
詩人だったり、スターだったり、ロッカーだったり、少年だったりするボブ・ディランが、それぞれまったく別の人物になってそれぞれが展開する訳です。
名前まで違うからいったいなんのことやら訳がわからない。
さっきまで黒人少年が旅をしていたかと思ったら、今度はロックスターのケイトが出てきてインタビューをかまし、次に離婚協議中のヒースが出てきて、合間にランボー?
しかもそれがシャッフルされている上に、それぞれのエピソードの時制までもシャッフルされているから、この話がどこに向かっているのやら。

ケイト・ブランシェットの演技が褒められていたけど、そこだけは「あ、ディランだ」って一番わかりやすいからね。たしかになりきりぶりは一番です。

私みたいに、代表曲ぐらいは聴いたことありますよ、ぐらいの人間じゃ、まったく歯が立たないです。誰か解説して。

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紀元前一万年

「インディペンデンス・デイ」「GODZILLA」のローランド・エメリッヒ監督の最新作は、有史以前の世界を舞台に、マンモスを狩って暮らしていた部族の青年が異民族の襲撃を受けて、奴隷となった仲間を助ける旅に出る原始冒険ドラマ「紀元前一万年」


紀元前一万年。氷河期末期。ヤガル族では、マナク(マンモス)を狩ったものが次の長になり、青い目の娘エバレットを妻にめとることが出来るとの予言に従い、若者たちはマンモス狩りに精を出す。そしてマナクを仕留めたデレーが長と認められるが、自分に本当の勇気がないことを理由に長を辞退する。その時、異民族の襲来を受け、ヤガル族の仲間たちやエバレットを連れ去られてしまう。
デレーは残った男たちと、仲間を救うために、危険な旅に出るのであった。


もう、ツッコミどころ満載なんだけども、なんていうか大味だってわかっていながらメガマックを食べちゃう感じ。これはこれでいいんじゃありませんかね。エメリッヒに知性を求める方がどうかしているってもんです。
話のポイントに天文ネタが出てきて、ちょっと楽しい。やっぱり愛を語るには北極星ですか。一万年と二千年前から愛しているんですね。ヨン様は不滅だ。

って、紀元前一万年の北極星は、こぐま座のポラリスじゃねえって!

マンモスの群れもいっぱいで、これでギャートルズの実写映画化も可能ですね。あったよね、お父ちゃんがマンモス狩りの旅に出かけるんだけど、家でゴンたちがお腹空かして待ってるとかさ。途中サーベルタイガーも出てくるし。
どうせならいっそのこと恐竜も出しておけばよかったのに。

後半戦は奴隷にされた仲間たちがピラミッド建設をさせられるんだけど、いやーもうデタラメッぷりもここまで来ると楽しいですね。やっぱり演説するんかい! 紀元前から民主主義革命。
それにしても、主人公の部族がヨーロッパ系で、敵がアラブ系で、味方になるのが黒人部族って、あからさますぎやしませんかね。


というわけで、正しい駄目映画は、ちゃんとツッコミどころのツボを押さえているんですね。これが駄目オーラ過ぎて、最初から観る気もしないえせカンフーっぽい映画とかだとさ(って何の映画の話だよ)。
観るべしっていうのともちょっと違うんですが、心に余裕を持って、ポップコーンとコーラを手に観ると楽しい映画です。

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