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September 2008

アイアンマン

マーベルコミックのヒーローが、ここにまた実写映画化。主演にロバート・ダウニーJrを迎え、軍需産業企業の社長が自らの手で発明したパワードアーマーで戦うヒーロー映画「アイアンマン」


トニー・スターク。アメリカを代表する巨大軍需産業企業の社長である。父が興した会社を引き継ぎ、また天才発明家としての能力を生かし、兵器を世に送り出していた。しかも名うてのプレイボーイ。トニーは新兵器のプレゼンのために訪れたアフガニスタンでテロリストに捕らえられ、助かりたければ新兵器を作り渡すよう要求される。そこでトニーが作り出したのは、テロリストに渡すためではなく、テロリストと戦うためのパワードアーマーだった。

またまたアメコミヒーロー映画の登場。中身の善し悪しは別にしてはっきりいって日本じゃほとんどどれも討ち死にしてますね。というより大ヒットを起こしたのって最近じゃ「スパイダーマン」ぐらい。バットマンシリーズ最新作「ダークナイト」も、日本じゃ当たりませんでしたねえ。
この「アイアンマン」は、マーベルが映画を直接制作するようになった第一弾(第二弾は先日公開された「インクレディブル・ハルク」)ですが、これがなかなかどうして面白いではありませんか。

主人公が、天才発明家で死の商人の大富豪、しかもプレイボーイで酒も女も博奕も好きという、主演のロバート・ダウニーJrのために用意されたかのようなキャラクターです。
とはいえ、やってることはバットマン以上にダークなわけです。なんせ兵器を世界中に売りまくって紛争の火種を作った張本人。その力を使って、今度はアイアンマンになって火消しをするわけですからマッチポンプもここに極まれり。
ところが、その矛盾を抱えたまま戦いに赴く、ロバート・ダウニーJrの嬉々としたヒーロー演技が、この映画に爽快感をもたらしていることは間違いありません。自由自在な空中アクションも含め、ついつい楽しく観てしまう。
秘書役のグイネス・パルトロウと同じく、トニーの魅力にクラクラしてしまいます。このラブロマンスが、超えちゃいけないプラトニックな感じを出しているところもいいですね。

だいたい、スパイダーマンもバットマンも女の趣味悪すぎなんですよ。あ、帰ってきたスーパーマンもそうだな。
ハルクは、それなりに悪くない趣味だと思うけど、彼女と寝られない(興奮して心拍数上がっちゃう!)からねえ。
バットマンにいたっては、アイアンマンと同じく金持ちだけど、スーツや新兵器はモーガン・フリーマンに作ってもらっているしね。いかんなー、男子たるもの自力でがんばらなきゃ。そう考えると、アイアンマンは独力で開発してますからね。えらいぞ社長。
ただ、胸に埋め込まれたエネルギー時限爆弾が弱点だから……ってそれはミラーマンだ。こっちはアーク・リアクターです。

クライマックスの戦いは、よくよく考えれば「ハルク」と同じシチュエーション。あっちが怪獣同士(サンダ対ガイラ)で、こっちがロボット肉弾戦(バトリング)なんだけど、派手さも迫力もこっちが上でした。

すでに続編も予定されているようですので、アイアンマンのさらなる活躍を期待したいところです。今度は戦う時に、爆発をバックに「俺の名前はアイアンマン!」とか見得を切って欲しいんだけどなあ。なぜあっちのヒーローは見得を切らないんだ?


あ、クレジット(このエンドクレジットは格好いい)あとにオマケがありますが、唐突すぎて、アメコミファンじゃないとほとんど意味がわからないネタになってます。ってあんた、ここに出てくるのかと。本当にアメコミ好きなんだねえ。(そういや「アンブレイカブル」で演じていたのもアメコミオタクだったぞ、あのおっちゃん)

というわけで、男の子魂をあちこちくすぐられる映画でした。
観るべし!

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パコと魔法の絵本

ゲロゲーロ(by 青空球児・好児)

「下妻物語」「嫌われ松子の一生」の中島哲也監督最新作は、記憶が一日しか持たない少女のために、偏屈な富豪の老人と、病院の患者や医師達で絵本の世界を再現する物語を役所広司主演ほか豪華キャストでおくる「パコと魔法の絵本」


とある富豪の家を訪ねてきた老人。そこに住む青年に語るのは、青年の祖父がかつて行ったある話。祖父大貫は一代で富を築き上げた事業家だったが、心臓を悪くして倒れ、病院に入院していた。ことあるごとに周囲に毒づく大貫だったが、ある少女との出会いから、変わっていく。その少女パコは記憶が一日しか持たなかった。大貫はパコと出会っては、大事にしている絵本「ガマ王子対ザリガニ魔人」を読んであげるのだった。そしてパコのために大貫が思いついたこととは。

「下妻物語」「嫌われ松子の一生」と「パコと魔法の絵本」、今回の作品が一番泣ける内容になっているんじゃないでしょうか。トゥーマッチな映像だから成立する内容なんですよ。
原色をちりばめた美術、演劇的なオーバーアクト、極端な構図、そしてテンポのいい編集。どれもこれも磨きがかかって、余人に真似の出来ないことになっていますね。これが中途半端にリアルにやっちゃうと、「おかしな人の集まり」で全然面白くなかったでしょうね。
これまでだって演劇的オーバーアクトってのは映画でやったことはあるけど、たいていどれも無惨な結果に終わっていますからね。阿部サダヲをとってみても、あの演技がこれまで「イタイ」だけだったのが、ちゃんと劇中のキャラクターに収まっているということだけをとっても、この映画がものすごい絶妙のバランスで成立していることを感じます。

もちろんこの「パコ」も、ティム・バートンのファンタジー諸作の影響下にあるわけで、「チャーリーとチョコレート工場」には負けても、その柳の下の「マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋さん」「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」なんかより、ずっといいですよ。

で、中盤からズルズルと泣けてきて、でもやっぱり笑えて。しかもそれぞれエキセントリックなキャラクターに見せ場を用意して(一番おいしい妻夫木くん)、目配せの利いた内容になっていると思います。

ただ、ノレない人はもう最初から無理かも、というのはわからないでもないです。トップシーンのファーストカットで、「ライオンキング!?」と思って次で笑えるかどうか。ほとんどそこで決まっちゃうかな。

私は全編楽しませていただきました。劇場に結構いた子供たちもゲラゲラ笑って喜んでいたから、お子様連れの方がいいかも。でも毒もあって、本当は大人のための動く絵本だと思います。


ちょっとサービスも込めて、観るべし! をつけておきます。

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アキレスと亀

北野武監督最新作は、売れない画家を続ける男とその周囲の人々を、北野武監督本人の描いた絵を織り交ぜながら描いた「アキレスと亀」


倉持真知寿は、裕福な事業家の息子として生まれ、少年期からひたすら絵を描いていた。父が支援する画家から譲り受けたベレー帽を、真知寿は一生大事にしていく。しかし真知寿の成長とは裏腹に、周囲の人々は不幸になっていく。父の事業は失敗し、親戚の家に預けられるが、真知寿は絵を描き続ける。そして青年となった真知寿は伴侶との出会いを果たすが。

北野作品ではこれまでにないくらい、メチャメチャ普通の演出になっていてビックリ。とくに前半の少年期や青年期のパートとか、普通に切り返しとか手持ちカメラとかクレーン移動をやってるよ。(いままでだってクレーンとかあたけどね。今回は単純に説明としての演出をやっているという意味)
ところが、普通すぎて凡庸に見える。「座頭市」もかなりカット割りが普通だけど、あれはチャンバラ映画という枠があって、普通に割らないと絶対面白くないから、そうなんだろうけど。
音楽も、「DOLLS」以降は久石譲と別れて作品ごとに替わっているけど、今回の梶浦由記も、特筆するほどのことを感じない。題材的に考えても久石譲と組んだ方が良かったとおもうけどな。

で、エピソードが進むに連れて、どんどん周囲に不幸が起きて、それでも真知寿は絵を描くのを止めない。というか絵を描くことに自分が不幸であることの抵抗とか逃避とか、そういう意味づけさえもなくて、ひたすら絵を描き続ける訳です。

周囲で誰かが死んでいくたびに、真知寿の絵の手法や題材が変わっていくのだけれど、そのあたりのまるで絵画全集的になっていく展開がブラックユーモアとしてやりたかったのかな? いや、業と言うべきなのかな。どうあってもお笑いを辞められない自分なのかもしれない。

ちょっとラストはサービスしすぎと思うけど、物語的なオチはああなるしかないでしょうね。

どうしても北野作品には、初期作品の衝撃とか、「キッズ・リターン」の格好良さを求めてしまうけれど、近作をみるにつけ、映画を作ること自体が「やめるにやめられない」ことになってしまっているのかな、と思ってしまいました。

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これがプロの映画評論か?

今回の記事は、ことの性質上、以下に「おくりびと」「イントゥ・ザ・ワイルド」「闇の子供たち」のネタバレ(しかもオチ)を書いています。ご注意ください。











他人の批評にあれこれ口を挟むのは、昔ほどやる気がわかないんだけど、あんまり酷いものだと、いかがなものかと言いたくなるもの。
まあそれが素人のブログの感想なら言う気はないんだけど、プロの看板を掲げた映画評論家、映画ライターだとしたら、さすがにね。

町山智浩さんのブログ経由で、破壊屋さんのブログで指摘されていた福本次郎なる人物の映画評が確かに、こりゃ酷い。

「映画ジャッジ」なるサイトにある映画評なんだけど、これがどれもこれもなんで商売として成立する映画評なのかと思うレベル。
でも、「映画に対して自分と違う見方だから許せない」なんてことではなくて、この人の問題は、基本的にストーリーを理解していないってこと。それも「そんなこと読み間違えないだろう」と言いたくなるようなものばかり。

上記お二人のブログでやり玉に挙がっているもの以外で、ここで指摘してみます。


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その1「おくりびと」の評

>死体に触れるという「穢れ」を感じながらもカネのために続けている大吾は、

えー、モックン演じるこの映画の主人公は、納棺師の仕事を金のために「続けている」のではないことは、すぐわかるんですが。
お金の話が出てきたのは最初の面接ぐらいなんだけど、そのあと、ひたすらこの納棺師という仕事をすることに迷いながらいるんです。それが切り替わる最初のきっかけが、山田辰夫の奥さんの亡骸を納棺するところで、その仕事の意義を感じ取るんですがねえ。


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その2「イントゥ・ザ・ワイルド」の評

> 仲の悪い両親の前で優等生を演じていたクリスは大学卒業と同時に、快適な生活にピリオドを打つ。もともと複雑な事情で家庭に対する思いが希薄だっただけに、愛の足かせから逃れたかったのだろう。

「家庭に対する思いが希薄」?
希薄どころか、全編を通してこの主人公がどれだけ「本当の家族の愛」を求めていたかを描いていたじゃない。何を観ていると「希薄」って言葉が出てくるんだろう?

>衰弱し、朦朧とした意識の中で見たヴィジョンこそ、彼が捜し求めていた真理だったはず。それは両親との笑顔に満ちた再会。結局、家族という最小単位の人間関係すら拒否したクリスが、最期にたどり着いたのが家族の愛という皮肉。息を引き取る前にそれを知っただけでも彼の生涯は有意義だったと思うべきだろうか。。。

あの最後のイメージを「皮肉」って捉えるのか。しかも「それを知っただけでも彼の生涯は有意義だったと思うべきだろうか」って上目線ですか。


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その3「闇の子供たち」の評

>逆に、地獄に立ち会いながら傍観者でいなければならない苦しみに耐えかねて、南部は自殺する。結局、日本人には問題提起はできても根本的な解決はできない。南部の感じた無力感がひしひしと伝わってくる力強い作品だった。

あのー、ひょっとして、この映画のラストのオチを理解していないんじゃないでしょうか? 南部は傍観者じゃないですよ。自分がジャーナリストとしての使命と、かつ当事者であることの贖罪としての両面から、タイの闇の世界のことを追いかけるんですよ。それがクライマックスの銃撃戦の中で「自分探しのお姉ちゃん」と根底で侮っていたはずの宮崎あおいが「自分のやるべきこと」をつかみ取った態度に、実は自分の使命感が「いいわけ」にすぎなかったことに気づかされて押しつぶされるんですよ。


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それにしても、これ、映画をこれから観ようって人のためのサイトですよね。
それがラストまでネタバレで書いた上にそれを読み誤るというのはどういうことなんだろう。しかもそれをアップさせちゃうサイトって、編集者はなにをしているのかと思うんだけど。
実際、服部弘一郎や前田有一のそれぞれ自分のサイトにあげているのを、そのままコピペしているだけだから、ろくに編集なんてないんでしょう。


とはいえ、同じサイト内のなかでは、岡本太陽氏の映画評は真っ当なものでした。
(サンプル:岡本太陽氏の「イントゥ・ザ・ワイルド」評

これは、褒めてるから(or貶しているから)いいとかいう話ではなくて、読んだ人に「この映画を観ようかな(or観るのやめようかな)」と思わせるために、きっちりと作品の正しい情報を盛り込んだ紹介が出来ているかどうかということです。それがこういうサイトの目的でしょ。違うかな?

でもこのひとのも、本人のブログからの転載なのね。
ううむ、そんなことでいいのか。 いやよくない!


町山さんの9月20日の日記の中で、「未来を写した子どもたち」公開情報にあわせた、映画評論家への檄文は、もっともな話だと思います。

作品を紹介する、批評をする、社会との関係を語るってことに関して、プロを名乗るならもっと真摯であって欲しいものです。

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イントゥ・ザ・ワイルド

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ショーン・ペンによる脚本・監督最新作は、実在した青年クリス・マッカンドレスの旅の軌跡を描いたジョン・クラカワーのノンフィクションを、「スピード・レーサー」のエミール・ハーシュ主演で映画化した「イントゥ・ザ・ワイルド」


1990年、大学を卒業した一人の青年が、家族にも行き先を告げず、旅に出た。各地を転々としながら、その先に見ていたのはアラスカの大地。彼はいったい何を考え、旅先でどんな人と交流をしたのだろうか。

全てを捨てて、旅に出てみたいというのは、やはり20代には一度思うもので、沢木耕太郎の「深夜特急」とか、植村直己の「青春を山に賭けて」とか、小田実の「何でも見てやろう」とか、小澤征爾の「ボクの音楽武者修行」とか好きだった。

今作の原作は読んでいないけれど、映画からは、やはり若者の魂の軌跡が手に取るように伝わってきます。
実際はどうだったかわかりませんけど、渡る世間に鬼はなし。結構いい人達との出会いと別れを経験します。それでも彷徨えるクリスの心は、アラスカを目指すのです。

残ってたクリス本人の写真を見ると、エミール以上にショーン・ペン本人に似てるって。これ、本当はショーン・ペンが自分で演じたかったんじゃないかな。(さすがに年齢的にも無理だけど)
そんな主人公をショーン・ペンから託されたエミール・ハーシュ、「スピード・レーサー」とうって変わって、見事にクリス(旅の途中はアレックスと名乗る)になりきってますね。やっぱり役者にさ、グリーンバックの前で演技しろって言ったってね。そりゃ本物のアラスカの大地でロケをやるのとじゃ、やる気に差がでるって。


なんかねえ、この主人公みたいに、全てを捨てて旅に出たくなりますねえ。
なかなかそうはいきませんけどね。

原作「荒野へ」も手に入れたので、読んでみます。
もちろん映画も観るべし。

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青年劇場「藪の中から龍之介」

普段映画ばかりで芝居をあんまり見ていない私ですが、お誘いもあり、青年劇場の芝居「藪の中から龍之介」を観劇。(9/14)
作=篠原久美子 演出=原田一樹


ホンを書いた篠原さんの作品は、以前に同じく青年劇場の「ケプラーあこがれの星海航路」を見ましたね。
「ケプラーの三法則」(惑星の楕円軌道など)で知られる、ヨハネス・ケプラーが主人公の芝居でした。

今回「藪の中から龍之介」はあの芥川龍之介が主人公。
龍之介の死から始まる。そこに現れたのは「羅生門」の盗人、「手巾」の婦人、「地獄変」の小女房、「蜘蛛の糸」のお釈迦様、「桃太郎」の鬼の酋長、「歯車」レエン・コオトの男など総勢11名。彼らは自分たちを生み出した存在である龍之介の死の原因を探るべく、それぞれが龍之介の死の前の生活を再現する。そこに見えてきたのは、昭和の世となり、龍之介を取り巻く「ぼんやりとした不安」だった。

ある種のミステリー仕立てで、龍之介の作品の登場人物が、龍之介の周囲の人間を演じつつ、自殺の原因を探るというアイデアは面白いと思います。
台詞のあちこちにもそれぞれの作品から持ってきていて、龍之介の作品を読み込んでいけば、そのあたりはより楽しめること間違いなしです。
ただまあ、ちょっと作品が理に落ちすぎるというか、作家の自殺の原因という、ある意味絶対に答えのでないテーマを、しかもその作家の登場人物が(作品を知っていないと誰かわからない)、しかもほとんど知られていない未完の作品を劇の中心に据えるというのは、かなり冒険というか、ハードルが高いなあと思います。

龍之介の死には色々あると思いますが、未完の作品「美しい村」(堀辰雄のやつとは別で、八街村の小作争議を扱った作品)とかに持ってくるのは、うーんそうかなと。家に帰ってからざっと「美しい村」を読んでみましたが、これ、書いてみようとして出だしだけ書いてみたけど、続きが書けないままに終わっちゃった、というだけじゃないかなと、思うんですけどね。
劇中、中国での反日運動であるとか、無政府主義運動への傾倒とかを持ってきて、昭和の始まりにおける不穏な世相を、対比として描こうとしていましたが、やはり自殺という個人的なものとの対比としては、そうわかりやすいものでもないと思うんですが。

アイデアは面白いんですが、アイデアのためにかえってテーマが見えにくくなってしまったような気もします。龍之介役の人は主役だからいいとして、他役は芝居どころが見えにくかったり。「奉教人の死」のろおれんぞと龍之介の妻が二役とか、うまく機能しているようなないような。
もっとシンプルに龍之介の死の数日を描いた方が、芝居としてはより鮮明に見えたのではなかったろうかと思います。

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おくりびと

山形県庄内を舞台に、本木雅弘主演、滝田洋二郎監督が、納棺師という仕事に就いた男とその妻や周囲の人々の人生を描き、第32回モントリオール世界映画祭でグランプリを受賞した「おくりびと」


小林大悟は、都内のオーケストラでチェリストをやっていた。しかし財政難でオーケストラは解散。大悟は妻の美香を伴って、故郷の山形県庄内に帰ってきた。仕事を探す大悟は新聞の募集広告をみて、ある仕事に就くことになった。それは遺体を清め、納棺をする納棺師という仕事だった。

前から予告は観ていたのに全然話題になっていなかったので、モントリオール映画祭でグランプリを獲って良かったですね。同時期のベネチアが全然結果が振るわなかっただけに、この「おくりびと」のスポットの当たり方がまた大きくなって、二重に宣伝になったかも。

中身はとてもしっかりしている上に、ユーモアとシリアスのバランスがいいんですよ。巻頭一番、納棺師の仕事の手順を見せてくれるのかと思いきや……いや〜つかみはOKです。
納棺師の会社社長を山崎努な上、手順ビデオを作ったり、死とあわせて食事シーンもあったりと、伊丹十三監督の「お葬式」「タンポポ」を彷彿とさせてくれます。
広末涼子演ずる主人公の妻美香も好演。あくまで観客側の代表として、納棺師という仕事への誤解と理解を示す目線に立っているところが素晴らしいです。
クライマックスの広末の毅然とした台詞に涙します。

知っているようで知らない世界を、見たことのない手口で見せてくれるというのが伊丹映画の面白さのひとつだったのですが、その21世紀的引き継ぎをやってくれたといえましょう。知っているようで知らない世界を素人の目線で描く、というのが伊丹映画から周防正行、さらには矢口史靖へと受け継がれた流れなら、プロの世界を描くという形で今回の「おくりびと」がやはり伊丹映画のもうひとつの流れを受け継いだと言えます。
やはり映画表現というのは、前のランナーがいて、それを次の人間が受け継ぐものですね。

映画祭のグランプリ受賞で注目されたという方もそうでない方も、今年必見の一本。年末の賞獲りに強力な一作が出ました。


観るべし

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ウォンテッド

「ナイト・ウォッチ」のティムール・ベクマンベトフ監督の新作は、マーク・ミラー原作のアメコミを、ジェームズ・マカヴォイ主演、アンジェリーナ・ジョリー、モーガン・フリーマン出演のアクション映画「ウォンテッド」

冴えないサラリーマンとして日常をおくる青年ウェスリー。ある日、殺し屋に狙われているところを、突然現れた美女フォックスによって救われる。フォックスは闇の暗殺組織フラタニティの一員であり、実はウェスリーの父もフラタニティの凄腕の殺し屋だったというのだ。ボスのスローンはウェスリーにフラタニティの一員になるよう誘うのだが。

バーチャルじゃない「マトリックス」。冴えないサラリーマンというところから、「実はきみは凄い男なんだ」といわれて調子こくところまで一緒。なんだけど、「マトリックス」以上の超人アクションを、生身の殺し屋たちが繰り広げてくれます。
なんせバーチャル世界じゃないから、主人公のボンクラ青年(そういやあ、この人はナルニア国の羊男だったな)が殺し屋に成長するのに、特訓がまあすごいというかなんというか、結局最後は根性だね、という。根性があれば弾だって曲げて撃てるよという、なんだそれ? とツッコミを入れたくなりますが、「やれば出来るんだ」とやってみせるのがあのモーガン・フリーマンですから、何となくがんばったら出来そうな気になってきます。

スローモーションを使った過剰なアクションが、ジョン・ウーやウォシャウスキー兄弟とまたちょっと違ってて、ほとんどギャグの領域なんですね。実際ギャグも織り交ぜているし。後半のどんでん返しもちょっとやっぱりあれかと思わせてくれます。そこがベクマンベトフの持ち味であり、こうやって映画の表現技術というのは受け継がれていくんですね。次作も楽しみです。

ベクマンベトフの過剰なアクションを堪能しましょう。観るべし。

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デトロイト・メタル・シティ

若杉公徳原作の漫画を、松山ケンイチ主演で映画化する、心優しき青年がデスメタルバンドのボーカルで大暴れする「デトロイト・メタル・シティ」

シブヤ系のおしゃれなミュージシャンになる夢を抱いて大分から上京してきた青年、根岸崇一。
ところが、実際にやっているのは、ヨハネ・クラウザーII世を名乗り、悪魔系デスメタルバンドの「デトロイト・メタル・シティ」。自分のやりたい音楽とは真逆の方向性で人気をのばしていることに悩む崇一だった。

メタルはあんまり聴かないのでそのあたりのことは知りませんが、シブヤ系の勘違いっぷりはおかしくて。というか半分ぐらいはああいう「東京に出たらおしゃれな生活が」てなイメージ持ってたな。
いやあ、着メロがちゃんと「恋とマシンガン」だもんな。

原作に忠実に描くことを狙っているので、歌っている歌詞もちゃんとマンガの歌詞に曲がついてますね。そこはうれしいばかり。
DMCもよかったけど、中盤に出てくる博多のガールズバンドはなかなか良かったんじゃないかな。あれは映画用?

でもちょっと笑いのタイミングがちょっとテンポ悪い感じがして、例えば、実家でクラウザーさんが朝食を食べるシーンとか、レールを敷いてカメラを振るより、ポンとFIXで見せた方がいいと思うけど。
まあ、そこは個人的な生理というか持って生まれたテンポ感の違いなのかもしれないので、あっちが正解かもしれない。


とにかく、全員が勘違いとボケのインフレーションで進むので、こういう作品は心のクラウザーさんを降臨させて、一緒に乗って観る方がいいでしょう。

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山形は映画の都

滝田洋二郎監督の「おくりびと」がモントリオール世界映画祭でグランプリを受賞したので、一躍注目が集まってますね。おめでとうございます。


この「おくりびと」は、山形県鶴岡市(庄内)でロケされた映画。「たそがれ清兵衛」をはじめ、このところ庄内を中心に山形ロケの映画が目立ちます。
前述の山田洋次監督「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」(「武士の一分」は庄内ロケはしていない)、黒土三男監督「蝉しぐれ」、三池崇史監督「SUKIYAKI WESTERN DJANGO」、篠原哲雄監督「山桜」、曽利文彦監督「ICHI」、などなど。
「蝉しぐれ」のオープンセットを活用するところからはじまって、庄内映画村株式会社をたちあげて、撮影協力やロケ誘致に力を入れています。

山形は、かつて小川紳介監督率いるドキュメンタリー制作集団である小川プロが上山市にいたので、そこから山形国際ドキュメンタリー映画祭を開催したりと映画に対して積極的な歴史がありますね。
おお、そういえば「スウィング・ガールズ」は米沢でロケでしたね。

ここ数年、全国各地でフィルムコミッションを設立して、ロケ誘致をはかっていますけど、実績からしても、作品のできばえからしても、山形ロケ作品は一歩リードの感がありますねえ。

他の地域だと、四国が「世界の中心で、愛を叫ぶ」「機関車先生」など、山口が郷土出身の佐々部清監督の「チルソクの夏」「四日間の奇蹟」「カーテンコール」などかつての大林映画における尾道のような感じだし、北九州が「ALWAYS 続・三丁目の夕日」「ザ・マジックアワー」「K-20 怪人二十面相・伝」などがロケされて目立っているかな。


庄内は、藤沢周平作品の映画化から、時代劇映画のイメージが強いけど、今回の「おくりびと」がヒットしたなら、現代劇ロケでも使われるようになるかもしれません。


実は、今月号の月刊シナリオに小山薫堂さんの「おくりびと」シナリオが掲載されていたので、読んでしまいました。いやもう、シナリオでこれは傑作だ、と思いましたよ。
観るべし! ですね。

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20世紀少年

浦沢直樹原作の科学冒険マンガを、唐沢寿明主演、堤幸彦監督、全3部作にて描く「20世紀少年」第1章


コンビニの店長をやっているケンヂの身の回りでは不可解な事件が起きていた。さらに謎の宗教団体“ともだち”が勢力を伸ばしていることを知る。小学校の同窓会で、ケンヂはその“ともだち”が語っている予言が、かつて自分が仲間達とつくった「よげんの書」と同じ内容であることを知る。ここから、ケンヂと仲間達は、地球を救う戦いに挑むのだった。

よかったねえ、ちゃんと「20th Century boy」使っているよ。予告でわかってましたけど、これが使えないんだったら、「20世紀少年」にならないからねえ。

映画の出来には賛否両論あるようですが、わたしは可もなく不可もなくというところでしょうか。特に原作に思い入れがあるわけでもないですが、そんなに意味不明なわけでもなくだいたいわかりますよ。
諸手を挙げて「良い」というわけではないですし、長大な原作の展開を交通整理するので手一杯のなかにも、それっぽく原作に近い印象的カットを織り交ぜて原作ファンも楽しめるように苦心した2時間半。次作への橋渡しもあり、そこそこ楽しめます。

最終的判断は、完結編の第3章までおあずけということで。
なんかね、最後、ともだちの正体が原作と違うんじゃないか、って気がするんだよなあ。根拠はないけどね。

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闇の子供たち

阪本順治監督の最新作は、江口洋介、宮崎あおい、妻夫木聡といった人気俳優を揃えながら、タイの児童売春や臓器売買といった闇の世界に迫る「闇の子供たち」

タイの支局で働く新聞記者南部は、日本などの子供の臓器移植のために、タイの子供達が売買されていることを知り、その闇ルートを追うことにした。日本から来た音羽はタイのNGOでボランティアをするうち、南部達と共闘するも、その目の前に広がるのは、闇の世界で売買され、監禁されながら児童売春されるタイの子供達の現実だった。


重い。
フィクションとはいえ、単純な断罪では済まない状況が描かれ続ける、2時間20分。結構どぎつく、演技とはいえ出てくる子供達は大丈夫なのかと思うシーンが続出。(撮影ではかなり子供達へのケアに気をつかったらしいが)
臓器売買にしても、子供の臓器を求める親側の切迫した状況と、貧困故に貧しい国の子供が犠牲になる構図、そこで暗躍する闇の世界の大人達。いや、闇でさえなく、同じ光を浴びている「たった20センチ」の距離の世界の出来事なのだ。
血塗られているのは彼らのみならず、それを求める私たち自身なのかもしれないのだ。それを知らしめる重いエンディングまで、ひとときたりとも目が離せない。
テーマがテーマだけに役者みなも気合いの入れようが違うし、主演の江口洋介はこれで主演男優賞獲りますね。江口洋介の記者仲間である豊原功補も、最近のドラマの演技とはまったく違う抑えた本気度。
演出も編集もベストで「なんでここでこのカットが入るんだ?」と思っていたら、ラストでやられました。本当に叫び声を上げたくなります。

おそらく今年のキネ旬ベストワンあたりは間違いないでしょう。どうしてこれをベネチアでやらないのか? ポニョとかスカイ・クロラとかじゃないでしょう。

今年観た日本映画の中では、私は「歩いても 歩いても」から暫定1位を奪取して、これですね。
シネマライズから拡大公開されて、全国で順次上映のようですので、必見。

観るべし! 観るべし! 観るべし! 観るべし! 観るべし! 観るべし!
絶対観るべし!

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TOKYO!

ミッシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノという三人の監督による、現代東京を舞台にしたオムニバス映画「TOKYO!」

ミッシェル・ゴンドリー「インテリア・デザイン」
自主映画を作って上京してきたアキラとヒロコ。二人は高校の同級生のうちにやっかいになりながら、上映会をやったりバイトしたり、部屋を捜したり。映画を作る夢をもったアキラはまだしも、ヒロコにはこれといってやりたいことがない。そんなヒロコの身体に……。

まあ、ゴンドリーと彼女の話をフィクション化しました、といわんばかりの映画。こういう場合、男がバカで何にも出来なくて、という話になりそうなのに、そっちの役割は彼女の方の話になっているのね。おいおい、なんかカッコつけ過ぎじゃないかい?>ゴンドリー。
大概こういう男に限って、彼女がいなくなったらメソメソするもんだろうよ。

レオス・カラックス「メルド」
マンホールのふたが開き、そこから隻眼の男が現れた。銀座の街でさんざん暴れ回り、またマンホールを開けて地下に消えていった。人々は男をいつしか「下水道の怪人」と呼びおそれるようになったが。

ぶっちゃけカラックス版ゴジラ。カラックス作品の主役、ドゥニ・ラヴァンが暴れ回ります。いやあ、等身大なのに怪獣映画として成立するとは思いも寄りませんでした。だからなんだといわれれば、まあ怪獣映画ですから。

ポン・ジュノ「シェイキング東京」
10年間引きこもりを続けた男。たまにあうのは、配達にきた人間と玄関でやりとりするぐらい。でも配達にきた人間とも絶対に目を合わせない。毎週土曜日に注文していたピザを配達にきた店員に声をかけられ、つい目を合わせてしまう。そのピザ屋の店員は、色が白くてとても美しい少女だった。そこへ地震が起き、彼女は玄関で気を失ってしまう。さて、どうする?

主役の引きこもりをやっているのが香川照之ですが、大半一人芝居で芸達者なところを見せてくれます。そして相手役の蒼井優ちゃんは、確かに引きこもりをやめて追いかけたくなるほどカワイイです。
そんな優ちゃんを……優ちゃんを、岡田ぁ~、あいあい傘なんてうらやましいぞ。

……ということはともかく。
二人芝居かと思っていたら、不意打ちを食らうぐらい、おお、こんな人やあんな人まで出るとは。


全体を通すと、東京を舞台に、日本人の役者を使って、日本のスタッフで撮るといっても、やっぱりそれぞれの個性は残りますねえ。
今回の中で一番好きなのはポン・ジュノ作品ですが、あわせてゴンドリーやカラックス作品を一緒に観るチャンスもないでしょうから、是非ご覧ください。でないと下手すると次のカラックス作品なんて、いつのことやらわかりませんからね。

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