書籍・雑誌

2008.05.07

岡田斗司夫「オタクはすでに死んでいる」

作家・井上ひさしは、右翼から抗議が来たとき、ひるまず「あなた、歴代の天皇の名前(追号のこと)、全部言えますか?」といって、歴代天皇の名前を神武から全部言ったそうな。それで相手はひるんで帰っていったとか。
井上ひさしの博覧強記ぶりと見事な切り返しとして知られる有名なエピソードだが、この話にはひとつの了解事項がある。
「右翼たるもの歴代天皇の名前ぐらい知っているものだ」ということだ。

さて、本題。
オタキング岡田斗司夫の「いつまでもデブと思うなよ」に続いて、新潮新書から出たのは、2006年5月24日に新宿ロフトプラスワンで行われたイベント「オタク・イズ・デッド」の内容をもとに、大幅に加筆修正した「オタクはすでに死んでいる」

岡田氏自身が最近触れた今のオタク青年のふるまいが、かつて自分たちの共通理解としていたオタクとは違っていた。そこから現代の「オタク」の変質し、オタクというものは死んでしまった、という内容。
便宜上(かなりエクスキューズを入れているが)オタクを世代に分けて、岡田氏自身の40代半ばの世代をオタク第一世代。80年代後半から90年代にかけて青春の20代終わりから30代半ばの第二世代。そして現在の20代前半を第三世代としている。そしてもっとも第一第二世代と、第三世代との間に溝が出来ていること。

だいたいオタクって「自分の好きなものをとことん追求せずにはいられない人」ぐらいの定義だったんですね。だから人によってはそれがアニメかもしれないし、鉄道かもしれない、映画かもしれない、ミリタリーかもしれない。もちろんジャンルの横断はあります。ミリタリー好きで戦争映画ばっかり観ているオタク、なんてのは当然います。
もうひとつのお約束として、とりあえず他ジャンルのことに無茶に侵犯しないということがあります。鉄の人が知らない人に埼京線の絶景撮影ポイントを説明してくれる(この場合撮り鉄だっけ)ということはありますが、だからといってその人がアニメオタクを攻撃はしません。ただし、同じ撮り鉄だったら、同好の士しての了解事項と目に見えない鉄の掟が存在します。
SFオタク同士なら「サンリオSF文庫は基礎教養として全部読んでて当たり前」みたいな。ああ、なんか懐かしい会話ですねえ。

ところがいつの間にやら、オタクというのは美少女ものが大好きでメイド喫茶で「萌え~」というような、テレビで出てくるようなステレオタイプなものになって、しかもそれをなぞるような若者がメインになってしまった。
(私なんかは美少女アニメとか欠片も興味がないのですが)まあそれはそれでいいんですが、問題はそれが全てで、他者に対して排他的な態度になっていくのですね。

美少女アニメが好きならそれで良いと思うんですけど、一応それ以外にも「自分の好きなもの以外のオタク世界があること」ぐらいは了解しておいていいんじゃないでしょうか。それでだいたいのトラブルは解決しますよ。

思うのは、第三世代は異様に歴史の認識が浅い。というか歴史がなくて「今」しかない。
美少女アニメだと、それこそ「リボンの騎士」から始まって、魔法少女もの「魔法使いサリーちゃん」とか「魔女ッ子メグちゃん」とかから「魔法のプリンセスミンキーモモ」「魔法の天使クリィミーマミ」みたいなところがあって、「美少女戦士セーラームーン」から現在の隆盛があるはずなんですが、もう通じないですね。 (ここまで、素でタイトル書けちゃったよ)
とにかく今、自分の好きなもので完結している感じ。
漫画が大好きという若者に「ドラゴンボール好き?」と訊いたら「何ですかそれ」と言われちゃったことは自分の世代だと最近よくあるわけですよ。
格好いいイケメンアニメが好きだというから「サムライトルーパー」「幽遊白書」を持ち出しても「なにそれ? しらなーい」みたいな。
知らなきゃ知らないでいいんだけど、「じゃあ読んでみようかな」みたいなものがなくって「私は私の好きな○○がいいんです! 放っておいてください」というようなATフィールド張りまくって全拒絶かい、っていうような態度をね。
これを「自分の気持ち至上主義」と本書中で書かれています。


で、ここで話は冒頭の井上ひさしに戻ります。
最初の「歴代の天皇の名前を言えますか?」というネタの根底には、「右翼を名乗るなら歴代天皇の名前を全部言うことぐらい出来るはずだ」という暗黙の了解と、「それを敵だと思っていた井上ひさしに軽々と言われちゃって恥ずかしい」ということが前提なわけです。だから抗議に来た右翼もすごすごと帰っていったわけです。
ところが、これがオタクのみならず第三世代になるとどうか。おそらく歴代天皇の名前なんて知らないし、それ以前にそれが意味することも理解できないと思います。「天皇の名前が言えないからそれがなんだ。そんなことよりとにかくお前が気に入らない」といって刺しちゃうかもしれない。いやー可能性ありそうだなあ。

今の日本は、排他的で自分のその時の気持ちだけが肥大化した社会ではないでしょうか。
ともかく、今の日本を覆っているイントレランス(不寛容)なありよう。
凶悪事件をことさらに煽り、極刑を望む報道。でも裁判員制度の開始に伴って「でもそんな面倒くさいことやりたくない」という感じ。
やれ「反日だ」「ブサヨ死ね」とネットで書き込むものの、真っ当に日本の歴史もよく知らない、それを指摘されると逆ギレする人たち。

まあ、自分の世界だけじゃなく、他者の世界もあるって認識すること。
自分の好きなものがあるなら、もうちょっと(自分が好きなものなんだから)歴史を学びましょうということです。
そのふたつがあれば、もうちょっと世間は良くなると思います。


と、この本を読んで、そんなことをつらつらと考えてみたのでした。

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2008.04.28

北方謙三「水滸伝」全19巻を読むべし!

2008年4月に、集英社文庫で毎月刊行されていた北方謙三「水滸伝」の最終19巻が出た。
昨年秋から読み続けていたのだけれど、これで読み終えたので、まとめて感想を。

「水滸伝」と言えば、北宋末期を舞台にした、梁山泊に集いし百八人の豪傑たちの物語。とはいえ、真っ当に読んだことはこれまでなく、横山光輝の漫画版ぐらい。
とはいえ、「三国志」は吉川英治も横山光輝の漫画版も面白かったけど、「水滸伝」はそんなに面白くなかったような。
それもそのはず、元々の話自体、リーダーの宋江そのものがあんまりリーダらしくない上に、反乱を始めたのに、帝から認められるといそいそと地方征伐に乗り出して最後は死んでいくという、なんだかなな終わり方。

が、この北方謙三版「水滸伝」は違う!
原作にあった伝奇要素は影を潜め(というか道術とか超能力みたいなのは北方水滸伝の登場人物は使わない)、豪傑たちを一人一人リアルな設定に肉付けしてある。宋江は結構な女好きのリーダー。林冲は凄腕だけど、妻への愛をひた隠しにしていたものの、奸計にはまって妻を殺された悲しみを背負って生きる。呉用は頭は切れるが、それ故に他の軍人たちから疎まれる。
魯智深はなんと、諸国を回って、見込んだ漢を梁山泊へスカウトしてまわるのだ。
と言った具合で、宋と闘う梁山泊の豪傑たちという大枠と、各キャラクターの名前を借りて、再構築されているのだ。
そこで、百八人の豪傑たちは登場しては片っ端から死んでいく。
実は、名うての書評家たちの絶賛の声を聞いて、それなら読んでみようかと思って昨年秋あたりから手をつけ始めたものの、最初の数巻は設定の変更とか「へえ、なるほど」と思った程度で、のめり込むほどではなかったのだ。
それが5巻で物語が急展開するあたりから、TOPギアに入って、あとは怒濤の読書三昧。そこでなんか懐かしいなあという気がしたのだ。
そう、これは「銀河英雄伝説」だよ!

いや、話は逆で、「銀英伝」が「三国志」「水滸伝」といった中国大河小説をもとに、田中芳樹がスペオペにしたのであって、それを(多分北方謙三は意識せずに)隔世遺伝的にオリジナルの「水滸伝」にしたのだ。
だから、前半のクライマックスである二竜山の攻防戦は、完全にイゼルローン攻略戦に思えてくるし、つまり5巻の展開は、「銀英伝」における2巻のラストなわけですよ。ええっ! そんな! なことになります。

で、「銀英伝」が後半ユリアンの成長物語であったように、北方水滸伝は、青面獣楊志の息子として登場する、オリジナルキャラクター楊令の成長物語となってきます。最後の戦いに間に合わせて、梁山泊に降り立った楊令に、「待ってました!」の声もかけたくなります。

対する敵もさるもの。ここは完全にオリジナルな青連寺という諜報組織が政府を操り、梁山泊軍との死闘を繰り広げます。ここでも、高俅をはじめとするキャラクターがなかなかの憎き悪役ぶりを魅せてくれますが、なんといっても一番は、後半青連寺を率いることになる李富。「銀英伝」におけるオーベルシュタイン。こいつは梁山泊を壊滅させることに全てを捧げますが、そこに至るプロセスがこれまたすごい。つい応援したくなるんですよ。

そして最終3巻は、圧倒的な力で梁山泊を追い詰める童貫との死闘に次ぐ死闘。バタバタと死んでいく漢たち。

怒濤の戦場の中で終わりを迎える物語。しかし、話はここで完全に完結はしない。数々の複線は、楊令を主役にした続編、その名も「楊令伝」に引き継がれていくのです。(全10巻予定。現在第5巻が出たばかり)

先にネタバレから言うと、おそらく、史実の北宋の滅亡までの10年を、この「楊令伝」で描くのでしょう。ということは、北方謙三は革命の実現を描いちゃうってことではないでしょうか。
待ちきれないから、読み始めようかなあ。>楊令伝


ともかく、週1冊ペースで半年近くは楽しめること間違いナシの北方水滸伝。掛け値なしで読むべし!!

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2008.03.19

大崎善生「聖(さとし)の青春」

「ハチミツとクローバー」の羽海野チカの新作漫画「3月のライオン」は、プロ棋士になった少年の物語。主人公のライバル役の青年が、将棋好きなら誰でも知っているであろう、夭折した村山聖(さとし)八段をモデルにしている。
なんとなく懐かしくなって、大崎善生のノンフィクション「聖(さとし)の青春」(講談社文庫)を読んだ。
本書の存在は知っていたし、たしか藤原竜也主演のドラマも覚えているが、実際に読んだのは、はじめてだ。


“泣ける本”というのは、よくある惹句ではあるけれど、本当に「泣きながら読まされてしまう」本というのは、そうそうあるものではない。30代半ばになってそんな読書をするとは、思いもよらなかった。
棋士村山聖(さとし)八段の、29年の生涯を描いたノンフィクション「聖の青春」は、巻頭から読み終わるまで、病と闘い、将棋に命を削った村山聖の生き様に打ち震えてしまう。

幼少時にネフローゼという難病を抱え、それ故に常に死と隣り合わせの生活を余儀なくされた少年村山聖。気に入らないことがあれば献身的に支えてくれている両親にさえ横暴としかいえない行動をとる聖。その聖に唯一生きるすべを与えてくれたのが、将棋だったのだ。将棋盤の上ならば誰とでも対等に渡り合える。ものすごい勢いで将棋を覚えていく聖。
聖の目標は、当時21歳で名人位となった、天才・谷川浩司を倒して名人になること。それだけを望むのだ。
終生、聖を支え続けた師匠森信雄との出会い。自分の身の回りのことさえおぼつかないこの森が、丸々とした顔の中学生と生活を共にし、食事をさせ、洗髪し、洗濯までする。うまくいかないときは口癖の「冴えんなあ」とつぶやく森。
無類の強さを誇る聖であるのに、理不尽ともいえる理由で奨励会入りを一度は拒まれる。病でいつまで持つかわからない身体の聖にとって、それがどれだけ手ひどい仕打ちであったことか。
奨励会入りを果たし、頂点への階段を駆け上がっていく聖。すべてを将棋のために捧げ、対局に集中するために身体を動かさずにじっと温存する。それでも対局が終われば倒れ、病院に担ぎ込まれる日々。
そんな聖の前に、次々と現れるライバルたち。しかし聖にとっては本当に倒すべき相手は谷川浩司ただ一人。
そこにさらなるライバルが現れる。羽生善治。後に七冠を達成し、将棋界を超えて全国にその名を轟かせるこの青年が聖の前に立ちはだかるのだ。
それでも残る力を振り絞って将棋を指す聖に、残り時間はそれほど無かった……。


改めて気がついたのだが、村山聖は自分より2歳上、その生きた時代はまさしく自分の10代20代の頃を思い出していた。そうだった、確かにあのときの谷川浩司は天才以外の何者でもなかったし、それを上回る羽生善治は神の世界からやってきた人間だった。
一方、マンガ「さすがの猿飛」の主人公にそっくりなことからついたあだ名が「肉丸君」の村山聖も、その愛嬌から人気があったのだ。
血を吐くような(文字通り)将棋を指していた村山に、著者大崎善生が寄せる愛情が、行間からにじみ出てくる。なぜなら当時月刊「将棋世界」の編集長だった著者も、村山を愛し、世話をした一人だったからだ。何とかして村山聖が生きた証を残さなければという思いが駆り立て、この本を書かせたのだ。
その後著者は「パイロットフィッシュ」「アジアンタムブルー」などの小説を書くが、その作家・大崎善生を生み出したのは、村山聖なのだ。

時に両親につらく当たり、友人でありながらもライバルとして闘う棋士に横暴とも言える言葉を吐く聖。それもこれも生きるため、全ては将棋のため。
最大のライバルとなった羽生を行きつけの定食屋に食事に誘う村山の姿は、まるで恋する乙女のようだったという。なんといじらしいことか。

しかし、時間が足りない。あとちょっとで名人に手が届くのに、病魔が聖の身体をむしばんでいく。
読みながら思った。神様、村山聖を勝たせてやってください、名人にしてやってください。ひょっとしたらページをめくれば奇跡が起きて、村山が谷川を、羽生を、佐藤康光を倒して、名人になるシーンが読めるのではないかと思いながら。
そんなことがありえないことを知っているはずなのに。わかっていながら、最後のページまで目が離せない。最期の瞬間のその時まで。

平成10年8月8日村山聖八段永眠。享年29歳。
あれから10年。


読むべし。

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2008.03.17

瀬名秀明「Every Breath / エヴリブレス」

瀬名秀明の新刊は、ラジオドラマ用の原作として書かれた、ある女性の100年の人生と、三代にわたる愛の物語「Every Breath / エヴリブレス」


八歳の杏子は、二歳年上の洋平と奈良の大和郡山を駈けていた。そこで見た空に輝く<帚星>。ここから100年にわたる杏子の人生と、彼女から受け継いだ子供、孫の物語は始まる。成長した杏子の前にアーティストとして“洋平”が現れるのだった。

TOKYOFMのラジオドラマ用原作として書かれたので、女性が主人公のラブストーリーではあるし、文体も意識的に読みやすく、そこかしこにラジオドラマ用にBGMが指定してある。けど、そこはそれやっぱり、ひとクセもふたクセもある話になってます。

最初は設定を聞いたとき、「千年女優」か? と思ったけど、ちょっと違った。また、タイトルから想像してiPodでThe Policeを聴きながら(「Every Breath You Take(見つめていたい)」ですね)読んでいたんですが、それも違ってた。
大ネタ部分としてはグレッグ・イーガンがラブストーリーを書いたらこうなるというかなんというか。
いやもうなんていうか、わかる人にだけ伝わる書き方をしますが、瀬名秀明版「電王」なんですよ。愛理と桜井ですよ、これ。あれは特異点なのか。

瀬名さんの「八月の博物館」「虹の天象儀」ラインのリリカルな世界観の物語の集大成と発展形ともいえ、クライマックスで不覚にもグッと来てしまいました。一般的には上記2作品よりもオススメしやすい作品じゃないかと思います。

しかしまさか宇宙館が出てくるとは思わなかったなー。


リンク先で、ラジオドラマも聴けるみたいですし(Macだと聴けない)、そちらでもお試しあれ。

読むべし!

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2008.02.29

スラデック「蒸気駆動の少年」発売記念トークショー

河出書房新社から出ている<奇想コレクション>の最新刊、SF作家ジョン・スラデック短編集「蒸気駆動の少年」の発売記念として、2/24にオリオン書房立川ノルテ店にて、柳下毅一郎さん、大森望さん、法月綸太郎さんのお三方でのトークショー&サイン会が行われたので、行ってきました。


これが青山ブックセンターなら、わざわざかもしれませんが、私にとっては近場の立川。それにお三方を近くで見られるなんてそうそうないかもしれない。そりゃ行くでしょうってことで。

そもそも、今回のお題になっているジョン・スラデックという作家なんですが、そういやあ「見えないグリーン」って本格ミステリがあったなあと。SFよりもミステリ作家として(といってもこの「見えないグリーン」しか読んでないけど)しか知りませんでした。
今回の「蒸気駆動の少年」は、そのスラデックの短編を、柳下毅一郎さんが編集、訳者の一人として大森さんが参加されています。メッチャ分厚い本に仕上がってます。

上記お三方なので、どういう話になるのかなと思ったら、個人的な予想を覆し、前半は法月綸太郎さんによる“ミステリ作家としてのジョン・スラデック”を語ってました。実は学生時代「密閉教室」「頼子のために」はものすごく大好きで、あこがれの作家さんだったのですよ。だから何を話しているかより、動いている法月さんが見られてうれしいなと。
それに対して、大森望さんは“変に凝りまくるSF作家としてのスラデック”を語り、一方の柳下毅一郎さんは“なんでも手を出しては凝りまくるスラデック”を紹介するといった形。
例えば13星座目“蜘蛛座”の証明をする占星術のトンデモ本を変名で書いていたり、推理パズル本を書いたり、はたまたUNIX用のエディタのマニュアルなど、なぜそんなものを? と思うような奇天烈なものが出てくる出てくる。

トークショーには、訳者のお一人でもある風見潤さんも飛び入り参加。客席には円城塔さんもいたらしいです。
実のところ、お三方の話を聞けて、家から持ってきた本にサインがもらえればいいや、と思っていたのですが、話を聞いているうちにものすごく読みたくなって、結局「蒸気駆動の少年」を買ってしまいました。

トークショー後のサイン会で、柳下毅一郎さんには「蒸気駆動の少年」と映画評論集「シネマ・ハント」に、大森望さんには「蒸気駆動の少年」と「文学賞メッタ斬り!」に、法月綸太郎さんには「ノーカット版 密閉教室」に、風見潤さんにも「蒸気駆動の少年」にサインをいただき、結局、手元の「蒸気駆動の少年」には、お三方のサインを書いていただきました。

ところで<奇想コレクション>にはロバート・F・ヤングの「たんぽぽ娘」が予告されていて、これをすごく楽しみに待っているんですが、はてさて、いつ出るのやら。


「蒸気駆動の少年」の読書感想はいずれ。

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2008.01.17

安原製作所回顧録

こりゃ、メチャメチャ面白い本を見つけた!

あなたが「あの○○会社の○○が欲しい」と思ってものを買う場合、その製品がどのように考えて企画され開発され、製品となり、どのような方法で販売され、店頭で見かけるのか、考えることは少ないし、それを一目でわかる形で紹介されることは少ないだろう。

しかし、その一連の流れが“カメラ開発・製造・販売”という形で明かされる一冊。
安原伸「安原製作所回顧録」(えい文庫)(“えい”は木偏に世と書く)


かつて“安原製作所”という名前のカメラメーカーが存在した。
この本は、有名カメラメーカー技術者だった筆者が、退社後たった一人で企業を立ち上げ、フィルムカメラを開発し販売し、そして消えていった1998年から2004年までの激動の記録を、当人自らが筆を執った回顧録である。

1998年当時、カメラ雑誌に掲載されたクラシカルなデザインのカメラを記憶している。“安原一式”という名のそのカメラは、たった一人の技術者が立ち上げた会社で開発し、中国の工場で生産し、ネットで販売するというものだった。これに多くのカメラマニアが注目し熱狂した。
大きな企業で開発され、性能的には申し分のないカメラが市場にあふれていたのに、このカメラになぜ魅せられたのか? そこには「複雑になってしまった世界にたった一人で立ち向かう」ロマンを、多くの人がこのカメラ開発に感じたからに違いない。
とはいえ、このカメラは、発表時の熱狂と裏腹に、実際の販売成功とまで行かず、会社も短命に終わってしまった。その実情と、デジタル化への波が押し寄せたカメラ業界の激動、中国工場での開発生産に巻き起こる苦難の道のりが、冷静な筆致で明かされていく。

筆者が開発から販売、取材までをこなした(たった一人の企業なので当然といえば当然だが)ことで、「メーカーがものを作って売るまでの考え方・行動のあり方」がこの一冊で見渡せるようになっている。これがニコンやキヤノンなどの有名メーカーの「ヒット商品開発裏話」では、その企業の大きさ故に決して描かれなかった部分であり、類書では味わえない面白さになっている。

のみならず、メーカーと、販売小売業と、カメラマニアというものの存在によって持ちつ持たれつ生きてきたカメラ業界全体の構図、それが一気に変革した20世紀末から現在までの様子も、それぞれ冷徹な筆で腑分けされる。
なぜ、メーカーにはブランド名が必要なのか、開発にかかるコストとは、マニアの言い分がいかに的外れなものでありながら、そのマニアがいなければ成り立たない業界とはいったいどんな世界なのか。

あなたがカメラ好きか、メカ好きか、はたまたメーカーというもののあり方に興味があるならば、是非手に取っていただきたい一冊。
いや、これは「ものを作って売る」行為に関わる人、「あのメーカーのブランドにあこがれてものを買う人」全てが読むべき本である。

超オススメ。買って読んで、絶対損はさせません。

読むべし!

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2007.12.11

万年筆「ALWAYS」

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先日、本屋さんで「Lapita」1月号を購入。
「Lapita」は毎年恒例のミニ万年筆が欲しくて、このときだけ買うのです。(写真1)

たしか2005年が「檸檬」(梶井基次郎)をモチーフに黄色のペン軸、2006年が「赤と黒」(スタンダール)をモチーフに赤と黒のツートン。今年はなんと!「ALWAYS 続・三丁目の夕日」をモチーフに作られたその名も「ALWAYS」。夕日のオレンジ色のペン軸。

最初の「檸檬」は買いそびれて入手出来なかったのですが、第2弾の「赤と黒」は気に入ってちょっとの間使ってました。(写真1の真ん中の万年筆)
まあオマケにしては使えるね、というところ。

で今回の「ALWAYS」も早速使ってみました。(写真2)
ペン軸が今回細くなりましたね。慣れるまでにちょっと時間がかかるかな。
これで気分は茶川先生です。小雪求む。

今、普段使っているのは、ペリカンの子供学習用万年筆“ペリカノJr.”(写真1の一番下)。

子供が使いやすいようにということで、握りのところが指が正しくそえるようになっている。書き味もいい。へんに高い万年筆より、お得です。
伊東屋とか輸入文房具を買えるところなら入手できます。オススメ。

それにしても、なんとこんなグッズまで出来るとは。
恐るべし!>「ALWAYS 三丁目の夕日」

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2007.11.30

仙台があつい!

Jojoandisaka
本屋さんで、ユリイカ11月臨時増刊号「荒木飛呂彦」特集を購入。
ユリイカなのに、週間ベストセラーランキング入りしたからねえ。凄いぞ荒木飛呂彦。しかも昔「ジャンプ」で写真を見たときから容貌が変わってない。やっぱり波紋の力? それとも石仮面の力?
まさかユリイカでスタンド事典を読むとは思いませんでした。

あれは小学校六年生のとき、荒木飛呂彦のデビュー連載「魔少年ビーティー」が10週打ち切りで終わったとき、担任の先生(川嶋先生)が、

「こいつはいずれ凄いものを描く漫画家になる!」

と、なぜかホームルームの時間に宣言していた。(なぜそんな話になったのか覚えていないけど)

あれから四半世紀。「バオー来訪者」を経て、「ジョジョの奇妙な冒険」が連載開始されたとき、「あ、あのとき川嶋先生が言っていた『凄いもの』ってこれなんだ」と確信したのを覚えている。
第二部第三部は本当に大好きでしたねえ。あれを読んでドイツの技術力は世界一なんだ、と思ったり、カーズの正体はバオーじゃないかと思ったり。(バルバルバルバルバルバルゥ!)

第四部までは読んでいたんだけど、五部以降は正直ついて行けなくなって「ストーンオーシャン」「スティール・ボール・ラン」はほとんど読んでいません。第四部も三部までに比べるとそれほど好きではないけど、あのサバービアな感じは、今の方がより伝わりやすいかも。

で、その第四部を舞台に、乙一が小説化。杜王町でオリジナルスタンド“The Book”が登場。読みましたが、乙一らしく、ちょっとひねったミステリ仕立て。
杜王町って仙台郊外の町なんだよね(荒木飛呂彦は仙台出身)。具体的にはどのあたりをイメージしてるんだろう?

もう一つ、仙台在住の作家、直木賞に一番近い男伊坂幸太郎の新刊「ゴールデンスランバー」も出ました。こちらはストレートに仙台を舞台にした「ダイハード」+「逃亡者」+「JFK」だそうで。これから読みます。

しかし仙台は作家多いなあ。
わが福岡も出身の作家、在住の作家(夏樹静子、原尞など)は多いけど、芸能人の数はもっと多いから、イメージとしてはそっちの方が強いかも。つまり表に出てパフォーマンスする方が好きってことか。>博多もん

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2007.11.14

「映画監督 舛田利雄」舛田利雄 佐藤利明・高護 編

日活の裕次郎映画「赤い波止場」「赤いハンカチ」、を皮切りに、渡哲也の「紅の流れ星」、吉永小百合の「あヽひめゆりの塔」、70年代は「トラ・トラ・トラ!」「人間革命」「ノストラダムスの大予言」といったスペクタクル映画、一方ではアニメ「宇宙戦艦ヤマト」劇場版を手がけ、80年代は「二百三高地」「大日本帝国」といった超大作戦争映画と当時にたのきん映画まで手がけるというフィールドの広さで、常に日本映画の第一線で活躍してきた映画監督・舛田利雄。
これだけジャンルが多岐にわたれば、いずれかの作品のどれかを観たという人は多いはず。
にもかかわらず、監督自身が前に出て作品を語る機会というのは、他の監督に比べればずっと少なかったのではないか。それは常に「撮り続けること」で証明し続けてきた活動屋としてのプライドであったに違いない。

今回、デビュー作からの全作インタビューによって、その全貌があきらかになった労作「映画監督 舛田利雄」

リアルタイムで観た70年代80年代の作品にも興味が行くが、舛田監督自身がこだわるアウトローへの思い入れ、また映倫の手で“不完全な”形で公開されてしまった「完全な遊戯」のテーマが、後の「大日本帝国」などの戦争大作映画へ繋がっていくダイナミズム。この話だけでも「完全な遊戯」を観たくなる!

また、近年新証言によりそのベールが剥がれつつある黒澤明監督降板のハリウッド大作「トラ・トラ・トラ!」も、舛田利雄監督からの目線で語られると、これもまた全く違う視界が開けてくる。しかもこれまた黒澤監督と、「二百三高地」の主演である仲代達矢を巡って因果がまわる。

面白いのは、組んだ脚本家の相性が良いかどうかはその力量(いずれも名を残す名脚本家ばかり)とは関係ないところ。もちろん良く書けているかは重要だけど、監督としては地味なシーンばかり書かれたのではつまらない。とはいえ、そこを何とかするのが娯楽映画監督の腕の見せ所なのだろう。

どんな役者でも良いところを褒めて言及するあたり、さすが監督。だからこそ現場で慕われるんだなあと。

第一線で走り続けた映画監督の自負がみなぎる総528ページ。読まずに過ごすは映画好きの名折れとなろう。

「昭和の劇 映画脚本家・笠原和夫」
「映画監督 深作欣二」
「遊撃の美学 映画監督中島貞夫」
「映画の呼吸 澤井信一郎の監督作法」

と合わせて読むと、2500ページを超える怒濤の厚さ。いや、なかなかどうして、映画人たちの熱い血潮を感じるべし!

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2007.10.08

切通理作「情緒論——セカイをそのまま見るということ」

怪獣使いと少年」「お前がセカイを殺したいなら」などの評論をものにした切通理作さんの最新批評集「情緒論——セカイをそのまま見るということ」を購入。
10/7に三省堂書店神田本店で刊行記念トークショー(切通さんと阿部嘉昭さんの対談)も行われたので、行ってきました。

情緒論、というので情緒をどう論旨展開するんだろうと思っていたけれど、よくよくタイトルを確認したら、「セカイをそのまま見るということ」とちゃんとついているではないか。
この評論内で扱われる人物や作品は、柳田国男から小林秀雄、川端康成からつげ義春、ウルトラマンからAV、中平卓馬やホンマタカシ、「ALWAYS 三丁目の夕日」から「時をかける少女」、果てはギャルゲーにいたるまで、縦横無尽に語られていく。
冒頭に「バカの壁」「国家の品格」といったベストセラー本を紹介し、そこにある「ありのままの世界を見る」ということと、近くて違う「そのまま見る」ことを語っていく。
「ありのままの世界を見る」といいながら、そこに私たちが見ているのは「あって欲しいと潜在的に思っている世界」なのだ。
だから私たちは「国家の品格」に溜飲を下げ、「ALWAYS 三丁目の夕日」に涙してしまう。
ところが、これらの作品を賞賛する際も、批判する際も、人は作品を見ていない。これらの作品は「自分が見たいと思っているもの」を投影してしまうのだ。だから作品を褒めて(けなして)いるようで、実は「最近の若者の態度が気に入らない」とか「昔の生活はああだった」と自分を語ってしまう。
作品に自分を語れる隙間を持っているところが、ヒットの要因なのかもしれない。

といっても、「国家の品格」などとこの情緒論が決定的に違うのは、最大公約数的に「見たいと思っているありのままの世界」とは思われないないものに、「なつかしい」ものを見いだそうとしているところだ。それは柳田国男が講演で残した子殺しのエピソードのある瞬間であったり、川端康成やつげ義春のエロの瞬間であったりする。そこにいいようもない「切なさ」と「なつかしさ」を感じる瞬間を提示してみせる。そこに凡百の「なつかしさ」の賞賛や批判との差を思うのだ。

ふと思ったのだけれど、「国家の品格」や「ALWAYS 三丁目の夕日」に感動し、教育基本法を改正し、「美しい国日本」といっていた安倍晋三前総理のやっていたことは、まさしく国家レベルの「イエスタデイ・ワンスモア」だったんだなあと。(注「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」を参照のこと)
ひろしの靴下をかぐ前に、ケンとチャコならぬシンゾーとアッキーは倒れてしまったわけですが。
先日の教科書検定での、沖縄戦の記述見直しなんて、まさしくその典型例で、「見たい(見たくない)と思っているもの」を安倍前総理は実現しようとしていたわけですし。
福田総理になって即座に変わっちゃったし。まあ福田さんが良いって訳じゃないですが。

私見によるが、この本の中で書かれている「ALWAYS 三丁目の夕日」評を含めた「昭和ブームの中で消える「町」」は作品評として、またヒットした状況とその向こうにあるものまでをみせたベスト評だと思う。ようやくこれで「ALWAYS〜」という作品の置き所が見いだせた気がする。

さて、10/7に三省堂書店で行われた刊行記念トークショーに参加。阿部嘉昭さんとのトークショーのなかで「不如意」という言葉で、この評論中の「なつかしい」ということを対談相手のである阿部さんが語っていたのが印象的でした。
(じつは、出かける直前まで原稿を書いていて、おまけに本も半分程度までしか読んでいなかったので、トーク内容が頭の中になかなか入ってこなくて困った)
その後の飲み会にもお誘いいただき、楽しい時間をすごさせていただきました。

この本一冊でも読めるし、ファンなら「お前がセカイを殺したいなら」「ある朝、セカイは死んでいた」に続く本としても楽しめると思います。
あ、今回タイトルがめっちゃ前向きになってますね。「ヱヴァンゲリヲン 新劇場版」並に前向きにですよ。

読むべし!

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2007.09.09

磯田道史「武士の家計簿」

先日NHK教育の「知るを楽しむ」で、「拝見・武士の家計簿」を見たところ、あまりに面白いので、番組の元になっている「武士の家計簿」(新潮新書)を読んでみました。

この新書「武士の家計簿」では、著者がある下級武士の家計簿を入手するところから話が始まります。
加賀藩の御算用者(会計係)を勤めていた猪山家の幕末から明治に至る詳細な家計簿。なにせ公務で会計係をやっているだけに、読み解くとすさまじく微に入り細にわたった一家の家計がわかったわけです。

藤沢周平原作、山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」以下「隠し剣鬼の爪」「武士の一分」を見ていて思ったのは、武士の暮らしが実際のところどうだったかよくわからないとことなわけです。もちろん山田組スタッフは、出来る限りのディテールを突き詰めて映像化していますが、それでも、清兵衛は海坂藩(うなさか:藤沢周平の時代小説の舞台。庄内藩がモデル)の、50石取りの平侍で、妻に先立たれものすごく貧乏な生活をしているということになっているけれども、じゃあその50石ってどのぐらいの給料なんでしょうか?

この本では武士家庭の収入および支出が詳しく説明されるのですが、その内容が目から鱗が落ちる思い。そもそも武士の給与ってどういうもの? とか思うでしょ。その基本から教えてくれます。
猪山家家計簿の解説を通して見えるのは、武士階級の窮屈さと崩壊の過程な訳です。
特に散財しているわけでもないのに、慢性的に赤字の家計簿。
でも、武士のたしなみとしては一段低く見られていた算術を武器に、猪山家は幕末から明治維新の激動期を生き抜きます。
一方、お上頼みしか知らない武士は時代の波の中で消えていくわけです。

「美しい国」とか言って「武士道」や「大和魂」だのを持ち出す人は多いですが、実際の武士がどうして消えていったかを知ることは重要かも。
そんな日本史の一端が、無名の武士家庭の家計簿を通してかいま見えるというのは痛快と言えましょう。


そうそう、話のついでに。
「たそがれ清兵衛」では、決定稿には、清兵衛の家で米がなくなってしまって、娘に、近所から米を借りに行かせるというシーンがあったのですが、完成した映画ではなかったので、残念でした。なぜならそのシーンは、クライマックスで闘う余吾善右衛門との会話で「米櫃に米がなくなった時の貧乏の悲しみ」を語り合うのですが、その会話で、清兵衛と善右衛門は同一の存在であることを知らしめるための複線として、重要なシーンになるはずだったのです。
ここと、意味不明な井上陽水のエンディング曲使用の2つが、わずかながらに、「たそがれ清兵衛」を自分の中で超傑作になりえない(でも傑作だとは思います)ものにしているのです。

この本、2003年に出ているので、きっと山田洋次監督も読んでいるに違いありません。それが「隠し剣鬼の爪」「武士の一分」に生かされている、かも。(ホントか?)
でも、最初の2作が幕末という設定にしていたのに、「武士の一分」がそうではない(よくて江戸中期ぐらい?)のも、あんまりリアルに生活を描こうとしすぎると話が進まないからだと思いますけど。


そんなわけで薄めの新書で思い切り楽しめること請け合いの本です。
読むべし!

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2007.08.14

小野俊太郎「モスラの精神史」

講談社現代新書より。映画「モスラ」を戦後日本史と絡めて考察した本。

主に原作である「発光妖精とモスラ」と、完成した映画との差異や、当時の世相を語っている。劇中、テレビというものが排除され、なおかつテレビのシンボルである東京タワーが壊されると言うところに、当時のテレビの隆盛と制作する映画人たちの思いが反映されているという指摘は、なるほどと。

その後のモスラ的主題の後継者として、宮崎駿「風の谷のナウシカ」をあげるところは、まあそうかなと。ちょっと違う気もするけど、否定するほどの材料もないので、そういう考察も面白いかもしれません。


これにあわせてDVDで「モスラ」を再見。
なるほどと思ったのは、小美人の歌と、インファント島の原住民の踊りなんかも、総天然色・東宝スコープの売りのひとつだったのねと。テレビじゃ観れない面白さを狙っているわけで。

実は、「モスラ」を観たのは相当後の話で、子どもの頃は「モスラ対ゴジラ」は観たんですよね。本当は「のび太の恐竜」の公開時の併映が「モスラ対ゴジラ(短縮版)」だったはずなんだけど、このときに観たという記憶がありません。その後のテレビ放映で観たのが最初なのかな?
そんなわけで、子どもの頃の記憶をたどると「モスラ」そのものは観ていなくて、その後の「モスラ対ゴジラ」「三大怪獣 地球最大の決戦」を繰り返し観ていたようです。
特に「~地球最大の決戦」はものすごく好きでしたね。キングギドラ登場のシーンとか、メチャメチャドキドキした記憶が。

実は一番観ている怪獣映画はおそらく「空の大怪獣ラドン」で、子どもの頃結構頻繁にテレビ放映をしていたんですよ。
おそらく、福岡だったので、地元怪獣だということ、総天然色(カラー)だけれど画面がスタンダードなので、テレビ放映には都合がいいとか、そういう理由だったんでしょうね。


というわけで、書けば書くほど、モスラに思い入れがないことがバレバレだ。


あ、あと今回再見して、ザ・ピーナッツが、当時の普通の日本人の女の子の顔だった。(当たり前だ)
頭の記憶の中の小美人は、ものすごくエキゾチックな顔立ちだったんだがなあ。

最近だと、東宝シンデレラの長澤まさみと大塚ちひろがやってたりしますが、それほど感じ入るものもなく。
今度はマナカナにでもやってもらったらどうですかね。

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2007.08.03

深町秋生「果てしなき渇き」

第3回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。文庫化されて売れているらしいです。

元刑事の藤島はコンビニでの強盗殺人の目撃者となってしまう。犯人の目星がつかず、警察から何度も聞き込みをされる毎日。そんなとき、別居中の妻から連絡が入る。娘の加奈子が失踪したというのだ。
娘を捜す藤島は、やがて真っ黒な暗黒の世界へ墜ちていくのだった。

過激な暴力描写がありつつも、元刑事のハードボイルド調で幕を開ける物語。そこからノワール世界への片道切符。キレまくった登場人物も多彩だが、なんといっても主人公藤島の止まらないパワフルさに目が離せない。
もっとも大事だと思っているものを、もっとも無惨な形で破壊することでしか自分を表現出来ない主人公。ヤバい。ヤバすぎます。

一方で挿入される少年の視点による加奈子の物語。悲しくもリリカルさの片鱗を見せる青春小説の感じ……と思いきや、これまたエラいことになっていきます。

後半1/3のクライマックスは、怒濤の展開。読む手は止まりません。


正直、普段あんまり読まないタイプの小説なのですが(エルロイもそうだけど馳星周もそんなに読んでないし)、目が釘付けという感じでしょうか。「悪魔のいけにえ」とか「ゾンビ」とかみたいに「ひえー、やべー」と叫びつつも、全部観ちゃう感じというか。

映画化するなら……三池崇史監督、岸谷五朗で、ってそれ「新・仁義の墓場」じゃん。いやまさしくそういう感じ。というより作者が観たかどうか知らないけど、インスパイアされているような気がします。


というわけで、私の感想初のR-18指定で、読むべし!

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2007.06.04

「伊丹十三の映画」(考える人編集部編)

1984年の初監督作品「お葬式」から1997年の「マルタイの女」までの十作品を残して去った、伊丹十三監督。そのスタッフ・キャストの総勢43人からのインタビューをまとめた本「伊丹十三の映画」


山崎努、津川雅彦などの主役クラスはもちろん、伊丹作品で出世した大地康雄や村田雄浩。撮影の前田米造、編集の鈴木晄など。配給担当の人まで登場する。
逆に、ここに登場しない三国連太郎や黒沢清(周防正行は出ている)の不在が際だっている。

没後10年というタイミングが良かったのか、それぞれにとっての、伊丹十三と伊丹作品が相対化されている。これが5年ぐらいだと批判的な言葉も出にくいし、20年では遅すぎる。
山崎努はなぜ最初の3作以後は出なかったのか、津川雅彦が駄目だと思った作品はどれか、前田米造が後期のビスタサイズ撮影になってからの画作りの苦労など、結構率直に語っている。

一時代を築き、ヒット作を連発した伊丹十三映画を、今後語るための基礎資料になるだろう。
エッセイストなど別の側面をまとめた「伊丹十三の本」とあわせて、映画好きなら読んでおくべき一冊。


「伊丹十三の本」はこちら

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2007.05.18

最相葉月「星新一 一〇〇一話をつくった人」

SF作家にして、ショートショートの第一人者、星新一の初の本格的評伝。あちこちで評判になっていたので、早速読んでみた。
星新一の誕生前は多少もたついたが、作家になって以後は、一気に読み通した。

星新一のショートショートは、多くの人にとって、中学生ぐらいで読書に目覚めたときに、通過儀礼のように読み漁り、そこからいろんなものに手を伸ばしたのではないか。誰もが一度は読んだであろう、その星新一がいかなる人物であったのか。

ブルトーザーと呼ばれて「日本沈没」などの長編を書いた小松左京や、現在でも文学の可能性を切り開き続ける筒井康隆と違い、星新一は、その平易で簡潔な表現と、一〇〇一話のショートショートという分量の陰に隠れて、著者本人そのものが見えてこない。
もちろん、少しでも星作品を読んだ人なら、戦前から続いた星製薬の御曹司であるとか、SF作家仲間の間でもずば抜けたブラックユーモアの持ち主であったことは知っているだろう。
それら断片的に知られた事実を、「絶対音感」などのノンフィクションで知られる最相葉月が、丹念な取材で浮き彫りにしていく。
そこに浮かぶ星新一という人物の、なんと孤独に満ちた世界に生きた人であったことか。
そもそも子供の頃から感情表現が得意ではなかったであろう内向的な青年が、いきなり父親の事業を引き継ぎ、そこで人間の裏面をいやというほど見てしまったのだ。そのトラウマは作家として名を成してからも影響を及ぼし、おそらく、ほとんど誰にも(家族でさえも)心を許さなかったのではないのか。

この評伝はまた、星新一側から見た日本SF史でもある。
書きたくて、また書き続けるしかなかった若き日本SF作家たち。その黎明期の希望と、周囲の無理解への闘いの記録なのだ。

いくつかのネットでの書評を読むと、「SF作家じゃない奴がこんな物書きやがって」的な批判があったが、だったら今までSFファンジンでも作家側で顧みて書かなかった時点で負け。いや勝ち負けではないが、単純にいちゃもんとやっかみでしかない。というより、SF側じゃないから(日本SF史としては)自明と思われたことをわざわざ踏み込んで書いてて、そこが新鮮に読める。

誰しもその名を知っていながら、誰も知らなかった星新一に迫った好著。
読むべし!


実は、読んでて一番ビックリだったのは、江坂遊って文庫絶版なの!? ってことだったりする。

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2007.05.13

クライブ・ポンティング「緑の世界史」

連休中に読んでいた本のうち、一番中心的に読んでいたのがこれ。
クライブ・ポンティング「緑の世界史」(朝日選書 上下巻)
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最近の環境問題などの報道などで思うところがあって、環境問題の大枠のことを読みたいなあと思っていたところ、そういえば昔買ったこの本のことを思い出し、引っ張り出して読んでいました。
たしか宮崎駿が「風の谷のナウシカ」漫画版の完結時か「もののけ姫」の公開時かに、この本のことを語っていて、その時に買って、頭だけ読んだのでした。

この本は、人類の環境通史という内容で、人類誕生から現在に至るまで、人類の活動によって環境が激変し、破壊されてきた歴史を語る本です。
第一章で描かれるのは、あのモアイ像で有名なイースター島の歴史。いまだにあの巨石像であるモアイを作り出した、イースター島の古代先祖たちが、部族衝突とモアイ作りでわずかなイースター島の緑を回復不能なまでに破壊し、結果自分たちの文化も終わらせてしまったこと。これをある愚かな一部族の物語と考えるのか。
作者は当然、これを人類の象徴的な物語として提示します。

本全体で描かれる、人類史における環境への影響に対する大きな転換点は、二つ。一つめが農耕定住社会の誕生、そして二つめが産業革命。
しかし、作者は人類の誕生から狩猟採取社会の段階で否応なしに環境を破壊し続けてしまった人類史を突きつけます。

原著が1991年なので、すでに15年以上経っており、環境を巡る問題はより深刻度を増していますが、基本的な問題はすべてここにあります。
たしか宮崎駿は、「ナウシカの問題を突き詰めると、『緑の世界史』にたどり着く」と言っていたように記憶しています。
「北極の氷が溶けつつある」というのが遠い出来事のように思われる方は、是非手にとってみてください。環境を失ってからではもう遅いのです。全ての問題の教科書として、一読をオススメします。


読むべし!

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2007.01.06

池上永一「シャングリ・ラ」

みなさま、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
今年のお正月は、これを読んでいました。というわけで、新年一発目の感想は、書評から。


「バガージマヌパナス」「風車祭」「レキオス」など、自分の出身である沖縄を舞台に描いてきた池上永一が、今度は舞台を森林化した東京にして、近未来アクションSF小説に挑戦した「シャングリ・ラ」

近未来の日本。地球温暖化の対策のため、東京を森林化して炭素削減に取り組む日本政府。しかしその森は人々の生活を奪う凶暴なジャングルと化していた。一方東京の中心に巨大な構造物“アトラス”を建築し、そこに階層社会として選ばれた人間だけが住むようになっていた。
そんな状況に反政府ゲリラの総統として立ち上がったのはセーラー服の女子高生、北条國子。彼女は育ての親であるニューハーフのモモコに戦いのすべてを教えられ、最強の存在となって、日本政府に、アトラスに、戦いを挑んでいく。
一方、十二単を着た謎の少女美邦、その主治医小夜子、炭素経済予想システム「メデューサ」を手に炭素経済を操ろうとする香澄、政府軍の謎の男草薙少佐など、多彩な人物が絡んでいく中、すべての謎は、アトラスの中心部に吸い寄せられていく。アトラスの真の目的とは?

……あらすじだけで、書くのが終わりそうだよ。
元はアニメ雑誌「NEWTYPE」に連載されていたというだけあって(そもそもNEWTYPEで小説が連載されていたのかと驚いた)、アニメになりそうなキャラクターが、ジャングル化した東京を縦横無尽に飛び跳ねる(←比喩表現ではなく、本当に飛び跳ねている)。それだけでも十分面白いけれど、一方で登場する経済活動による炭素排気を指数として扱う炭素経済というアイデアが抜群。暴走するコンピュータの投機合戦や異常気象さえも操ってしまう展開、呪術と超人の戦いなど、ともかく大きい枠での“SF”としかいいようのない大作です。
しかも、後半どんでん返しの連続の果てにあるのは、まさしく日本の中心そのもの。駄菓子とジャンクの大伽藍の先に、こんな展開が待っているとは、予想もつきません。
怒涛の1600枚、上下二段組み600ページの大長編。読んで損なし、空クジなしの大当たり。気合を入れて読むべし!


ちなみに、アニメ化するならやっぱりProduction I.G.っすかね。

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2006.12.21

瀬名秀明「境界知のダイナミズム」

瀬名秀明の最新刊は、氏のサイエンスノンフィクションの集大成となる、橋本敬、梅田聡との共著「境界知のダイナミズム」

「パラサイト・イヴ」でホラー作家として華々しくデビューした際、瀬名氏につけられた“理系作家”という肩書き。当時薬学部大学院生だった著者を売るための文句としてつけられたこの肩書きや、他の作家と違う創作方法や作家としての姿勢に“違和感”を抱きながら活動してきた自身のこれまでを総括し、語られてゆく。
クライマックスで語れるそのテーマは、近作「デカルトの密室」「第九の日」において描かれたものと同じく、“希望”である。

闇雲な理想や夢ではなく、“希望”。ストレートでありつつ私たちが気恥ずかしさのあまり語られにくくなってしまったもの。それこそが実は瀬名秀明を貫くテーマなのだろう。それは師が敬愛する藤子不二雄が、マンガを通して子供に語り続けたものであり、その姿勢を受け継いでいるのだ。

クライマックスで語られる“シンパシー(sympathy)”と“エンパシー(empathy)”の違い。それは「のび太の恐竜」と「のび太の恐竜2006」のクライマックスの差ではないかと考えている。
今年公開された四半世紀を超えたリメイク作「のび太の恐竜2006」において、監督の渡辺歩以下スタッフは、原作及びオリジナル映画版とは違う重大な変更を施している。それはある意味とても辛い結末を選択しているのだが、それにあえて踏み切ったということは、かつてのび太くんだった人間が、作り手に回った今、次世代ののび太くんたちにバトンタッチするための力強い決断であり責任を感じているからなのだ。

「境界知のダイナミズム」のクライマックスで語られる“シンパシーとエンパシー”とはまさにそのことではないだろうか。


「デカルトの密室」が難解でわかりにくいという人は、こちらの方がよりストレートでわかりやすいかもしれない。
瀬名ノンフィクションの現時点の最高傑作である。

読むべし!

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2006.12.15

「このミス」2007年版&2006年読書ベスト

師走になり、各種ベストテンも揃ってきました。そろそろ自分の映画ベストテンを考えないと。

で、今回は読書編。
毎年買っていた「このミステリーがすごい!」2007年版を先日買った。今年は何がベストなのか?

……ランクイン作品、1冊も読んでない……。
20位までのランクイン作品のどれもかすっていない有様。たしかに今年の新刊ミステリってろくに読んでない(京極夏彦の新刊も読んでないし)のはたしかだけど、ここまで外すとは。あらまあ。

あんまり悔しいので、著者インタビューも載っていた石持浅海の「顔のない敵」を買って読む。対人地雷をテーマにした連作本格ミステリ短編集という毛色の変わった内容。
確かに悪くないけどちょっと小粒すぎるかな。他の長編とかも読んでみよう。


というわけで、自分の今年の読書ベストは以下のとおり。

1位.田草川弘「黒澤明VS.ハリウッド」(文芸春秋)
2位.橋本忍「複眼の映像 私と黒澤明」(文芸春秋)
3位.サイモン・シン「ビッグバン宇宙論」上下巻(新潮社)
4位.羽海野チカ「ハチミツとクローバー 第10巻」(集英社)
5位.瀬名秀明「おとぎの国の科学」(晶文社)

1位と2位はともに巨匠・黒澤明にまつわるノンフィクション。「黒澤明VS.ハリウッド」は、クランクインしながら途中監督降板してしまったハリウッド大作「トラ!トラ!トラ!」の真相に迫るノンフィクション。「複眼の映像」は脚本家橋本忍の、黒澤明との脚本作成の裏側に迫るノンフィクション。両方をあわせ読むと、黒澤明という巨大な才能を持った人物の、創作の偉大さと裏あわせの弱点が見えてくる。映画ファンは必読の2冊。

3位はサイエンスノンフィクションの傑作をものにしているサイモン・シン最新作。「フェルマーの最終定理」「暗号解読」に続くテーマはその名もずばり「ビッグバン宇宙論」。人類の歴史において、世界観の広がりと、現在の宇宙論までを描ききる。読む手が止まらぬ面白さ。一般には敬遠しそうなテーマを、難しい数式などをいれずにわかりやすくする筆力はすばらしい。

4位は大人気マンガの最終巻。青春の終わりをみずみずしく描ききった傑作。最終ページ、主人公竹本くんの、青春の決別に涙せずにはいられない。

5位、瀬名秀明エッセイ集。サイエンス周辺のエッセイとしても面白く読めるが、なぜこれがランクインかというと、私が出てくるから。(爆)
どこに出てくるかは読んでみてのお楽しみ。(名前は出てこないので、関係者以外にはわかりませんけど)


小説のたぐいは、ランクインするものはないなあ。今年はあまり読んでいないってこともあるけど。まあそんなところです。

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2006.09.10

「ハチミツとクローバー」完結!

最初のアニメ化の前後からちょいちょいと読んでいた「ハチミツとクローバー」。映画化もされて、あれよあれよと大ブレイク。で、先日完結編10巻がでたので、その前に書いていた9巻の感想と合わせて日記を蔵出し。

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ああ、とうとう「ハチクロ」9巻読んじゃったよ。
あんなことやこんなことが登場人物の身に降りかかってきて、どーなっちゃうのか?
連載はすでに先月号のコーラスで終了しているので、あとは10巻を待つばかりですけど、さて。

初期の「すごいよマサルさん」ばりのギャグ満載から、本当に青春マンガになったなと。
才能を持っている人間と、そうでない人間、持つことで起こる苦悩と、持たない故の苦悩。
あのバカ満載才能満載の森田だって、ああいう過去を抱えて生きてきたのであって、ってあのハリウッドに乗り込んで映画作ったのが、こんな伏線になっていたとは!?
そしてはぐに降りかかる災難。

通して読んでいると、自分が森田やはぐのような才能があるわけもなく、真山やあゆのような一途(ストーカーっぽいが)にもなれず、ああやっぱりオイラは竹本だなあ、いや、自分の人生が竹本から花本先生の途中にいるなと本当に思います。

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ああ好きさ 大好きさ!!

前巻ではぐの身に降りかかった災厄。
それと共に、いつまでも回り続ける青春模様が、一気に展開していく。はぐは、竹本は、森田は、真山は、あゆは、花本先生は、それぞれの道を選択することになる。

9巻は何となくいつか読もういつか読もうと躊躇していたんですが、いざ読んでしまったらもう続きが待ちきれなくて、この10巻が出るのを待ってましたよ。朝に買ってから、営業先への移動中に読んでしまって、そのまま旅に出たい気分になりましたよ。

色々と思うところはあるものの、もうこうなるしかない、という終わり方ですね。なるほどこうやって人は大人になっていくんだなあと思います。パズルのピースが最後の最後にかちりとハマって、感慨深いです。
それにしても、この最終巻で花本先生が青春野郎になって、これはこれで微笑ましいなと。

10巻に収録してあるのはラスト4話なので、後半は「ハチクロ」番外編2編と、読み切り短編が2本同時収録。短編「星のオペラ」もかなりグッとくる話で好きです。

満足。そしてもう続きがないのかと思うとちょっと寂しい。

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2006.09.03

瀬名秀明「おとぎの国の科学」

「パラサイト・イヴ」「八月の博物館」の瀬名秀明さんの、デビュー時から現在までに発表したエッセイのベスト集「おとぎの国の科学」


内容としては、デビュー作「パラサイト・イヴ」から近作「デカルトの密室」までを創作中の折々のことや、各種雑誌や新聞に発表されたエッセイなど。大半は科学向けエッセイの形をとっているが、その中に見え隠れする、本人の10年の心の軌跡が微笑ましい。

藤子不二雄を敬愛し、クーンツをお手本とするいわゆるB級ジャンルをこよなく愛しながら、一方で学者の家庭に生まれ、科学的思考と論理を右手にしている。その両方がとてもアンビバレントな形で小説に現れるところが、瀬名作品の魅力であり、アキレス腱でもある。

また、瀬名秀明作品のそれ以上に大きな特徴は、「物語を語ると言うことはなにか」「物語を語るわたしとはなにか」という問いかけをしていることだ。
小説の中では、時に内証的すぎてバランスを崩してしまうこのテーマが、エッセイであればストレートに表現することが出来るだけに、読みやすく、わかりやすい。

これまでの著作の裏話や、これから発表されるであろう作品のタネも散見しつつ、この本から瀬名秀明に入るのもまた面白いかもしれない。


読むべし!

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2006.08.15

西村雄一郎「黒澤明と早坂文雄」

「黒澤明VSハリウッド」や「複眼の映像」といったここ最近力作が発表されている黒澤本の中でも、満を持しての評伝、しかも黒澤明の盟友であり「七人の侍」の音楽監督である作曲家・早坂文雄の二人の誕生から別れまでを、800ページにも渡る大作として描いた「黒澤明と早坂文雄――風のように侍は」。


本題に入る前に個人的な思い出話をしておきたい。故郷から映画の勉強をしたくて上京した。自分の荷物の中に入れていた唯一の本が、この「黒澤明と早坂文雄」の作者、西村雄一郎氏の「黒澤明・音と映像」だった。当時田舎にいた浪人生で、小遣いもあったわけではなく、なけなしの小遣いで買ったこの本を大事にしていた。
この本は、黒澤明作品を、その関わった作曲家ごと(鈴木静一、服部正、早坂文雄、佐藤勝、武満徹)に章分けし、作品の変遷を描いた本である。上京前後、書いてある内容を端から端まで読み通し、ここから映画の見方、クラシック音楽、評論の書き方もすべて学んだのだ。その上、当時フジテレビの深夜に放送していた映画技法を紹介する「アメリカの夜」(この番組の監修も西村氏が行っていたという)と合わせて、いわばこの本は私にとっての映画の原点であり、西村雄一郎氏は精神的師であると(勝手に)思っている。
(注 この本はその後、池辺晋一郎の章を追加した増補改訂版が出ている)

閑話休題。
この「黒澤明と早坂文雄」は、その黒澤映画の中でももっとも光り輝いていた「七人の侍」の作曲家、早坂文雄と黒澤明監督の生涯の交流と、「生きものの記録」の撮影中に早坂文雄が死去するまでを、丹念に取材した伝記である。
これまで断片的にいろいろな本などで書かれてきた黒澤映画の創造の秘密は、驚異的なまでのパワフルさを持った巨大な才能である黒澤明と、それを支えた献身的な、かつそれに負けない才能を持った各パートのクラフトマンがいたからこそである。
その黒澤映画を音楽面で支えたのが、早坂文雄であり、彼が担当した「羅生門」「生きる」「七人の侍」が映画史に燦然と輝く作品であることは異論がないだろう。
本文中に描かれる、病に冒された身体で黒澤の期待に応えようとする早坂の姿には、美しくも悲しみが纏われている。


黒澤明の評論本として、また早坂文雄の唯一の伝記として、超一級の大作である。

読むべし!


P.S. 出来れば、植草圭之助「わが青春の黒澤明」、橋本忍「複眼の映像」、西村雄一郎「黒澤明と早坂文雄」、田草川弘「黒澤明VSハリウッド」の順に読めば、いかに黒澤明という巨大