書籍・雑誌

瀬名秀明「大空の夢と大地の旅 ぼくは空の小説家」

作家・瀬名秀明氏の取材旅行エッセイ集。雑誌連載をされていたルパンパスティーシュ小説「大空のドロテ」のために、飛行機の免許を取ることにした作者の奮闘を縦軸に、小説のための取材を横軸に、世界各地をまわる旅を記録した本。「大空の夢と大地の旅 ぼくは空の小説家」


小説の取材のためだったのに、ほどなくして飛行機の免許を取ること自体に夢中になる作者。いくら小説のためとはいえ、普通そこまではしないんじゃないのかと思うけれど、ここで妥協しては、緻密な取材で「パラサイト・イヴ」「BRAIN VALLEY」を書いた瀬名秀明の名がすたる。実技練習のために、アメリカに渡り、飛行機学校で合宿生活をする作者。思うように操縦できない緊張感と、飛行機から眺める風景に感動する高揚感。なんだか自分も一緒になって操縦桿を握っている気分になってくる。サン=テグジュペリの描いた世界を体感する、作者の楽しさが伝わってくるのだ。

その他、発表されなかった錬金術を題材にした小説、インフルエンザパニック小説(←もったいない! いまやれば売れるのに)のための取材。
100年にわたる恋愛小説「エブリブレス」のために宮古島へ取材。
イワン・フレミングが日本で活躍する新聞連載小説「ダイヤモンド・シーカーズ」のため、フレミングが来日した旅行先を追い、別府へ旅立つ。
しかしこれだけ取材しつつ、実際に書籍となったのは「エブリブレス」一冊とは、コストパフォーマンスが悪すぎる気もするけれど、自分の納得のいく小説を書くために、妥協は許さないのだろう。となると、早く「大空のドロテ」の発刊が待ち遠しい。


ともあれ、読んでいて、非常に楽しい一冊。
新作小説を待ちつつ、空と地上の旅をしばしお楽しみあれ。

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西川美和「きのうの神さま」

最新作「ディア・ドクター」が公開中の西川美和監督は、小説も手がけているが、前作「ゆれる」は映画のノベライズだった。しかしこの最新小説は、「ディア・ドクター」の単なるノベライズとはひと味違う連作短編集となった「きのうの神さま」


「ディア・ドクター」制作のために、僻地医療の取材をおこなった著者が、映画には盛り込めなかった部分を含め、全5編の短編小説としてまとめたもの。

現実の中で暮らしている人々が、現状に満足していないが、さりとて抜け出すことも出来ず、もがきながら、日々を耐えている。その生きている様子が、息づかいが聞こえてくるように、汗の匂いが感じるように描かれる。
それはあるバスの運転手であったり、死を直前に迎えた漁村の老人であり、婚期をむなしくすぎつつ老婆を世話し続ける孫娘であったり。
外部の人間がその境遇を聞けば、「だったらやめちゃえば」と言うかもしれない。でも抜け出すことは出来ない。なぜならそれがその人の人生だから。出来ることは、その思いを誰かに訴えることぐらいなのだ。
誰もが生きている上で感じているだろう人生の重さを、全5編にまとめた手腕に敬服する。

ある山村からバスに乗って街の塾に通う少女の物語「1983年のほたる」。
島の医師の代理としてやってきた男の見た島の現実「ありの行列」。
優秀な小児外科医を、妻として支えてきた女性の物語「ノミの愛情」。
医師の父とその父を慕う兄を見続けてきた弟の独白「ディア・ドクター」。
僻地医療の役目を終えて帰る医師の物語「満月の代弁者」。

しかもこの5編の小説は、すべて映画の登場人物とリンクしており、映画を観ると、ふと漏らす登場人物の独白であったり、行動の意味がわかるようになっている。映画とこの小説があわさることで、もうひとつの大きな輪が浮かび上がるのだ。

この小説は、先日の第141回直木賞候補となったが、結果、北村薫「鷲と雪」が受賞した。6度目の候補にして受賞という北村薫の状況からすれば、致し方ないところもあるが、この「きのうの神さま」は、決して劣るものではないと思う。むしろ同時受賞のほうが面白かったかも。
ともかく、読んで損はありません。読むべし。


しかしなんですね、天が二物も三物も与える人がいるものですねえ。

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村上春樹「1Q84」

(がんばってネタバレなしで書いてみます。とはいえ、そもそもすべての情報なしの段階で発売された小説なので、感想を書いた時点で、ネタバレになると思いますが、そこのところはご了承ください)


というわけで、読み終わりました。村上春樹「1Q84」BOOK1,2。
ここ最近の作品からすれば「海辺のカフカ」よりも楽しめました。いや、「ダンス・ダンス・ダンス」以降で一番面白かったかも。個人的には「ねじまき鳥クロニクル」もまあそこはそれ、と思っていたので。

「1Q84」を読んでいるのと同時に、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の、「破」を劇場で2回観たり、テレビで「序」を観たりDVDで観返したりしているうちに、いろいろ重なってしまうんですよね。だからか、このBOOK1,2、やっぱり「序」と「破」に思えますね。
BOOK1が<4月-6月>、BOOK2が<7月-9月>だから、普通に考えれば、BOOK3<10月-12月>、BOOK4<1月-3月>があると考えるべきでしょう。

もうひとつの現実、もうひとつの物語。背後に見え隠れする巨大な力、重要なアイテムとして月が……とかね。重要なヒロインふかえりの台詞がどうしても林原めぐみの声になって聞こえてしまう!
BOOK2の終わりでも、結構な盛り上がりで終わるとはいえますね。主人公が最後の最後に決意するところなんか、まさしく「破」とも言えるけど。

青豆と天吾ふたりの主人公の交互に展開していくそれぞれの物語が「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のリメイクとも言えるし、「アンダーグラウンド」などのノンフィクションも含めつつ、これまでの集大成ともいえた「ねじまき鳥クロニクル」を超える物語になっていくような気がします。(あくまで続きが書かれればという意味ですが)

数々の初期作品ではあっちの世界に行って帰ってこなかったヒロインが、今作では主人公のひとりとなって意志を持って戦い、自分の意志で帰ってくる物語になっていくのではないか。とすると、やはり絶望の物語から希望の物語に語り直そうとする「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」みたいじゃありませんか。


とはいえ、この物語が100万部を超えて、誰もが面白がっているのかと思うと、とても不思議ですよね。どう考えても一般化しそうにない物語だもの。
カルト的な人気を誇って10万部となかならわかりますよ。(たしか「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」はそれぐらいだったはず)
でも、これを100万人が読んでいるのかと思うと、それはそれでとても面白いと思うし、これがはじめてのハルキ作品だとしたら、是非最初の作品から順番に読んでいってもらいたいところです。


え、読むべし、をつけるのかって?
っていうか、ともかく読まなきゃあかんでしょ!

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佐藤和歌子「角川春樹句会手帖」

とある方からのオススメ本だったので、読んでみたらこれは面白かった!
扶桑社の文芸誌「en-taxi」に連載された句会記録をまとめた「角川春樹句会手帖」


ある日突然、「句会をやるから俳句を二十句作って持ってこい」といわれたらどうしますか?
しかもその句会の評者はかの角川春樹。かつて角川書店社長として、出版の傍ら、「犬神家の一族」に始まる角川映画を作り上げた、あの角川春樹ですよ。
知らないひとは知らないが、角川春樹は俳人として「信長の首」「花咲爺」などの句集を出しているので、そんな人物が待ちかまえているところに、「素人なので俳句は出来ませんでした」と逃げることは許されない。

かくて哀れなる新人俳人たちは、必死の思いで慣れぬ手付きで俳句を捻って、おずおずと差し出すのである。
福田和也、寸(←福田氏の弟子)、佐藤和歌子、石丸元章、北方謙三、中畑貴志、澤口知之、斉藤斎藤、田中悠貴、茂木健一郎、斎藤環、藤原敬之、前島篤志、さいとう健、菊池成孔、佐伯一麦、島田雅彦、ねじめ正一、高橋春男。

とまあ、これらそれぞれの分野のトップの面々が、俳句を捻ってくるんですが、それぞれ、やっぱり人を見事に表すんですよ。北方謙三はハードボイルドだし、石丸元章はヤバ目のネタにはしり、島田雅彦はやっぱり色ネタだしね。

わたしは普段、俳句も短歌も詩も、その手のたぐいにはあまりふれないのですが、かつて角川春樹の句集「信長の首」は読んだことがあって、それで俳句の概念をひっくり返されたというか、ビックリしたのを覚えています。
なんていうのかな、真剣がずらりと並んでいるような感じというのかな、下手に触れると手が切れそうな感じがしたのを覚えています。

 向日葵や信長の首斬り落とす

これは角川春樹の代表句ですけどね、なんかねえ壮烈ですよねえ。

話を戻すと、今回の句会では、飲み食いしながら(この句会では必ず何か食事しながら行われる)素人俳句が角川春樹の手にかかって直されると、あら不思議。見事な俳句になっていくのです。
例えていうと、麻雀で、おもしろみのない手牌なのに、角川春樹が「ちょっとかしてみ」と一回自摸(ツモ)っただけで、見事な手牌に早変わり、ということになるのです。
時々やりすぎて、角川春樹の句になってしまうところはご愛敬ですが。

俳句の入門本とか、そういうものではないけれど、ワークショップの記録として読むと、はるかに面白く、臨場感があって、句会の末席にいるようなワクワク感が味わえるんですね。
それに合間に出てくる食事が旨そうなんです。何故だろうと思ったら、この作者(というか句会の記録者)である佐藤和歌子さんって、焼き肉屋の食べ歩きエッセイ「悶々ホルモン」の作者なんですね。なるほど食事の席の臨場感が見事なわけです。

ちなみに、今回登場した俳句のなかで、読んで一番面白かったのは、歌人である斉藤斎藤さんのやつですね。

 角川文庫生乾きでもにおわない

 費用対効果 ヤクルト対巨人

 震度3いつでも抱ける肉ひとつ

 おれがよく言っておくから日本の夏

なんだか面白い。
これが北方謙三だと、当たり前すぎる。

 音なしのシェイカーを振りし修羅がいる

 俺が立ち舞う枯葉さえ波にけり

ね、やっぱり北方ハードボイルドでしょ。
どうせなら「ソープ行け吠えるおやじの枯木道」とかでどうだ。(笑)

あと斎藤環の句はオタク的には可笑しかった。

 大宇宙昭和のおたく「そら」とルビ

 しばらくは父も子もなしゲド戦記

はははっはははあはっはは。

というわけで、読み終わると、ちょっと自分も俳句をやってみようかしらんという気になってきますので、だまされたと思って一度読んでみてはいかがでしょうか。


あ、決まり文句を忘れてた。せっかくだから一句詠んでみます。


 読むべしといわずば喰われし海鼠の日

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買うべし!「映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと」

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フィルムアート社さん、ありがとう!

ついに、ついに、ついに出た!
少なくとも、わたしが知る限りもっとも実践的でわかりやすい映画シナリオ執筆のための教科書、Syd Fieldの「Screenplay - The Foundations of Screenwriting」「The Screenwriter's Workbook」のうち、「Screenplay」が、『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術』(訳:安藤紘平加藤正人 小林美也子 山本俊亮)と題して出ました!


実践執筆編の「The Screenwriter's Workbook」は1991年に別冊宝島の一冊として「シナリオ入門」として出ましたが、これは伝説の書として、いまだヤフオクなどでは高値で取引されています。前にも何かの折りに書きましたが、作家の乙一さんはこれを座右の書としてあげていました。

映画というのはだいたい2時間の中に物語があるわけで、それをシド・フィールドが過去の映画の分析や、様々な物語論をまとめ、三幕の構成と物語の転換点となるポイントなど、非常に効率よく分析されていて、凡百の映画シナリオ教則本で「○○すべし」みたいな経験論的な説教本とは意味が違う!
それも、実際の映画のシーンを参考にしているので、とてもわかりやすいのです。
キャラクターはどうやって作るのかとか、アイデアをふくらますにはとか、事件の起こし方とか、ともかく読んで損はありません。

前述の「シナリオ入門」はもちろんもっていて、折りに触れて読み返していましたが、それでも飽きたらず、原書を買って、つたない英語力で読んでました。(というと英語出来るんだーとか思われるかもしれませんが、ぜーんぜん出来ません。気合いです)
でも、これでもう大丈夫。いま、日本語で読める喜びをかみしめてますよ。
しかも訳出されたのは2005年に出た最新改訂版をもとにしているので、参考にしている映画も「市民ケーン」など名作中の名作から、「シービスケット」「ロード・オブ・ザ・リング」など最近の映画になっていてこれだけでも映画好きなら読んでて楽しいです。

映画のシナリオを書く書かないにかかわらず、映画好きなら必読、小説を書こうという人も是非、特にエンタメ系なら読んで損なし。ストーリーテリングの参考書として、本当にすばらしく明快で、分析力のつく本ですよ。
定価2500円+税は、決して高くありません。ほら、そこのあなた、シナリオや小説を書いて賞金もらって儲けようってんでしょ。だったらこれぐらいの投資しなきゃ。

これが売れて、姉妹編である実践編「The Screenwriter's Workbook」も再訳されてあわせて出てくれればうれしいなあ。


買うべし! 読むべし!

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湊かなえ「少女」と映画「アンブレイカブル」

デビュー作「告白」がベストセラー驀進中の湊かなえの第二作長編。期待をこめて読まれた方もいらっしゃるかもしれません。
「人の死ぬ瞬間が見たい」と考えた少女二人の夏の物語「少女」
「告白」の悪意のこもった解決ドミノ倒し的などんでん返しに比べると、「少女」のどんでん返しはわかりにくいだろうなと思うのです。

「少女」の構成は由紀と敦子、二人の女子高生のそれぞれの一人称が交互にくることで、表か裏か、裏か表かと考えさせつつ、実は……というサプライズが来るようになっているわけですが、このサプライズが、ギリギリでストーリーのライン上から外れているので、サプライズになっていなくて、人によっては何のことか意味がわからないで読み終えて、「『告白』に比べるとつまらない」と感想を持たれると思うのではないかな。

「告白」の、どんでんが返りつつ最後にピースが埋まる快感と、「少女」の、どんでんが返ると思っていたら期待するところと違う部分がひっくり返って、意味がわからないという、この差、この違いって、非常にデジャヴを感じるのです。
それが、M・ナイト・シャマランの「シックス・センス」とその次に撮られた「アンブレイカブル」に似ているような気がしてならないのです。


「シックス・センス」は、かなりの人がすでに知っているように、一発どんでん返しに、シナリオ・演出・演技・撮影すべてが向かった傑作だったわけですが、あの快感をもう一度、という期待がかかった「アンブレイカブル」は、どんでん返しの意味がずれている上に、そもそもどんでん返しの意味が伝わらずに終わった感のある作品なのです。


「アンブレイカブル」は、「シックス・センス」と同じくブルース・ウィリスが主演の、スーパーヒーロー映画です。
「アンブレイカブル=Unbreakable」壊れないという意味ですが、何が? というと主役のブルース・ウィリスが、ということです。要するに不死身のスーパーヒーローだってことが、この映画のタイトルの意味を表しているわけですが、映画全体は「ブルース・ウィリスは本当に不死身のスーパーヒーローなのか?」ということをサスペンスタッチで追いかけます。
で、それが証明された後、最後の最後、まったく違うサプライズがやってきて、この映画が本当に意図した物語の意味がわかる、というのが、シャマラン監督が狙ったところなのです。

でも、そのサプライズが、見終わった後、観客に伝わっていません。サプライズが機能していないのは、「シックス・センス」のときと違って、物語全体が、ストーリーラインに乗った上でのどんでん返しになっていないので、「え、そこ?」としか言いようのない、唐突かつ強引なオチなんです。

「シックス・センス」が物語のためのどんでん返しなのに対し、「アンブレイカブル」は、どんでん返しのためのどんでん返しになっているのです。
これは近いようで、決定的にずれています。

M・ナイト・シャマランは、その後、どんでん返しにこだわっていくが、独りよがりで、つまらない映画ばかりを撮るようになってしまい、こうなると「シックス・センス」のすばらしさは、まぐれ当たりだったのかと残念のような気がします。
もちろん、凡作とはいえ「サイン」のアホさ加減とか、嫌いじゃないので、ついつい期待して観てしまうのですが……。


湊かなえの「告白」は面白かったけれど、「少女」は「どんでん返しのためのどんでん返し」を狙いすぎて外した感じからすると、次回第三作に期待しつつ、正念場のような気がします。

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切通理作「増補決定版 宮崎駿の<世界>」

あとがきを読みながら涙させられる作家論本なんて、そうそうあるものじゃない。


アニメーション監督にして国民的人気を誇る宮崎駿監督の作品を、そのキャリア最初期から現在までを余すところなく語った作家論。ちくま新書で2001年に刊行された「宮崎駿の<世界>」に、刊行後に発表された「ハウルの動く城」、ジブリ美術館上映の短編群、「崖の上のポニョ」を加え、大幅な加筆修正の上、宮崎駿論としては他の評論を圧倒するボリュームとなった、今後宮崎駿を語るには避けて通れないであろう、いわばドナルド・リチー「黒沢明の映画」、佐藤忠男「小津安二郎の芸術」に比肩する本となった、「増補決定版 宮崎駿の<世界>」


と、ここでいつもなら本の内容とかを語るところなんですけど、もうそこは買って読んでくださいってことにして、ともかく、これを読んで思ったことをつらつらと。

わたしは1971年生まれなので、アニメーター宮崎駿をリアルタイムで触れることの出来た世代としては、おそらくギリギリのところにいたと思います。「ハイジ」「母をたずねて三千里」などの世界名作劇場はもちろん、「未来少年コナン」もそうだし、「ルパン」など他の作品群もしょっちゅう再放送されていて観ることが出来ましたから、意識するしないにかかわらず、宮崎駿ともうひとり「機動戦士ガンダム」の富野由悠季はずっと観ていたと思います。(ふたりは1941年生まれの同い年。ちなみに私の父親も同い年)
一方の富野由悠季が「ガンダム」のヒット以降の迷走から、結局「ガンダム」を作る人になってしまったのに対し、宮崎駿という人は一貫して同じ話なんだけど、毎回違うものを作り続けてきた人だったから、「ナウシカ」以降のジブリ作品も毎回楽しみで、やっぱり世界を指し示してくれる人だったなあと思っていたわけです。

ところが、「もののけ姫」以降、新作を観ていても、どこか自分と合わないというか、思うところは色々あるにしても、なんだか身の置き所がない感じがあるんですね。
自分が宮崎駿作品を必要としなくなってきたのか、向こうが「お前さんたちの相手をしてられない」となったのか。
なんというか黒澤明監督が「赤ひげ」以降、カラー化して「どですかでん」とか観た人たちが、感じたに違いない違和感に近いんじゃないかと思うわけです。それでも「影武者」「乱」あたりはまだ世界のクロサワのラインで語れるんだけど、「夢」以降、ごくパーソナルな映画を作る人になってからの黒澤明は、「あのおじいちゃんは昔はもっと凄かったんだよ」とかいいながら「七人の侍」とか「用心棒」を観ちゃうみたいな。
今回の「崖の上のポニョ」を観ながら、たしかにこども向きだとは思うけど、なんだかどうして良いんだか、(わたしに子供はいないけど)子供と一緒に観て「ポニョ」を喜んでいたら、「いや、昔の宮崎駿はもっと凄かったんだよ」といいながら「カリ城」や「コナン」を観せていたかもしれない。

この「宮崎駿の<世界>」のなかでも「もののけ姫」までをまとめた第四章で、感動的に終わるんですよ。けっこうウルウルしながら読んでいて、普通なら宮崎駿総論で、ここまででも充分なんですよ。新書版はこのあと予感的な「千と千尋の神隠し」で終わってますからね。でもここまでって「赤ひげ」までなんですよ。そこで人生終われば綺麗なんだけど、そんなことってないよねと。(そこからすると小津や溝口って、綺麗にキャリアの頂点で人生終わった人なんですよ)

で、「千と千尋の神隠し」はまだしも、「ハウルの動く城」にいたっては始まりも来なきゃ終わりも来ない作品になるでしょ。あれが不思議だったんだけど、なるほど、人生ってそんなに綺麗に終わらないでしょ、終わると思ったらまだまだ続くでしょ、と教えてくれたような気分です。
そして「崖の上のポニョ」も、結局人生がはじまるところを示して終わるですよ。それは子供向けだからこれからあなたの人生は始まるよ、というわけで。

この本、評論として考えたら結構なボリュームで作品のストーリー紹介がされていて、「コナン」なんて、全話をほぼ紹介ですよ。普通に考えると、巻末のフィルモグラフィでストーリーが書いてあればいいのに、作者である切通さんはそれを中心に持ってきた。しかも膨大な宮崎駿監督やスタッフのインタビュー資料をぼんぼん積み重ねて、ご本人の弁を借りれば「作品を体験し直す」という行為そのものになっていきます。
だから頭から「コナン」や世界名作劇場の項を読んでいると、子供の頃の自分を体験し直しているようなんですね。「ハウル」のソフィーじゃないけれど、だんだん現在に向かって読書中の数時間で歳をとっていく感じ。

実は冒頭に書いた、あとがきで涙させられたのは、「耳をすませば」のくだりで、たしかに先日テレビでやっているのを観ていたら、前よりちょっと感じ方が変わっていたんですよ。結構面白いじゃんというか、もっと主人公達を応援したくなったというかね。だから「耳をすませば」を主人公の同世代で観た人たちが「大事な作品」を感じていたのはもっと直感的で素直な受け取り方だったんだなって。

結局、まっすぐな表現こそ、最後まで残るんじゃないかと思うし、実は誰もわかっているのにそれを貫けないからこそ、貫徹させてきた宮崎駿という人の偉大さがあるんだろうなあ。
だからこそこの本は、愚直なまでに作品を観て資料をまとめ、ストーリーを語り直すことで丸ごと「宮崎駿の<世界>」を見つめているのです。まさしくタイトルに偽りなし。


実は、ちょっと前に宮崎吾朗監督の「ゲド戦記」が何だったのか、ヒントが見えてきた気がして、今なら公開時よりいい「ゲド戦記」論が書けるなあなんて思ったんですけど、これで確信しました。
はじまれないしはじまっていないまま大人になってしまった息子の世代である我々を、宮崎吾朗監督は正直に吐露していたんじゃないかと思うのです。あまりに正直すぎるとは思うけどさ。


ともかく、いいもの読ませていただきました。
これから宮崎駿作品に触れる人はもちろん、すれっからしの宮崎ファンとかもこれを読むと、余計なものが洗い流される気がしますよ。

読むべし!

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岡田斗司夫「オタクはすでに死んでいる」

作家・井上ひさしは、右翼から抗議が来たとき、ひるまず「あなた、歴代の天皇の名前(追号のこと)、全部言えますか?」といって、歴代天皇の名前を神武から全部言ったそうな。それで相手はひるんで帰っていったとか。
井上ひさしの博覧強記ぶりと見事な切り返しとして知られる有名なエピソードだが、この話にはひとつの了解事項がある。
「右翼たるもの歴代天皇の名前ぐらい知っているものだ」ということだ。

さて、本題。
オタキング岡田斗司夫の「いつまでもデブと思うなよ」に続いて、新潮新書から出たのは、2006年5月24日に新宿ロフトプラスワンで行われたイベント「オタク・イズ・デッド」の内容をもとに、大幅に加筆修正した「オタクはすでに死んでいる」

岡田氏自身が最近触れた今のオタク青年のふるまいが、かつて自分たちの共通理解としていたオタクとは違っていた。そこから現代の「オタク」の変質し、オタクというものは死んでしまった、という内容。
便宜上(かなりエクスキューズを入れているが)オタクを世代に分けて、岡田氏自身の40代半ばの世代をオタク第一世代。80年代後半から90年代にかけて青春の20代終わりから30代半ばの第二世代。そして現在の20代前半を第三世代としている。そしてもっとも第一第二世代と、第三世代との間に溝が出来ていること。

だいたいオタクって「自分の好きなものをとことん追求せずにはいられない人」ぐらいの定義だったんですね。だから人によってはそれがアニメかもしれないし、鉄道かもしれない、映画かもしれない、ミリタリーかもしれない。もちろんジャンルの横断はあります。ミリタリー好きで戦争映画ばっかり観ているオタク、なんてのは当然います。
もうひとつのお約束として、とりあえず他ジャンルのことに無茶に侵犯しないということがあります。鉄の人が知らない人に埼京線の絶景撮影ポイントを説明してくれる(この場合撮り鉄だっけ)ということはありますが、だからといってその人がアニメオタクを攻撃はしません。ただし、同じ撮り鉄だったら、同好の士しての了解事項と目に見えない鉄の掟が存在します。
SFオタク同士なら「サンリオSF文庫は基礎教養として全部読んでて当たり前」みたいな。ああ、なんか懐かしい会話ですねえ。

ところがいつの間にやら、オタクというのは美少女ものが大好きでメイド喫茶で「萌え~」というような、テレビで出てくるようなステレオタイプなものになって、しかもそれをなぞるような若者がメインになってしまった。
(私なんかは美少女アニメとか欠片も興味がないのですが)まあそれはそれでいいんですが、問題はそれが全てで、他者に対して排他的な態度になっていくのですね。

美少女アニメが好きならそれで良いと思うんですけど、一応それ以外にも「自分の好きなもの以外のオタク世界があること」ぐらいは了解しておいていいんじゃないでしょうか。それでだいたいのトラブルは解決しますよ。

思うのは、第三世代は異様に歴史の認識が浅い。というか歴史がなくて「今」しかない。
美少女アニメだと、それこそ「リボンの騎士」から始まって、魔法少女もの「魔法使いサリーちゃん」とか「魔女ッ子メグちゃん」とかから「魔法のプリンセスミンキーモモ」「魔法の天使クリィミーマミ」みたいなところがあって、「美少女戦士セーラームーン」から現在の隆盛があるはずなんですが、もう通じないですね。 (ここまで、素でタイトル書けちゃったよ)
とにかく今、自分の好きなもので完結している感じ。
漫画が大好きという若者に「ドラゴンボール好き?」と訊いたら「何ですかそれ」と言われちゃったことは自分の世代だと最近よくあるわけですよ。
格好いいイケメンアニメが好きだというから「サムライトルーパー」「幽遊白書」を持ち出しても「なにそれ? しらなーい」みたいな。
知らなきゃ知らないでいいんだけど、「じゃあ読んでみようかな」みたいなものがなくって「私は私の好きな○○がいいんです! 放っておいてください」というようなATフィールド張りまくって全拒絶かい、っていうような態度をね。
これを「自分の気持ち至上主義」と本書中で書かれています。


で、ここで話は冒頭の井上ひさしに戻ります。
最初の「歴代の天皇の名前を言えますか?」というネタの根底には、「右翼を名乗るなら歴代天皇の名前を全部言うことぐらい出来るはずだ」という暗黙の了解と、「それを敵だと思っていた井上ひさしに軽々と言われちゃって恥ずかしい」ということが前提なわけです。だから抗議に来た右翼もすごすごと帰っていったわけです。
ところが、これがオタクのみならず第三世代になるとどうか。おそらく歴代天皇の名前なんて知らないし、それ以前にそれが意味することも理解できないと思います。「天皇の名前が言えないからそれがなんだ。そんなことよりとにかくお前が気に入らない」といって刺しちゃうかもしれない。いやー可能性ありそうだなあ。

今の日本は、排他的で自分のその時の気持ちだけが肥大化した社会ではないでしょうか。
ともかく、今の日本を覆っているイントレランス(不寛容)なありよう。
凶悪事件をことさらに煽り、極刑を望む報道。でも裁判員制度の開始に伴って「でもそんな面倒くさいことやりたくない」という感じ。
やれ「反日だ」「ブサヨ死ね」とネットで書き込むものの、真っ当に日本の歴史もよく知らない、それを指摘されると逆ギレする人たち。

まあ、自分の世界だけじゃなく、他者の世界もあるって認識すること。
自分の好きなものがあるなら、もうちょっと(自分が好きなものなんだから)歴史を学びましょうということです。
そのふたつがあれば、もうちょっと世間は良くなると思います。


と、この本を読んで、そんなことをつらつらと考えてみたのでした。

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北方謙三「水滸伝」全19巻を読むべし!

2008年4月に、集英社文庫で毎月刊行されていた北方謙三「水滸伝」の最終19巻が出た。
昨年秋から読み続けていたのだけれど、これで読み終えたので、まとめて感想を。

「水滸伝」と言えば、北宋末期を舞台にした、梁山泊に集いし百八人の豪傑たちの物語。とはいえ、真っ当に読んだことはこれまでなく、横山光輝の漫画版ぐらい。
とはいえ、「三国志」は吉川英治も横山光輝の漫画版も面白かったけど、「水滸伝」はそんなに面白くなかったような。
それもそのはず、元々の話自体、リーダーの宋江そのものがあんまりリーダらしくない上に、反乱を始めたのに、帝から認められるといそいそと地方征伐に乗り出して最後は死んでいくという、なんだかなな終わり方。

が、この北方謙三版「水滸伝」は違う!
原作にあった伝奇要素は影を潜め(というか道術とか超能力みたいなのは北方水滸伝の登場人物は使わない)、豪傑たちを一人一人リアルな設定に肉付けしてある。宋江は結構な女好きのリーダー。林冲は凄腕だけど、妻への愛をひた隠しにしていたものの、奸計にはまって妻を殺された悲しみを背負って生きる。呉用は頭は切れるが、それ故に他の軍人たちから疎まれる。
魯智深はなんと、諸国を回って、見込んだ漢を梁山泊へスカウトしてまわるのだ。
と言った具合で、宋と闘う梁山泊の豪傑たちという大枠と、各キャラクターの名前を借りて、再構築されているのだ。
そこで、百八人の豪傑たちは登場しては片っ端から死んでいく。
実は、名うての書評家たちの絶賛の声を聞いて、それなら読んでみようかと思って昨年秋あたりから手をつけ始めたものの、最初の数巻は設定の変更とか「へえ、なるほど」と思った程度で、のめり込むほどではなかったのだ。
それが5巻で物語が急展開するあたりから、TOPギアに入って、あとは怒濤の読書三昧。そこでなんか懐かしいなあという気がしたのだ。
そう、これは「銀河英雄伝説」だよ!

いや、話は逆で、「銀英伝」が「三国志」「水滸伝」といった中国大河小説をもとに、田中芳樹がスペオペにしたのであって、それを(多分北方謙三は意識せずに)隔世遺伝的にオリジナルの「水滸伝」にしたのだ。
だから、前半のクライマックスである二竜山の攻防戦は、完全にイゼルローン攻略戦に思えてくるし、つまり5巻の展開は、「銀英伝」における2巻のラストなわけですよ。ええっ! そんな! なことになります。

で、「銀英伝」が後半ユリアンの成長物語であったように、北方水滸伝は、青面獣楊志の息子として登場する、オリジナルキャラクター楊令の成長物語となってきます。最後の戦いに間に合わせて、梁山泊に降り立った楊令に、「待ってました!」の声もかけたくなります。

対する敵もさるもの。ここは完全にオリジナルな青連寺という諜報組織が政府を操り、梁山泊軍との死闘を繰り広げます。ここでも、高俅をはじめとするキャラクターがなかなかの憎き悪役ぶりを魅せてくれますが、なんといっても一番は、後半青連寺を率いることになる李富。「銀英伝」におけるオーベルシュタイン。こいつは梁山泊を壊滅させることに全てを捧げますが、そこに至るプロセスがこれまたすごい。つい応援したくなるんですよ。

そして最終3巻は、圧倒的な力で梁山泊を追い詰める童貫との死闘に次ぐ死闘。バタバタと死んでいく漢たち。

怒濤の戦場の中で終わりを迎える物語。しかし、話はここで完全に完結はしない。数々の複線は、楊令を主役にした続編、その名も「楊令伝」に引き継がれていくのです。(全10巻予定。現在第5巻が出たばかり)

先にネタバレから言うと、おそらく、史実の北宋の滅亡までの10年を、この「楊令伝」で描くのでしょう。ということは、北方謙三は革命の実現を描いちゃうってことではないでしょうか。
待ちきれないから、読み始めようかなあ。>楊令伝


ともかく、週1冊ペースで半年近くは楽しめること間違いナシの北方水滸伝。掛け値なしで読むべし!!

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大崎善生「聖(さとし)の青春」

「ハチミツとクローバー」の羽海野チカの新作漫画「3月のライオン」は、プロ棋士になった少年の物語。主人公のライバル役の青年が、将棋好きなら誰でも知っているであろう、夭折した村山聖(さとし)八段をモデルにしている。
なんとなく懐かしくなって、大崎善生のノンフィクション「聖(さとし)の青春」(講談社文庫)を読んだ。
本書の存在は知っていたし、たしか藤原竜也主演のドラマも覚えているが、実際に読んだのは、はじめてだ。


“泣ける本”というのは、よくある惹句ではあるけれど、本当に「泣きながら読まされてしまう」本というのは、そうそうあるものではない。30代半ばになってそんな読書をするとは、思いもよらなかった。
棋士村山聖(さとし)八段の、29年の生涯を描いたノンフィクション「聖の青春」は、巻頭から読み終わるまで、病と闘い、将棋に命を削った村山聖の生き様に打ち震えてしまう。

幼少時にネフローゼという難病を抱え、それ故に常に死と隣り合わせの生活を余儀なくされた少年村山聖。気に入らないことがあれば献身的に支えてくれている両親にさえ横暴としかいえない行動をとる聖。その聖に唯一生きるすべを与えてくれたのが、将棋だったのだ。将棋盤の上ならば誰とでも対等に渡り合える。ものすごい勢いで将棋を覚えていく聖。
聖の目標は、当時21歳で名人位となった、天才・谷川浩司を倒して名人になること。それだけを望むのだ。
終生、聖を支え続けた師匠森信雄との出会い。自分の身の回りのことさえおぼつかないこの森が、丸々とした顔の中学生と生活を共にし、食事をさせ、洗髪し、洗濯までする。うまくいかないときは口癖の「冴えんなあ」とつぶやく森。
無類の強さを誇る聖であるのに、理不尽ともいえる理由で奨励会入りを一度は拒まれる。病でいつまで持つかわからない身体の聖にとって、それがどれだけ手ひどい仕打ちであったことか。
奨励会入りを果たし、頂点への階段を駆け上がっていく聖。すべてを将棋のために捧げ、対局に集中するために身体を動かさずにじっと温存する。それでも対局が終われば倒れ、病院に担ぎ込まれる日々。
そんな聖の前に、次々と現れるライバルたち。しかし聖にとっては本当に倒すべき相手は谷川浩司ただ一人。
そこにさらなるライバルが現れる。羽生善治。後に七冠を達成し、将棋界を超えて全国にその名を轟かせるこの青年が聖の前に立ちはだかるのだ。
それでも残る力を振り絞って将棋を指す聖に、残り時間はそれほど無かった……。


改めて気がついたのだが、村山聖は自分より2歳上、その生きた時代はまさしく自分の10代20代の頃を思い出していた。そうだった、確かにあのときの谷川浩司は天才以外の何者でもなかったし、それを上回る羽生善治は神の世界からやってきた人間だった。
一方、マンガ「さすがの猿飛」の主人公にそっくりなことからついたあだ名が「肉丸君」の村山聖も、その愛嬌から人気があったのだ。
血を吐くような(文字通り)将棋を指していた村山に、著者大崎善生が寄せる愛情が、行間からにじみ出てくる。なぜなら当時月刊「将棋世界」の編集長だった著者も、村山を愛し、世話をした一人だったからだ。何とかして村山聖が生きた証を残さなければという思いが駆り立て、この本を書かせたのだ。
その後著者は「パイロットフィッシュ」「アジアンタムブルー」などの小説を書くが、その作家・大崎善生を生み出したのは、村山聖なのだ。

時に両親につらく当たり、友人でありながらもライバルとして闘う棋士に横暴とも言える言葉を吐く聖。それもこれも生きるため、全ては将棋のため。
最大のライバルとなった羽生を行きつけの定食屋に食事に誘う村山の姿は、まるで恋する乙女のようだったという。なんといじらしいことか。

しかし、時間が足りない。あとちょっとで名人に手が届くのに、病魔が聖の身体をむしばんでいく。
読みながら思った。神様、村山聖を勝たせてやってください、名人にしてやってください。ひょっとしたらページをめくれば奇跡が起きて、村山が谷川を、羽生を、佐藤康光を倒して、名人になるシーンが読めるのではないかと思いながら。
そんなことがありえないことを知っているはずなのに。わかっていながら、最後のページまで目が離せない。最期の瞬間のその時まで。

平成10年8月8日村山聖八段永眠。享年29歳。
あれから10年。


読むべし。

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瀬名秀明「Every Breath / エヴリブレス」

瀬名秀明の新刊は、ラジオドラマ用の原作として書かれた、ある女性の100年の人生と、三代にわたる愛の物語「Every Breath / エヴリブレス」


八歳の杏子は、二歳年上の洋平と奈良の大和郡山を駈けていた。そこで見た空に輝く<帚星>。ここから100年にわたる杏子の人生と、彼女から受け継いだ子供、孫の物語は始まる。成長した杏子の前にアーティストとして“洋平”が現れるのだった。

TOKYOFMのラジオドラマ用原作として書かれたので、女性が主人公のラブストーリーではあるし、文体も意識的に読みやすく、そこかしこにラジオドラマ用にBGMが指定してある。けど、そこはそれやっぱり、ひとクセもふたクセもある話になってます。

最初は設定を聞いたとき、「千年女優」か? と思ったけど、ちょっと違った。また、タイトルから想像してiPodでThe Policeを聴きながら(「Every Breath You Take(見つめていたい)」ですね)読んでいたんですが、それも違ってた。
大ネタ部分としてはグレッグ・イーガンがラブストーリーを書いたらこうなるというかなんというか。
いやもうなんていうか、わかる人にだけ伝わる書き方をしますが、瀬名秀明版「電王」なんですよ。愛理と桜井ですよ、これ。あれは特異点なのか。

瀬名さんの「八月の博物館」「虹の天象儀」ラインのリリカルな世界観の物語の集大成と発展形ともいえ、クライマックスで不覚にもグッと来てしまいました。一般的には上記2作品よりもオススメしやすい作品じゃないかと思います。

しかしまさか宇宙館が出てくるとは思わなかったなー。


リンク先で、ラジオドラマも聴けるみたいですし(Macだと聴けない)、そちらでもお試しあれ。

読むべし!

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スラデック「蒸気駆動の少年」発売記念トークショー

河出書房新社から出ている<奇想コレクション>の最新刊、SF作家ジョン・スラデック短編集「蒸気駆動の少年」の発売記念として、2/24にオリオン書房立川ノルテ店にて、柳下毅一郎さん、大森望さん、法月綸太郎さんのお三方でのトークショー&サイン会が行われたので、行ってきました。


これが青山ブックセンターなら、わざわざかもしれませんが、私にとっては近場の立川。それにお三方を近くで見られるなんてそうそうないかもしれない。そりゃ行くでしょうってことで。

そもそも、今回のお題になっているジョン・スラデックという作家なんですが、そういやあ「見えないグリーン」って本格ミステリがあったなあと。SFよりもミステリ作家として(といってもこの「見えないグリーン」しか読んでないけど)しか知りませんでした。
今回の「蒸気駆動の少年」は、そのスラデックの短編を、柳下毅一郎さんが編集、訳者の一人として大森さんが参加されています。メッチャ分厚い本に仕上がってます。

上記お三方なので、どういう話になるのかなと思ったら、個人的な予想を覆し、前半は法月綸太郎さんによる“ミステリ作家としてのジョン・スラデック”を語ってました。実は学生時代「密閉教室」「頼子のために」はものすごく大好きで、あこがれの作家さんだったのですよ。だから何を話しているかより、動いている法月さんが見られてうれしいなと。
それに対して、大森望さんは“変に凝りまくるSF作家としてのスラデック”を語り、一方の柳下毅一郎さんは“なんでも手を出しては凝りまくるスラデック”を紹介するといった形。
例えば13星座目“蜘蛛座”の証明をする占星術のトンデモ本を変名で書いていたり、推理パズル本を書いたり、はたまたUNIX用のエディタのマニュアルなど、なぜそんなものを? と思うような奇天烈なものが出てくる出てくる。

トークショーには、訳者のお一人でもある風見潤さんも飛び入り参加。客席には円城塔さんもいたらしいです。
実のところ、お三方の話を聞けて、家から持ってきた本にサインがもらえればいいや、と思っていたのですが、話を聞いているうちにものすごく読みたくなって、結局「蒸気駆動の少年」を買ってしまいました。

トークショー後のサイン会で、柳下毅一郎さんには「蒸気駆動の少年」と映画評論集「シネマ・ハント」に、大森望さんには「蒸気駆動の少年」と「文学賞メッタ斬り!」に、法月綸太郎さんには「ノーカット版 密閉教室」に、風見潤さんにも「蒸気駆動の少年」にサインをいただき、結局、手元の「蒸気駆動の少年」には、お三方のサインを書いていただきました。

ところで<奇想コレクション>にはロバート・F・ヤングの「たんぽぽ娘」が予告されていて、これをすごく楽しみに待っているんですが、はてさて、いつ出るのやら。


「蒸気駆動の少年」の読書感想はいずれ。

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安原製作所回顧録

こりゃ、メチャメチャ面白い本を見つけた!

あなたが「あの○○会社の○○が欲しい」と思ってものを買う場合、その製品がどのように考えて企画され開発され、製品となり、どのような方法で販売され、店頭で見かけるのか、考えることは少ないし、それを一目でわかる形で紹介されることは少ないだろう。

しかし、その一連の流れが“カメラ開発・製造・販売”という形で明かされる一冊。
安原伸「安原製作所回顧録」(えい文庫)(“えい”は木偏に世と書く)


かつて“安原製作所”という名前のカメラメーカーが存在した。
この本は、有名カメラメーカー技術者だった筆者が、退社後たった一人で企業を立ち上げ、フィルムカメラを開発し販売し、そして消えていった1998年から2004年までの激動の記録を、当人自らが筆を執った回顧録である。

1998年当時、カメラ雑誌に掲載されたクラシカルなデザインのカメラを記憶している。“安原一式”という名のそのカメラは、たった一人の技術者が立ち上げた会社で開発し、中国の工場で生産し、ネットで販売するというものだった。これに多くのカメラマニアが注目し熱狂した。
大きな企業で開発され、性能的には申し分のないカメラが市場にあふれていたのに、このカメラになぜ魅せられたのか? そこには「複雑になってしまった世界にたった一人で立ち向かう」ロマンを、多くの人がこのカメラ開発に感じたからに違いない。
とはいえ、このカメラは、発表時の熱狂と裏腹に、実際の販売成功とまで行かず、会社も短命に終わってしまった。その実情と、デジタル化への波が押し寄せたカメラ業界の激動、中国工場での開発生産に巻き起こる苦難の道のりが、冷静な筆致で明かされていく。

筆者が開発から販売、取材までをこなした(たった一人の企業なので当然といえば当然だが)ことで、「メーカーがものを作って売るまでの考え方・行動のあり方」がこの一冊で見渡せるようになっている。これがニコンやキヤノンなどの有名メーカーの「ヒット商品開発裏話」では、その企業の大きさ故に決して描かれなかった部分であり、類書では味わえない面白さになっている。

のみならず、メーカーと、販売小売業と、カメラマニアというものの存在によって持ちつ持たれつ生きてきたカメラ業界全体の構図、それが一気に変革した20世紀末から現在までの様子も、それぞれ冷徹な筆で腑分けされる。
なぜ、メーカーにはブランド名が必要なのか、開発にかかるコストとは、マニアの言い分がいかに的外れなものでありながら、そのマニアがいなければ成り立たない業界とはいったいどんな世界なのか。

あなたがカメラ好きか、メカ好きか、はたまたメーカーというもののあり方に興味があるならば、是非手に取っていただきたい一冊。
いや、これは「ものを作って売る」行為に関わる人、「あのメーカーのブランドにあこがれてものを買う人」全てが読むべき本である。

超オススメ。買って読んで、絶対損はさせません。

読むべし!

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万年筆「ALWAYS」

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先日、本屋さんで「Lapita」1月号を購入。
「Lapita」は毎年恒例のミニ万年筆が欲しくて、このときだけ買うのです。(写真1)

たしか2005年が「檸檬」(梶井基次郎)をモチーフに黄色のペン軸、2006年が「赤と黒」(スタンダール)をモチーフに赤と黒のツートン。今年はなんと!「ALWAYS 続・三丁目の夕日」をモチーフに作られたその名も「ALWAYS」。夕日のオレンジ色のペン軸。

最初の「檸檬」は買いそびれて入手出来なかったのですが、第2弾の「赤と黒」は気に入ってちょっとの間使ってました。(写真1の真ん中の万年筆)
まあオマケにしては使えるね、というところ。

で今回の「ALWAYS」も早速使ってみました。(写真2)
ペン軸が今回細くなりましたね。慣れるまでにちょっと時間がかかるかな。
これで気分は茶川先生です。小雪求む。

今、普段使っているのは、ペリカンの子供学習用万年筆“ペリカノJr.”(写真1の一番下)。

子供が使いやすいようにということで、握りのところが指が正しくそえるようになっている。書き味もいい。へんに高い万年筆より、お得です。
伊東屋とか輸入文房具を買えるところなら入手できます。オススメ。

それにしても、なんとこんなグッズまで出来るとは。
恐るべし!>「ALWAYS 三丁目の夕日」

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仙台があつい!

Jojoandisaka
本屋さんで、ユリイカ11月臨時増刊号「荒木飛呂彦」特集を購入。
ユリイカなのに、週間ベストセラーランキング入りしたからねえ。凄いぞ荒木飛呂彦。しかも昔「ジャンプ」で写真を見たときから容貌が変わってない。やっぱり波紋の力? それとも石仮面の力?
まさかユリイカでスタンド事典を読むとは思いませんでした。

あれは小学校六年生のとき、荒木飛呂彦のデビュー連載「魔少年ビーティー」が10週打ち切りで終わったとき、担任の先生(川嶋先生)が、

「こいつはいずれ凄いものを描く漫画家になる!」

と、なぜかホームルームの時間に宣言していた。(なぜそんな話になったのか覚えていないけど)

あれから四半世紀。「バオー来訪者」を経て、「ジョジョの奇妙な冒険」が連載開始されたとき、「あ、あのとき川嶋先生が言っていた『凄いもの』ってこれなんだ」と確信したのを覚えている。
第二部第三部は本当に大好きでしたねえ。あれを読んでドイツの技術力は世界一なんだ、と思ったり、カーズの正体はバオーじゃないかと思ったり。(バルバルバルバルバルバルゥ!)

第四部までは読んでいたんだけど、五部以降は正直ついて行けなくなって「ストーンオーシャン」「スティール・ボール・ラン」はほとんど読んでいません。第四部も三部までに比べるとそれほど好きではないけど、あのサバービアな感じは、今の方がより伝わりやすいかも。

で、その第四部を舞台に、乙一が小説化。杜王町でオリジナルスタンド“The Book”が登場。読みましたが、乙一らしく、ちょっとひねったミステリ仕立て。
杜王町って仙台郊外の町なんだよね(荒木飛呂彦は仙台出身)。具体的にはどのあたりをイメージしてるんだろう?

もう一つ、仙台在住の作家、直木賞に一番近い男伊坂幸太郎の新刊「ゴールデンスランバー」も出ました。こちらはストレートに仙台を舞台にした「ダイハード」+「逃亡者」+「JFK」だそうで。これから読みます。

しかし仙台は作家多いなあ。
わが福岡も出身の作家、在住の作家(夏樹静子、原尞など)は多いけど、芸能人の数はもっと多いから、イメージとしてはそっちの方が強いかも。つまり表に出てパフォーマンスする方が好きってことか。>博多もん

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「映画監督 舛田利雄」舛田利雄 佐藤利明・高護 編

日活の裕次郎映画「赤い波止場」「赤いハンカチ」、を皮切りに、渡哲也の「紅の流れ星」、吉永小百合の「あヽひめゆりの塔」、70年代は「トラ・トラ・トラ!」「人間革命」「ノストラダムスの大予言」といったスペクタクル映画、一方ではアニメ「宇宙戦艦ヤマト」劇場版を手がけ、80年代は「二百三高地」「大日本帝国」といった超大作戦争映画と当時にたのきん映画まで手がけるというフィールドの広さで、常に日本映画の第一線で活躍してきた映画監督・舛田利雄。
これだけジャンルが多岐にわたれば、いずれかの作品のどれかを観たという人は多いはず。
にもかかわらず、監督自身が前に出て作品を語る機会というのは、他の監督に比べればずっと少なかったのではないか。それは常に「撮り続けること」で証明し続けてきた活動屋としてのプライドであったに違いない。

今回、デビュー作からの全作インタビューによって、その全貌があきらかになった労作「映画監督 舛田利雄」

リアルタイムで観た70年代80年代の作品にも興味が行くが、舛田監督自身がこだわるアウトローへの思い入れ、また映倫の手で“不完全な”形で公開されてしまった「完全な遊戯」のテーマが、後の「大日本帝国」などの戦争大作映画へ繋がっていくダイナミズム。この話だけでも「完全な遊戯」を観たくなる!

また、近年新証言によりそのベールが剥がれつつある黒澤明監督降板のハリウッド大作「トラ・トラ・トラ!」も、舛田利雄監督からの目線で語られると、これもまた全く違う視界が開けてくる。しかもこれまた黒澤監督と、「二百三高地」の主演である仲代達矢を巡って因果がまわる。

面白いのは、組んだ脚本家の相性が良いかどうかはその力量(いずれも名を残す名脚本家ばかり)とは関係ないところ。もちろん良く書けているかは重要だけど、監督としては地味なシーンばかり書かれたのではつまらない。とはいえ、そこを何とかするのが娯楽映画監督の腕の見せ所なのだろう。

どんな役者でも良いところを褒めて言及するあたり、さすが監督。だからこそ現場で慕われるんだなあと。

第一線で走り続けた映画監督の自負がみなぎる総528ページ。読まずに過ごすは映画好きの名折れとなろう。

「昭和の劇 映画脚本家・笠原和夫」
「映画監督 深作欣二」
「遊撃の美学 映画監督中島貞夫」
「映画の呼吸 澤井信一郎の監督作法」

と合わせて読むと、2500ページを超える怒濤の厚さ。いや、なかなかどうして、映画人たちの熱い血潮を感じるべし!

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切通理作「情緒論——セカイをそのまま見るということ」

怪獣使いと少年」「お前がセカイを殺したいなら」などの評論をものにした切通理作さんの最新批評集「情緒論——セカイをそのまま見るということ」を購入。
10/7に三省堂書店神田本店で刊行記念トークショー(切通さんと阿部嘉昭さんの対談)も行われたので、行ってきました。

情緒論、というので情緒をどう論旨展開するんだろうと思っていたけれど、よくよくタイトルを確認したら、「セカイをそのまま見るということ」とちゃんとついているではないか。
この評論内で扱われる人物や作品は、柳田国男から小林秀雄、川端康成からつげ義春、ウルトラマンからAV、中平卓馬やホンマタカシ、「ALWAYS 三丁目の夕日」から「時をかける少女」、果てはギャルゲーにいたるまで、縦横無尽に語られていく。
冒頭に「バカの壁」「国家の品格」といったベストセラー本を紹介し、そこにある「ありのままの世界を見る」ということと、近くて違う「そのまま見る」ことを語っていく。
「ありのままの世界を見る」といいながら、そこに私たちが見ているのは「あって欲しいと潜在的に思っている世界」なのだ。
だから私たちは「国家の品格」に溜飲を下げ、「ALWAYS 三丁目の夕日」に涙してしまう。
ところが、これらの作品を賞賛する際も、批判する際も、人は作品を見ていない。これらの作品は「自分が見たいと思っているもの」を投影してしまうのだ。だから作品を褒めて(けなして)いるようで、実は「最近の若者の態度が気に入らない」とか「昔の生活はああだった」と自分を語ってしまう。
作品に自分を語れる隙間を持っているところが、ヒットの要因なのかもしれない。

といっても、「国家の品格」などとこの情緒論が決定的に違うのは、最大公約数的に「見たいと思っているありのままの世界」とは思われないないものに、「なつかしい」ものを見いだそうとしているところだ。それは柳田国男が講演で残した子殺しのエピソードのある瞬間であったり、川端康成やつげ義春のエロの瞬間であったりする。そこにいいようもない「切なさ」と「なつかしさ」を感じる瞬間を提示してみせる。そこに凡百の「なつかしさ」の賞賛や批判との差を思うのだ。

ふと思ったのだけれど、「国家の品格」や「ALWAYS 三丁目の夕日」に感動し、教育基本法を改正し、「美しい国日本」といっていた安倍晋三前総理のやっていたことは、まさしく国家レベルの「イエスタデイ・ワンスモア」だったんだなあと。(注「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」を参照のこと)
ひろしの靴下をかぐ前に、ケンとチャコならぬシンゾーとアッキーは倒れてしまったわけですが。
先日の教科書検定での、沖縄戦の記述見直しなんて、まさしくその典型例で、「見たい(見たくない)と思っているもの」を安倍前総理は実現しようとしていたわけですし。
福田総理になって即座に変わっちゃったし。まあ福田さんが良いって訳じゃないですが。

私見によるが、この本の中で書かれている「ALWAYS 三丁目の夕日」評を含めた「昭和ブームの中で消える「町」」は作品評として、またヒットした状況とその向こうにあるものまでをみせたベスト評だと思う。ようやくこれで「ALWAYS〜」という作品の置き所が見いだせた気がする。

さて、10/7に三省堂書店で行われた刊行記念トークショーに参加。阿部嘉昭さんとのトークショーのなかで「不如意」という言葉で、この評論中の「なつかしい」ということを対談相手のである阿部さんが語っていたのが印象的でした。
(じつは、出かける直前まで原稿を書いていて、おまけに本も半分程度までしか読んでいなかったので、トーク内容が頭の中になかなか入ってこなくて困った)
その後の飲み会にもお誘いいただき、楽しい時間をすごさせていただきました。

この本一冊でも読めるし、ファンなら「お前がセカイを殺したいなら」「ある朝、セカイは死んでいた」に続く本としても楽しめると思います。
あ、今回タイトルがめっちゃ前向きになってますね。「ヱヴァンゲリヲン 新劇場版」並に前向きにですよ。

読むべし!

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磯田道史「武士の家計簿」

先日NHK教育の「知るを楽しむ」で、「拝見・武士の家計簿」を見たところ、あまりに面白いので、番組の元になっている「武士の家計簿」(新潮新書)を読んでみました。

この新書「武士の家計簿」では、著者がある下級武士の家計簿を入手するところから話が始まります。
加賀藩の御算用者(会計係)を勤めていた猪山家の幕末から明治に至る詳細な家計簿。なにせ公務で会計係をやっているだけに、読み解くとすさまじく微に入り細にわたった一家の家計がわかったわけです。

藤沢周平原作、山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」以下「隠し剣鬼の爪」「武士の一分」を見ていて思ったのは、武士の暮らしが実際のところどうだったかよくわからないとことなわけです。もちろん山田組スタッフは、出来る限りのディテールを突き詰めて映像化していますが、それでも、清兵衛は海坂藩(うなさか:藤沢周平の時代小説の舞台。庄内藩がモデル)の、50石取りの平侍で、妻に先立たれものすごく貧乏な生活をしているということになっているけれども、じゃあその50石ってどのぐらいの給料なんでしょうか?

この本では武士家庭の収入および支出が詳しく説明されるのですが、その内容が目から鱗が落ちる思い。そもそも武士の給与ってどういうもの? とか思うでしょ。その基本から教えてくれます。
猪山家家計簿の解説を通して見えるのは、武士階級の窮屈さと崩壊の過程な訳です。
特に散財しているわけでもないのに、慢性的に赤字の家計簿。
でも、武士のたしなみとしては一段低く見られていた算術を武器に、猪山家は幕末から明治維新の激動期を生き抜きます。
一方、お上頼みしか知らない武士は時代の波の中で消えていくわけです。

「美しい国」とか言って「武士道」や「大和魂」だのを持ち出す人は多いですが、実際の武士がどうして消えていったかを知ることは重要かも。
そんな日本史の一端が、無名の武士家庭の家計簿を通してかいま見えるというのは痛快と言えましょう。


そうそう、話のついでに。
「たそがれ清兵衛」では、決定稿には、清兵衛の家で米がなくなってしまって、娘に、近所から米を借りに行かせるというシーンがあったのですが、完成した映画ではなかったので、残念でした。なぜならそのシーンは、クライマックスで闘う余吾善右衛門との会話で「米櫃に米がなくなった時の貧乏の悲しみ」を語り合うのですが、その会話で、清兵衛と善右衛門は同一の存在であることを知らしめるための複線として、重要なシーンになるはずだったのです。
ここと、意味不明な井上陽水のエンディング曲使用の2つが、わずかながらに、「たそがれ清兵衛」を自分の中で超傑作になりえない(でも傑作だとは思います)ものにしているのです。

この本、2003年に出ているので、きっと山田洋次監督も読んでいるに違いありません。それが「隠し剣鬼の爪」「武士の一分」に生かされている、かも。(ホントか?)
でも、最初の2作が幕末という設定にしていたのに、「武士の一分」がそうではない(よくて江戸中期ぐらい?)のも、あんまりリアルに生活を描こうとしすぎると話が進まないからだと思いますけど。


そんなわけで薄めの新書で思い切り楽しめること請け合いの本です。
読むべし!

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小野俊太郎「モスラの精神史」

講談社現代新書より。映画「モスラ」を戦後日本史と絡めて考察した本。

主に原作である「発光妖精とモスラ」と、完成した映画との差異や、当時の世相を語っている。劇中、テレビというものが排除され、なおかつテレビのシンボルである東京タワーが壊されると言うところに、当時のテレビの隆盛と制作する映画人たちの思いが反映されているという指摘は、なるほどと。

その後のモスラ的主題の後継者として、宮崎駿「風の谷のナウシカ」をあげるところは、まあそうかなと。ちょっと違う気もするけど、否定するほどの材料もないので、そういう考察も面白いかもしれません。


これにあわせてDVDで「モスラ」を再見。
なるほどと思ったのは、小美人の歌と、インファント島の原住民の踊りなんかも、総天然色・東宝スコープの売りのひとつだったのねと。テレビじゃ観れない面白さを狙っているわけで。

実は、「モスラ」を観たのは相当後の話で、子どもの頃は「モスラ対ゴジラ」は観たんですよね。本当は「のび太の恐竜」の公開時の併映が「モスラ対ゴジラ(短縮版)」だったはずなんだけど、このときに観たという記憶がありません。その後のテレビ放映で観たのが最初なのかな?
そんなわけで、子どもの頃の記憶をたどると「モスラ」そのものは観ていなくて、その後の「モスラ対ゴジラ」「三大怪獣 地球最大の決戦」を繰り返し観ていたようです。
特に「~地球最大の決戦」はものすごく好きでしたね。キングギドラ登場のシーンとか、メチャメチャドキドキした記憶が。

実は一番観ている怪獣映画はおそらく「空の大怪獣ラドン」で、子どもの頃結構頻繁にテレビ放映をしていたんですよ。
おそらく、福岡だったので、地元怪獣だということ、総天然色(カラー)だけれど画面がスタンダードなので、テレビ放映には都合がいいとか、そういう理由だったんでしょうね。


というわけで、書けば書くほど、モスラに思い入れがないことがバレバレだ。


あ、あと今回再見して、ザ・ピーナッツが、当時の普通の日本人の女の子の顔だった。(当たり前だ)
頭の記憶の中の小美人は、ものすごくエキゾチックな顔立ちだったんだがなあ。

最近だと、東宝シンデレラの長澤まさみと大塚ちひろがやってたりしますが、それほど感じ入るものもなく。
今度はマナカナにでもやってもらったらどうですかね。

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深町秋生「果てしなき渇き」

第3回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。文庫化されて売れているらしいです。

元刑事の藤島はコンビニでの強盗殺人の目撃者となってしまう。犯人の目星がつかず、警察から何度も聞き込みをされる毎日。そんなとき、別居中の妻から連絡が入る。娘の加奈子が失踪したというのだ。
娘を捜す藤島は、やがて真っ黒な暗黒の世界へ墜ちていくのだった。

過激な暴力描写がありつつも、元刑事のハードボイルド調で幕を開ける物語。そこからノワール世界への片道切符。キレまくった登場人物も多彩だが、なんといっても主人公藤島の止まらないパワフルさに目が離せない。
もっとも大事だと思っているものを、もっとも無惨な形で破壊することでしか自分を表現出来ない主人公。ヤバい。ヤバすぎます。

一方で挿入される少年の視点による加奈子の物語。悲しくもリリカルさの片鱗を見せる青春小説の感じ……と思いきや、これまたエラいことになっていきます。

後半1/3のクライマックスは、怒濤の展開。読む手は止まりません。


正直、普段あんまり読まないタイプの小説なのですが(エルロイもそうだけど馳星周もそんなに読んでないし)、目が釘付けという感じでしょうか。「悪魔のいけにえ」とか「ゾンビ」とかみたいに「ひえー、やべー」と叫びつつも、全部観ちゃう感じというか。

映画化するなら……三池崇史監督、岸谷五朗で、ってそれ「新・仁義の墓場」じゃん。いやまさしくそういう感じ。というより作者が観たかどうか知らないけど、インスパイアされているような気がします。


というわけで、私の感想初のR-18指定で、読むべし!

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「伊丹十三の映画」(考える人編集部編)

1984年の初監督作品「お葬式」から1997年の「マルタイの女」までの十作品を残して去った、伊丹十三監督。そのスタッフ・キャストの総勢43人からのインタビューをまとめた本「伊丹十三の映画」


山崎努、津川雅彦などの主役クラスはもちろん、伊丹作品で出世した大地康雄や村田雄浩。撮影の前田米造、編集の鈴木晄など。配給担当の人まで登場する。
逆に、ここに登場しない三国連太郎や黒沢清(周防正行は出ている)の不在が際だっている。

没後10年というタイミングが良かったのか、それぞれにとっての、伊丹十三と伊丹作品が相対化されている。これが5年ぐらいだと批判的な言葉も出にくいし、20年では遅すぎる。
山崎努はなぜ最初の3作以後は出なかったのか、津川雅彦が駄目だと思った作品はどれか、前田米造が後期のビスタサイズ撮影になってからの画作りの苦労など、結構率直に語っている。

一時代を築き、ヒット作を連発した伊丹十三映画を、今後語るための基礎資料になるだろう。
エッセイストなど別の側面をまとめた「伊丹十三の本」とあわせて、映画好きなら読んでおくべき一冊。


「伊丹十三の本」はこちら

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最相葉月「星新一 一〇〇一話をつくった人」

SF作家にして、ショートショートの第一人者、星新一の初の本格的評伝。あちこちで評判になっていたので、早速読んでみた。
星新一の誕生前は多少もたついたが、作家になって以後は、一気に読み通した。

星新一のショートショートは、多くの人にとって、中学生ぐらいで読書に目覚めたときに、通過儀礼のように読み漁り、そこからいろんなものに手を伸ばしたのではないか。誰もが一度は読んだであろう、その星新一がいかなる人物であったのか。

ブルトーザーと呼ばれて「日本沈没」などの長編を書いた小松左京や、現在でも文学の可能性を切り開き続ける筒井康隆と違い、星新一は、その平易で簡潔な表現と、一〇〇一話のショートショートという分量の陰に隠れて、著者本人そのものが見えてこない。
もちろん、少しでも星作品を読んだ人なら、戦前から続いた星製薬の御曹司であるとか、SF作家仲間の間でもずば抜けたブラックユーモアの持ち主であったことは知っているだろう。
それら断片的に知られた事実を、「絶対音感」などのノンフィクションで知られる最相葉月が、丹念な取材で浮き彫りにしていく。
そこに浮かぶ星新一という人物の、なんと孤独に満ちた世界に生きた人であったことか。
そもそも子供の頃から感情表現が得意ではなかったであろう内向的な青年が、いきなり父親の事業を引き継ぎ、そこで人間の裏面をいやというほど見てしまったのだ。そのトラウマは作家として名を成してからも影響を及ぼし、おそらく、ほとんど誰にも(家族でさえも)心を許さなかったのではないのか。

この評伝はまた、星新一側から見た日本SF史でもある。
書きたくて、また書き続けるしかなかった若き日本SF作家たち。その黎明期の希望と、周囲の無理解への闘いの記録なのだ。

いくつかのネットでの書評を読むと、「SF作家じゃない奴がこんな物書きやがって」的な批判があったが、だったら今までSFファンジンでも作家側で顧みて書かなかった時点で負け。いや勝ち負けではないが、単純にいちゃもんとやっかみでしかない。というより、SF側じゃないから(日本SF史としては)自明と思われたことをわざわざ踏み込んで書いてて、そこが新鮮に読める。

誰しもその名を知っていながら、誰も知らなかった星新一に迫った好著。
読むべし!


実は、読んでて一番ビックリだったのは、江坂遊って文庫絶版なの!? ってことだったりする。

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クライブ・ポンティング「緑の世界史」

連休中に読んでいた本のうち、一番中心的に読んでいたのがこれ。
クライブ・ポンティング「緑の世界史」(朝日選書 上下巻)
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最近の環境問題などの報道などで思うところがあって、環境問題の大枠のことを読みたいなあと思っていたところ、そういえば昔買ったこの本のことを思い出し、引っ張り出して読んでいました。
たしか宮崎駿が「風の谷のナウシカ」漫画版の完結時か「もののけ姫」の公開時かに、この本のことを語っていて、その時に買って、頭だけ読んだのでした。

この本は、人類の環境通史という内容で、人類誕生から現在に至るまで、人類の活動によって環境が激変し、破壊されてきた歴史を語る本です。
第一章で描かれるのは、あのモアイ像で有名なイースター島の歴史。いまだにあの巨石像であるモアイを作り出した、イースター島の古代先祖たちが、部族衝突とモアイ作りでわずかなイースター島の緑を回復不能なまでに破壊し、結果自分たちの文化も終わらせてしまったこと。これをある愚かな一部族の物語と考えるのか。
作者は当然、これを人類の象徴的な物語として提示します。

本全体で描かれる、人類史における環境への影響に対する大きな転換点は、二つ。一つめが農耕定住社会の誕生、そして二つめが産業革命。
しかし、作者は人類の誕生から狩猟採取社会の段階で否応なしに環境を破壊し続けてしまった人類史を突きつけます。

原著が1991年なので、すでに15年以上経っており、環境を巡る問題はより深刻度を増していますが、基本的な問題はすべてここにあります。
たしか宮崎駿は、「ナウシカの問題を突き詰めると、『緑の世界史』にたどり着く」と言っていたように記憶しています。
「北極の氷が溶けつつある」というのが遠い出来事のように思われる方は、是非手にとってみてください。環境を失ってからではもう遅いのです。全ての問題の教科書として、一読をオススメします。


読むべし!

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池上永一「シャングリ・ラ」

みなさま、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
今年のお正月は、これを読んでいました。というわけで、新年一発目の感想は、書評から。


「バガージマヌパナス」「風車祭」「レキオス」など、自分の出身である沖縄を舞台に描いてきた池上永一が、今度は舞台を森林化した東京にして、近未来アクションSF小説に挑戦した「シャングリ・ラ」

近未来の日本。地球温暖化の対策のため、東京を森林化して炭素削減に取り組む日本政府。しかしその森は人々の生活を奪う凶暴なジャングルと化していた。一方東京の中心に巨大な構造物“アトラス”を建築し、そこに階層社会として選ばれた人間だけが住むようになっていた。
そんな状況に反政府ゲリラの総統として立ち上がったのはセーラー服の女子高生、北条國子。彼女は育ての親であるニューハーフのモモコに戦いのすべてを教えられ、最強の存在となって、日本政府に、アトラスに、戦いを挑んでいく。
一方、十二単を着た謎の少女美邦、その主治医小夜子、炭素経済予想システム「メデューサ」を手に炭素経済を操ろうとする香澄、政府軍の謎の男草薙少佐など、多彩な人物が絡んでいく中、すべての謎は、アトラスの中心部に吸い寄せられていく。アトラスの真の目的とは?

……あらすじだけで、書くのが終わりそうだよ。
元はアニメ雑誌「NEWTYPE」に連載されていたというだけあって(そもそもNEWTYPEで小説が連載されていたのかと驚いた)、アニメになりそうなキャラクターが、ジャングル化した東京を縦横無尽に飛び跳ねる(←比喩表現ではなく、本当に飛び跳ねている)。それだけでも十分面白いけれど、一方で登場する経済活動による炭素排気を指数として扱う炭素経済というアイデアが抜群。暴走するコンピュータの投機合戦や異常気象さえも操ってしまう展開、呪術と超人の戦いなど、ともかく大きい枠での“SF”としかいいようのない大作です。
しかも、後半どんでん返しの連続の果てにあるのは、まさしく日本の中心そのもの。駄菓子とジャンクの大伽藍の先に、こんな展開が待っているとは、予想もつきません。
怒涛の1600枚、上下二段組み600ページの大長編。読んで損なし、空クジなしの大当たり。気合を入れて読むべし!


ちなみに、アニメ化するならやっぱりProduction I.G.っすかね。

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瀬名秀明「境界知のダイナミズム」

瀬名秀明の最新刊は、氏のサイエンスノンフィクションの集大成となる、橋本敬、梅田聡との共著「境界知のダイナミズム」

「パラサイト・イヴ」でホラー作家として華々しくデビューした際、瀬名氏につけられた“理系作家”という肩書き。当時薬学部大学院生だった著者を売るための文句としてつけられたこの肩書きや、他の作家と違う創作方法や作家としての姿勢に“違和感”を抱きながら活動してきた自身のこれまでを総括し、語られてゆく。
クライマックスで語れるそのテーマは、近作「デカルトの密室」「第九の日」において描かれたものと同じく、“希望”である。

闇雲な理想や夢ではなく、“希望”。ストレートでありつつ私たちが気恥ずかしさのあまり語られにくくなってしまったもの。それこそが実は瀬名秀明を貫くテーマなのだろう。それは師が敬愛する藤子不二雄が、マンガを通して子供に語り続けたものであり、その姿勢を受け継いでいるのだ。

クライマックスで語られる“シンパシー(sympathy)”と“エンパシー(empathy)”の違い。それは「のび太の恐竜」と「のび太の恐竜2006」のクライマックスの差ではないかと考えている。
今年公開された四半世紀を超えたリメイク作「のび太の恐竜2006」において、監督の渡辺歩以下スタッフは、原作及びオリジナル映画版とは違う重大な変更を施している。それはある意味とても辛い結末を選択しているのだが、それにあえて踏み切ったということは、かつてのび太くんだった人間が、作り手に回った今、次世代ののび太くんたちにバトンタッチするための力強い決断であり責任を感じているからなのだ。

「境界知のダイナミズム」のクライマックスで語られる“シンパシーとエンパシー”とはまさにそのことではないだろうか。


「デカルトの密室」が難解でわかりにくいという人は、こちらの方がよりストレートでわかりやすいかもしれない。
瀬名ノンフィクションの現時点の最高傑作である。

読むべし!

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「このミス」2007年版&2006年読書ベスト

師走になり、各種ベストテンも揃ってきました。そろそろ自分の映画ベストテンを考えないと。

で、今回は読書編。
毎年買っていた「このミステリーがすごい!」2007年版を先日買った。今年は何がベストなのか?

……ランクイン作品、1冊も読んでない……。
20位までのランクイン作品のどれもかすっていない有様。たしかに今年の新刊ミステリってろくに読んでない(京極夏彦の新刊も読んでないし)のはたしかだけど、ここまで外すとは。あらまあ。

あんまり悔しいので、著者インタビューも載っていた石持浅海の「顔のない敵」を買って読む。対人地雷をテーマにした連作本格ミステリ短編集という毛色の変わった内容。
確かに悪くないけどちょっと小粒すぎるかな。他の長編とかも読んでみよう。


というわけで、自分の今年の読書ベストは以下のとおり。

1位.田草川弘「黒澤明VS.ハリウッド」(文芸春秋)
2位.橋本忍「複眼の映像 私と黒澤明」(文芸春秋)
3位.サイモン・シン「ビッグバン宇宙論」上下巻(新潮社)
4位.羽海野チカ「ハチミツとクローバー 第10巻」(集英社)
5位.瀬名秀明「おとぎの国の科学」(晶文社)

1位と2位はともに巨匠・黒澤明にまつわるノンフィクション。「黒澤明VS.ハリウッド」は、クランクインしながら途中監督降板してしまったハリウッド大作「トラ!トラ!トラ!」の真相に迫るノンフィクション。「複眼の映像」は脚本家橋本忍の、黒澤明との脚本作成の裏側に迫るノンフィクション。両方をあわせ読むと、黒澤明という巨大な才能を持った人物の、創作の偉大さと裏あわせの弱点が見えてくる。映画ファンは必読の2冊。

3位はサイエンスノンフィクションの傑作をものにしているサイモン・シン最新作。「フェルマーの最終定理」「暗号解読」に続くテーマはその名もずばり「ビッグバン宇宙論」。人類の歴史において、世界観の広がりと、現在の宇宙論までを描ききる。読む手が止まらぬ面白さ。一般には敬遠しそうなテーマを、難しい数式などをいれずにわかりやすくする筆力はすばらしい。

4位は大人気マンガの最終巻。青春の終わりをみずみずしく描ききった傑作。最終ページ、主人公竹本くんの、青春の決別に涙せずにはいられない。

5位、瀬名秀明エッセイ集。サイエンス周辺のエッセイとしても面白く読めるが、なぜこれがランクインかというと、私が出てくるから。(爆)
どこに出てくるかは読んでみてのお楽しみ。(名前は出てこないので、関係者以外にはわかりませんけど)


小説のたぐいは、ランクインするものはないなあ。今年はあまり読んでいないってこともあるけど。まあそんなところです。

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「ハチミツとクローバー」完結!

最初のアニメ化の前後からちょいちょいと読んでいた「ハチミツとクローバー」。映画化もされて、あれよあれよと大ブレイク。で、先日完結編10巻がでたので、その前に書いていた9巻の感想と合わせて日記を蔵出し。

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ああ、とうとう「ハチクロ」9巻読んじゃったよ。
あんなことやこんなことが登場人物の身に降りかかってきて、どーなっちゃうのか?
連載はすでに先月号のコーラスで終了しているので、あとは10巻を待つばかりですけど、さて。

初期の「すごいよマサルさん」ばりのギャグ満載から、本当に青春マンガになったなと。
才能を持っている人間と、そうでない人間、持つことで起こる苦悩と、持たない故の苦悩。
あのバカ満載才能満載の森田だって、ああいう過去を抱えて生きてきたのであって、ってあのハリウッドに乗り込んで映画作ったのが、こんな伏線になっていたとは!?
そしてはぐに降りかかる災難。

通して読んでいると、自分が森田やはぐのような才能があるわけもなく、真山やあゆのような一途(ストーカーっぽいが)にもなれず、ああやっぱりオイラは竹本だなあ、いや、自分の人生が竹本から花本先生の途中にいるなと本当に思います。

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ああ好きさ 大好きさ!!

前巻ではぐの身に降りかかった災厄。
それと共に、いつまでも回り続ける青春模様が、一気に展開していく。はぐは、竹本は、森田は、真山は、あゆは、花本先生は、それぞれの道を選択することになる。

9巻は何となくいつか読もういつか読もうと躊躇していたんですが、いざ読んでしまったらもう続きが待ちきれなくて、この10巻が出るのを待ってましたよ。朝に買ってから、営業先への移動中に読んでしまって、そのまま旅に出たい気分になりましたよ。

色々と思うところはあるものの、もうこうなるしかない、という終わり方ですね。なるほどこうやって人は大人になっていくんだなあと思います。パズルのピースが最後の最後にかちりとハマって、感慨深いです。
それにしても、この最終巻で花本先生が青春野郎になって、これはこれで微笑ましいなと。

10巻に収録してあるのはラスト4話なので、後半は「ハチクロ」番外編2編と、読み切り短編が2本同時収録。短編「星のオペラ」もかなりグッとくる話で好きです。

満足。そしてもう続きがないのかと思うとちょっと寂しい。

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瀬名秀明「おとぎの国の科学」

「パラサイト・イヴ」「八月の博物館」の瀬名秀明さんの、デビュー時から現在までに発表したエッセイのベスト集「おとぎの国の科学」


内容としては、デビュー作「パラサイト・イヴ」から近作「デカルトの密室」までを創作中の折々のことや、各種雑誌や新聞に発表されたエッセイなど。大半は科学向けエッセイの形をとっているが、その中に見え隠れする、本人の10年の心の軌跡が微笑ましい。

藤子不二雄を敬愛し、クーンツをお手本とするいわゆるB級ジャンルをこよなく愛しながら、一方で学者の家庭に生まれ、科学的思考と論理を右手にしている。その両方がとてもアンビバレントな形で小説に現れるところが、瀬名作品の魅力であり、アキレス腱でもある。

また、瀬名秀明作品のそれ以上に大きな特徴は、「物語を語ると言うことはなにか」「物語を語るわたしとはなにか」という問いかけをしていることだ。
小説の中では、時に内証的すぎてバランスを崩してしまうこのテーマが、エッセイであればストレートに表現することが出来るだけに、読みやすく、わかりやすい。

これまでの著作の裏話や、これから発表されるであろう作品のタネも散見しつつ、この本から瀬名秀明に入るのもまた面白いかもしれない。


読むべし!

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西村雄一郎「黒澤明と早坂文雄」

「黒澤明VSハリウッド」や「複眼の映像」といったここ最近力作が発表されている黒澤本の中でも、満を持しての評伝、しかも黒澤明の盟友であり「七人の侍」の音楽監督である作曲家・早坂文雄の二人の誕生から別れまでを、800ページにも渡る大作として描いた「黒澤明と早坂文雄――風のように侍は」。


本題に入る前に個人的な思い出話をしておきたい。故郷から映画の勉強をしたくて上京した。自分の荷物の中に入れていた唯一の本が、この「黒澤明と早坂文雄」の作者、西村雄一郎氏の「黒澤明・音と映像」だった。当時田舎にいた浪人生で、小遣いもあったわけではなく、なけなしの小遣いで買ったこの本を大事にしていた。
この本は、黒澤明作品を、その関わった作曲家ごと(鈴木静一、服部正、早坂文雄、佐藤勝、武満徹)に章分けし、作品の変遷を描いた本である。上京前後、書いてある内容を端から端まで読み通し、ここから映画の見方、クラシック音楽、評論の書き方もすべて学んだのだ。その上、当時フジテレビの深夜に放送していた映画技法を紹介する「アメリカの夜」(この番組の監修も西村氏が行っていたという)と合わせて、いわばこの本は私にとっての映画の原点であり、西村雄一郎氏は精神的師であると(勝手に)思っている。
(注 この本はその後、池辺晋一郎の章を追加した増補改訂版が出ている)

閑話休題。
この「黒澤明と早坂文雄」は、その黒澤映画の中でももっとも光り輝いていた「七人の侍」の作曲家、早坂文雄と黒澤明監督の生涯の交流と、「生きものの記録」の撮影中に早坂文雄が死去するまでを、丹念に取材した伝記である。
これまで断片的にいろいろな本などで書かれてきた黒澤映画の創造の秘密は、驚異的なまでのパワフルさを持った巨大な才能である黒澤明と、それを支えた献身的な、かつそれに負けない才能を持った各パートのクラフトマンがいたからこそである。
その黒澤映画を音楽面で支えたのが、早坂文雄であり、彼が担当した「羅生門」「生きる」「七人の侍」が映画史に燦然と輝く作品であることは異論がないだろう。
本文中に描かれる、病に冒された身体で黒澤の期待に応えようとする早坂の姿には、美しくも悲しみが纏われている。


黒澤明の評論本として、また早坂文雄の唯一の伝記として、超一級の大作である。

読むべし!


P.S. 出来れば、植草圭之助「わが青春の黒澤明」、橋本忍「複眼の映像」、西村雄一郎「黒澤明と早坂文雄」、田草川弘「黒澤明VSハリウッド」の順に読めば、いかに黒澤明という巨大な才能が己自身の重みの中で軋み、つぶれ、「トラ・トラ・トラ!」が撮影途中で放棄し、「影武者」が無惨な出来になり、晩年の作品に至ったかがよくわかります。

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瀬名秀明「第九の日」

Daikunohi

本家ホームページで紹介している、瀬名秀明さんの新刊は、前作「デカルトの密室」で活躍したロボットケンイチたちの活躍を描く、シリーズ第1作からの4作をまとめた短編集「第九の日」

ロボット・ケンイチとその製作者尾形祐輔、祐輔のパートナー一ノ瀬玲奈の三人が活躍するミステリーSFシリーズ。その第1作はポオを意識した「メンツェルのチェスプレーヤー」に始まる。続編は長編として「デカルトの密室」が別にまとめられたが、さらにウェルズへのオマージュ「モノー博士の島」、クイーンへのオマージュ「第九の日」「決闘」に至る。

このシリーズは、大枠はミステリーの形を借りているが、ミステリー的解決のカタルシスを期待すると肩すかしを食らうかもしれない。シリーズの進行にあわせて、後期クイーン問題とAI研究におけるフレーム問題を絡めて、世界のありようを捉えようということなんだと思う。


長編「デカルトの密室」はその意識の高さは買うしその筋では受けたものの、「いきなりそんなこと言われてもさっぱりワケわかんない」とあんまり一般的な方向では期待通りには伝わらなかったかも。
その点これはもう少しミステリーに寄っているし、短編なので、もう少しサラッと読めるかも。(でもテーマ的には「デカルトの密室」からさらに続いているんですけどね)
個人的には表題作「第九の日」の前半のサスペンス溢れる描写はかなりいいんと思います。後半の展開にはアレの登場とかあんなんなっちゃうとか、ビックリさせられました。
そのあたりは多分さらなる続編に期待しますかね。 (まさかこのまま終わりではないでしょう)

それはともかく、元ネタのクイーンの「第八の日」は読んでないのですよ。今度探して読んでおかないと。

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サライ「寅さん」特集号

Saraitora
オヤジ雑誌で有名な「サライ」
「寅さん」特集なので、初めて買ってみました。


山田洋次監督、倍賞千恵子さんインタビューとか、名場面集(ロケ地の美味いもの紹介あり)、夢シーン紹介とか、結構好き者が編集したなあとわかる内容ですね。
柴又の大和屋の天丼、食べたいなあ。 (いつも柴又に行くたびに食べるのです)


こういうのを読んでいると、またまた「男はつらいよ」を観たくなってくるのがね、いやはや。

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田草川弘「黒澤明VS.ハリウッド」

黒澤明監督が「赤ひげ」の後、撮影を開始したハリウッド映画「トラ・トラ・トラ!」。ところが、撮影開始直後に黒澤監督は降板、ハリウッド資本による一大戦争スペクタクル映画は幻に終わってしまった。

その後の黒澤監督の作風が大きく変わっていくけれど、その原因の一つはこの作品の失敗も大きく影響しているのではないか。


「トラ・トラ・トラ!」の降板の理由は、黒澤監督のノイローゼ説など諸説あるが本当は一体何が起きていたのか?
その真実に迫ろうと、例えば当時キネマ旬報編集長だった白井佳夫が連載したルポルタージュ(「黒澤明集成III」に収録)や、野上照代編「黒澤明 天才の苦悩と創造」などがある。後者には黒澤監督が撮影時に使用されていた「トラ・トラ・トラ!」シナリオ(撮影稿)が収録してある。

さて、今回出た田草川弘「黒澤明VS.ハリウッド」(文藝春秋)は、アメリカ側に残されていた資料を基に、これまでにない、伝説化してしまった「トラ・トラ・トラ!」の顛末がまとめられている。なくなっていたと思われていた、最初に黒澤監督が書いた「虎虎虎」(←最初のタイトル)の準備稿や、絵コンテ、撮影日報、病気降板と言われたときの診断書(!)、果ては「トラ・トラ・トラ!」のプロデューサーである、エルモ・ウィリアムズのインタビューまである。

特に特筆すべきは、これまで何かと黒澤監督寄りの視点でまとめられていたこれまでのルポなどに比べ、より俯瞰的に描かれている点だ。この本の真の主人公は、「トラ・トラ・トラ!」の企画立案者でありプロデューサーであるエルモ・ウィリアムズなのだ。

結局のところ、20世紀フォックスが企画し製作した「トラ・トラ・トラ!」という戦争映画に対し、黒澤明監督自身がその立場を「わかっていなかった」という点につきる。あくまで日本側シークエンスの演出担当として雇われていたにもかかわらず、自分に全権があり、これまで通り「いいもの作れば結果オーライ」と思っていた。その誤解が結局悲劇を生んでしまったという、まさしく日米の戦争へ突入してしまった悲劇を地でいく出来事だったのだ。

著者は、当時黒澤監督の下で「トラ・トラ・トラ!」のシナリオの翻訳を担当していたという。しかし「真実を探るために」というジャーナリズム精神を発揮し、非常に公平なバランスで書ききっている。


読むべし!

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終末のフール

直木賞に一番近い男、伊坂幸太郎の新作は、地球滅亡を三年後に迎えてしまった人々の日常を描く連作短編集「終末のフール」

仙台市北郊外にある新興団地“ヒルズタウン”。ここに住む様々な人々。8つの短編で描かれるそれぞれの人生模様。

伊坂幸太郎って、新刊が出たらすぐ買います、と言うほどのファンではないのですが、巻末の謝辞に、東北大の土佐誠教授と仙台市天文台の小石川さんという知っている方お二人の名前があったので思わず買ってしまいました。

キェシロフスキーの「デカローグ」にインスパイアされて書いたということですが、伊坂幸太郎の持ち味というか、深刻なのに深刻な感じがせず、悲しいのに悲しい感じのしない、透明感といえばいいんですかね。


ただ最近の伊坂幸太郎は、「死神の精度」もそうだけど、ちょっと軽めな感じがするので、次はがっつりとした長編が読みたいなあ。

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アルテイシア「59番目のプロポーズ」

59banme

「電車男」のヒットで、2匹目のドジョウを狙って様々なブログなどが本になったけれど、mixi日記が元になったこれもその一つ。ってmixiやってる人なら説明不要ですね。

「電車男」と違って女性側の日記なので、ガンダムマニアでエロネタ大好きなキャリア美人と、格闘家オタクという組み合わせが抜群。「エロエロキャンディ」には笑わせていただきました。


映像化するとなると、山のように出てくるアニメネタの版権処理が大変そうだ。でもガンダム関係は絶対クリアさせないとやる意味はないっしょ。もちろんガンダムのSE(例:ニュータイプの眉間に稲妻とか)は全部使えるように。

主演のアルテイシア役はエロネタ満載で喋らないといけないけど、そういうので躊躇すると変に生臭くなるので、サラッと言える人でないといけませんね。

演出も、これで人間ドラマを描こうとしたら、重くなってつまんない。かといってドラマ版「電車男」だとありゃバラエティだしなあ。
そのバランスが取れていたのは奇跡の傑作「下妻物語」(監督:中島哲也)だけど、さてああいう技が出来る監督はそう多くないし。
ただし「59~」はセックスまであるわけだから、敵認定としては中島監督の最新作「嫌われ松子の一生」の方か?


ってオイラが監督する訳じゃないから、そんなことを悩む必要はないか。(爆)

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シンシア・カドハタ「七つの月」

floatingworld

怒濤の読書週間シリーズ。


日系アメリカ人三世の著者によるデビュー長編。原題は“The Floating World”。訳すると“うつろう世界”=浮世、ということか。
講談社から出ていたんだけど、品切れ状態だったので、古本屋をかけずり回って入手。


50年代アメリカ。日系人の少女オリヴィアは、仕事を求めてアメリカ各地を移動する生活をしていた。その12歳から21歳までの成長の中で、少女の目を通したこの世界のはかなくも切ない心の動きが描かれる。
リアリズム文学でもなく、前の章で12歳だと思ったら、次の章では7歳の頃の少女の話に戻ったり、話が主人公オリヴィアの心象風景の赴くままに、あっちへ行きこっちへ行き。物語の途中で祖母が亡くなるが、そのあとも少女の心象風景のなかで幾度となく祖母は登場し、あまつさえ死んでしまった実父さえも幽霊となって登場する。まさに浮き世の彼岸と此岸をいきつわたりつする不思議な物語。

映画化するとしたら誰かなあ?
少女時代だとしたら「SAYURI」でさゆりの少女時代を演じた大後寿々花ちゃんとかかな? でも21歳まであるし、キャスティングは結構大変そうだ。
上手く映像化できれば、不思議な味わいのある作品になりそう。


著者の第2作「きらきら」で2005年度ニューベリー賞を受賞したという。これも次に強化読書週間中に読む予定。

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谷崎光「中国てなもんや商社」

chinatenamonya

怒濤の読書週間。

谷崎光「中国てなもんや商社」。
著者の中国貿易商社での面白可笑しい経験談をまとめた爆笑ノンフィクション。中国の衣料工場に発注を出したら、納期遅れや不良品は当たり前。竜巻で工場が吹っ飛んだ、なんて言い訳がふつーに出てきてしまう国、それが中国。

「てなもんや商社」のタイトルで小林聡美主演、本木克英監督のデビュー作ともなった。原作に負けず劣らず爆笑の連続、快作コメディ映画でした。
今や「世界のケン・ワタナベ」となってしまった渡辺謙が、中国人の王課長を怪しくも好演してて、今後ああいう役はもうやってくれないのかしらんと、ふと一抹の寂しさが。

原作は90年代前半の状況で書かれた話だけに、さらに状況が変わった中国を舞台に続編ということにすれば、かなり面白い作品になるんだけどなあ。


著者はそのあとフリーライターとして活躍しているのだけれど、デビュー作の面白さがその後続いていないあたりが残念かも。

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五十嵐貴久「2005年のロケットボーイズ」

2005rocket

いろいろと事情があって、一日一冊ペースで読んでいかないと困る状況。

さて、今日はこれ。
五十嵐貴久の「2005年のロケットボーイズ」。
工業高校の落ちこぼれ学生がひょんなことから仲間を集めて人工衛星作りをすることになり、という、映画でいうと「ウォーターボーイズ」の理系版? ってもっと直接的に言って「ロボコン」で作るのがロボットから人工衛星に変わったわけですね。

「ロケットボーイズ」といいながら実際はキューブサットじゃん、と突っ込み入れたいのですが、後書きで著者自ら「「ロケットボーイズ」というタイトルは本来は「キューブサットボーイズ」「サテライトボーイズ」なんだけど、営業的に付けたタイトルなので……」とバラしてて、正直な人だなと。

ベタな笑いと、ベタな泣かせのクライマックスでホロッと来ますね。宇宙ものの青春小説だとスタンダード過ぎる内容かもしれないけど、そこはそれ。
この人の小説はデビュー作のホラー「リカ」、冒険小説「安政五年の大脱走」など、元ネタ映画がミエミエなほどわかりやすい内容ですし、読むと読みやすいので、サクッと楽しい読書にはもってこいかも。

これも、いかにも映画かドラマなりそうだよな、と思いながら読んでいたら、実際テレビ東京の深夜枠ドラマで今やってるらしい。
“らしい”というのは、テレ東のサイトを見てもドラマの公式ページもなくて、おいおいイマドキそんなのありかよ、と突っ込みたくなります。まあ本に責任ないけど。


キューブサットってなに? という方のために、東大のキューブサットプロジェクトページをリンクしておきます。

ちなみに、似たようなロケット青春小説・マンガ・映画には、
川端裕人「夏のロケット」
野尻抱介「ロケットガール」
あさりよしとお「なつのロケット」
ホーマー・ヒッカムJr「ロケットボーイズ」
「ロケットボーイズ」の映画化が「遠い空の向こうに」

あと織田裕二主演のドラマ「ロケット・ボーイ」なんてのもあったな。クドカン脚本。しかも織田裕二が倒れて、全12話予定が8話になっちゃった不遇なドラマ。全然理系じゃないけど結構好きだった。

てなところで。

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東野圭吾「容疑者Xの献身」

「このミステリがすごい!」第1位
「週刊文春ミステリーベスト10」第1位
「本格ミステリ・ベスト10」第1位

とDHCのCMかいな、というほど高評価の、東野圭吾「容疑者Xの献身」。読んでみました。
普通はベストテン1位だからという理由ではあんまり読まないのですが、もう一つ、作家二階堂黎人氏が「容疑者Xの献身」を本格ミステリではない、と自己のサイトで主張しているので、さてどんなもんなんだろう? と思って、読んでみたわけです。
(ことの顛末はこのサイトにまとめてあります)


花岡靖子・美里母娘は細々と暮らしていた。そこに別れた夫が、職場や自宅をかぎつけて現れた。アパートの部屋の中で諍いになり、弾みで殺してしまった花岡母娘。そこに隣にすむ高校の数学教師石神が現れた。殺人の隠蔽を手伝うと申し出てきた。
一方、草薙刑事はこの事件を、いつも相談している物理学者の湯川に持ちかける。湯川はこの事件に石神が関わっていると知り興味を持つ。湯川と石神は互いをライバルとした帝都大学の同期生だったのだ。


内容としてはタイガーマスクVSブラックタイガーというか、ゴジラVSメカゴジラといいますか。湯川VS石神の対決が見ものです。二階堂氏の「本格ミステリではない」という主張は、私のみるところボーダーラインスレスレではないでしょうか。
が、最後まで読んで、なんだか釈然としないものを思いました。なにかへんだなーと。あれ?


ああああああああああああああああああっ!!!!!
そうかっ! そっちがオチなのかっ!


さすがは「秘密」「変身」「白夜行」の東野圭吾です。アレを読んでセカチューコンビにドラマ主演させようと思う鈍感な感性では、真相の真相には気がつかないかもしれません。

ヒントは「なぜ石神は純愛でなければならなかったのか?」


迷探偵きよでした。


これ、今度の直木賞候補だけど、審査員の大半は、この作品の意味がわからないと思います。
だから賞は獲れないんではないでしょうか。もしくは誤解したまま賞を与えちゃうか。

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村井淳志「脚本家・橋本忍の世界」

読もう読もうと思っていたのだが、ようやく「脚本家・橋本忍の世界」(集英社新書刊、村井淳志著)を読む。

題名通り、日本映画の傑作映画の脚本をいくつも書いた橋本忍の解説書。もう少し簡単に言うと橋本忍脚本作品の紹介本。扱っている作品は「七人の侍」「羅生門」「真昼の暗黒」「私は貝になりたい」「切腹」「白い巨塔」「日本のいちばん長い日」「八甲田山」「砂の器」以上9作品。いずれも傑作。

この手の本なら脚本分析や作品感想などが常套手段と思うが、ここで著者が行うのは、それぞれの作品のモデルになった関係者への作品感想を聞くという方法。「真昼の暗黒」の主人公のモデルの人なんて、生きていたとはこれはビックリ。

でも一番の読みどころは「はじめに」から「序章」「第一章『七人の侍』は誰が書いたのか」。ここで、著者が橋本忍への興味を抱き、資料集め、本人へのアポとり、本人に会うまでが克明に書かれていて、なんだか橋本忍への真っ正直な敬意を感じて微笑ましい。なにせ「橋本忍 人とシナリオ」をどうやって入手するか、から著者は悩むのだ(絶版になっているので古書店で探すしかない)。

そうして書かれた「七人の侍」の脚本執筆の割合などは、大きく橋本忍寄りの見方を(当然)著者はするのだ。もちろん関係者で存命なのは今となっては橋本忍ただ一人な訳だから、勢いそうなるだろうが。(これは橋本氏本人がウソをついていると言っているのではなく、他の関係者への裏取りが事実上不可能であるということを指摘しているだけです)


ともかく「脚本家から見た日本映画ガイド」と思えば、貴重な試みだと思う。

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チャールズ・シェフィールド「マッカンドルー航宙記」

チャールズ・シェフィールドのハードSF短編集「マッカンドルー航宙記」の続編「太陽レンズの彼方に」が創元SF文庫で出たので、正編の「~航宙記」と続編「太陽レンズ~」をまとめて読みました。
出版社からの解説記事はこちら

天才物理学者マッカンドルー教授(好奇心は強いが日常生活には疎い奇人)と、そのパートナーの女宇宙船長ジーニー・ローカーのコンビが織り成すいかにもなハードSF短編集。カー・ニューマン・ブラックホールや様々な宇宙物理ガジェットをネタにしたちょっと頓知の利いた小ネタ集ですが、絵に描いたような奇矯な博士と女船長のコンビが愉快で楽しいです。 正編「~航宙記」は5作、続編「太陽レンズ~」には4作の短編が収録されています。
巻末に、作者自身の手になる解説集(どこまでが現代物理でどこからがSFか)がついていて、アシモフの科学ノンフィクション的な楽しさもあります。
残念なことに作者が2002年に死去されたそうなので、このシリーズも、文庫の正続あわせた9作の短編で終わってしまったのが、とても残念。誰かこのキャラで新作書いてくれないかしらん。

マッカンドルー教授って、私のビジュアルイメージだと「新スタートレック」のピカード艦長ことパトリック・スチュアートですね。(教授の頭は禿げてるって書いてあるし)

シェフィールドは、今年の正月にも長編「星ぼしに架ける橋」(ハヤカワSF文庫)を古本で見つけて読んだので、なぜか意図せずに自分の中でシェフィールドが来てます。
とはいえ、この「マッカンドルー」シリーズ以外は絶版だし、未訳だらけなので、もったいないなあ。

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「『デカルトの密室』は苦痛?」への返答

あるいは瀬名秀明論序説。

この日記でも幾度となくオススメしてきた瀬名秀明の長編SF「デカルトの密室」。
ところが実際読んだ友人や周囲から「難しい」「よく意味がわからない」だの言われまくる。ああ。
当然作者本人のところに同じような感想が届くわけで、わざわざ当人の9/16の日記に以下のようなことを書いてある。 (なお以下の文中、敬称を略します)

ただ、本人が「難しい」といわれる原因を、作中の視点位置のシャッフルに求めているのですが、それは違うような気がするので、ここに私なりの考えを書いておきます。

瀬名秀明作品にはいわゆる理系の専門用語が頻出するのですが、おそらくこれがSFの枠に収まる作家であったならその読者層もその壁を越えて読む人が多かっただろうに、「パラサイト・イヴ」でベストセラー作家としてデビューしてしまったゆえ、その読者もSFの読み手とばかりでない、一般読者(という書き方が正しいのかどうかわかりませんが、便宜上そう呼びます)も多く、いざ手に取ると「何が書いてるかわからない」ということになるのではないかと思います。

でも、そういう作品を連発して毎回ベストセラーを出している人といえば、海外では「アンドロメダ病原体」「ジュラシック・パーク」などで知られるマイケル・クライトンがいます。たしかにクライトンと瀬名は、経歴やノンジャンルでベストセラーを出しているということでも似ているようです。
しかし、クライトンの作品で(少なくとも私は)内容が難しくて理解できない、ということはありません。そこにクライトン作品のベストセラーの秘密があるのです。

クライトン作品は、いろいろ最先端の題材を取り扱っているように見えて、実際はものすごく古典的なプロットで成り立っています。「ジュラシック・パーク」も、DNAだのカオス理論だの出てきますが、それらの本当のところは読み飛ばしても、「恐竜が蘇って大暴れ。さあ主人公は生き残れるか!?」ということがわかっていればいいのです。「失われた黄金都市」も手話をするゴリラとかいかにもですが、そういうことをはぎ取ると、典型的な秘境冒険小説なのです。
クライトン作品における理系な題材は、いわばクリスマスツリーの飾りの部分であって、なくてもツリー部分はびくともしないほどに強固で立派なもみの木として存在しています。だから多少難しい解説部分は最初は読み飛ばしても、幹の部分を読み違えさえしなければ小説を読み通せます。その後で難しい部分を読み返すなりしても一向にかまわないのです。

クライトン作品がやたらに映画化されるのも、この幹部分を取り出してしまえば、あまりにもわかりやすい筋立てであるが故でしょう。その分、映像化されたものは幹だけになりすぎてて、映画版「ジュラシック・パーク」のキャラクターなんかペラペラなんでそれはそれでちょっと、と思いますが。


さて、肝心の瀬名作品はどうでしょう?
実はクライトンと似ているようで、その題材の扱い方が全然違うのです。クライトン作品における先端題材が、クリスマスツリーの飾りといいましたが、瀬名作品ではそれらは構造そのものとして成立しています。クリスマスツリーではなく、いわば串団子のように存在してます。串団子ですから、ストーリーという串に刺されていますから、順番に食べていかないといけないわけです。人工知能、チューリングテスト、フレーム問題……。しかも串団子ですから、最初の団子を食べないと次の団子に取りかかれないわけです。串からバラして好きな団子から取りかかるわけにはいかないのです。

クライトンと瀬名のどちらがいいとか悪いとかではなく、それはそれぞれの創作姿勢や根幹に関わることです。確かに両者にも長短があります。クライトン作品の場合、結局は先端題材が添え物になりやすいという問題があります。そのかわりに、読者が理解しきれなくてもストーリーは読み通しやすいという利点があるがあるわけです。
一方瀬名作品は、題材すなわちテーマに直結(何せ串団子の団子そのものですから)しているという利点があるので、理解さえ出来ればより高次元のテーマへと扱いやすいのかもしれません。ただし、理解でない場合、もしくは団子が口に合わないという読者にしてみれば、その時点で挫折してしまう可能性も大いに孕んでいます。

瀬名本人が「言葉の意味がわからないといった部分はほとんどないと思う」といいつつ読者の反応に戸惑っているのは、いわば「この団子一個一個は美味いはずだがなあ~」とぼやいている団子屋のオヤジさんと同じなのではないでしょうか。確かに一個一個の団子は美味くても一気に二つも三つも食べきれない、というお客もいるのではないでしょうか? もしくは「一個目が黄粉で二個目がチョコまぶしてあるんじゃ、食べられない」という団子だと思っているお客もいるのかもしれません。 (「デカルト~」がそうかはわかりませんが)

一気にほおばってのどを詰まらせるのではなく、ゆっくり一ヶ月ぐらいかけて少しずつ読み通してみてはいかがでしょう。そうすると「デカルトの密室」という団子は、なかなかの美味だと思うのですが。


(注 再度お断りしておきますが、作品としてクライトン作品と瀬名作品のどちらかの優劣や、「デカルトの密室」そのものを批判しているわけでも逆に必要以上に持ち上げている訳でもありません。また、クリスマスツリーや団子といったことも、話をわかりやすくするための比喩表現以上のものでも以下でもありません。あしからず)

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瀬名秀明「ゴッサマー・スカイ」連載中!

ちょっと情報出しが遅れてしまいました。

瀬名秀明さんの新作「ゴッサマー・スカイ The Which-hunter Hunt」週刊アスキーにて11/1号より連載が始まっています!
17世紀東イングランド。『魔女狩り人』狩りを行うという伝説の少女が主人公の小説です。
かなりスピード感のある作品になりそう。アニメ化とかいけそうか?
週刊アスキーだとコンビニでも買えるので、連載を追いかけるのが楽で助かります。

でも第一回を読み逃しちゃった! と言う人でも大丈夫。
e-NOVELSで11/1よりPDFファイルとして販売開始だそうです。しかも第一回、二回はただで読める!

というわけで、読むべし!

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プラネタリウムを作ろう

otonanokagaku
planet1
planet2

学研「大人の科学マガジン」9月号は、約10000個の星が投影できるピンホール式プラネタリウムが付録についた、星と宇宙の大特集。

さっそく作ってみました。
組み立てには大人だと2時間弱といったところでしょうか。

組み立てにはちょっとコツがあって、恒星原板(写真2の正十二面体のところ)を折り曲げて貼り合わせるのですが、折る際に、折るラインのところを(定規などを当てて)カッターナイフの背などで折り目を付ける(刃を当てると切れますからね)と、奇麗に折り曲げられます。

出来上がったら、点灯。おおっ! 6畳間とかなら星でいっぱいになりますよ!

ちょっと前に発売されて話題になったHOMESTARは、やはり10000個の星空を部屋の天井などに投影して楽しむ(モーターで日周運動もする)のですが、ちょっと部屋を星でいっぱいにしたい、とお思いであれば、この2200円で買える「大人の科学」を買われることをオススメします。断然コストパフォーマンスがいいです。


買うべし!

しかしなんですね、このところ歌の題材になったりプラネタリウムブームですかね、やっぱり。


(写真1)「大人の科学マガジン」9月号
(写真2)組み立てたピンホール式プラネタリウム
(写真3)プラネタリウムを点灯してみたところ

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重松清「その日のまえに」

ただいまベストセラー驀進中の重松清「その日のまえに」

私だって、宇宙人とか怪物とか奇矯な名探偵とか奇想天外な殺人事件なんかない小説も読むのだよ。たまには。


簡単に紹介すると、死に直面した人々の人生模様を描いた連作短編集。全部で七つの短編ですが、後半三つが同じ登場人物の物語で、一気に修練させていく技はさすがの手練れ。

重松清を最初に読んだのは小説ではなくてエッセイのどれか(ゴーストライターもやっていたというから本当はもっと違う形で読んでいたかもしれないが)だったのだけれど、あまりの上手さにビックリしたことがある。


あまりにも上手く、技巧的にパズルのピースがパチンとハマっていくのが「おお、見事だなあ」なんて感心したりして。泣く泣かない以前に作者の名人芸を堪能しました、という気持ちになる。
だからわたしが小説家志望だったら格好のテキストとして勉強しちゃうんだけど、一読者としては、好みの部分ではないというか。

実は私は宮部みゆきとか横山秀夫とかまるっきりダメで、たまに読むんだけど、ああ上手いなー、でもオレが読まなきゃって気がしないんですよ。
上手いし感心するし、でもオレが読んで感動しなくても、他の人が読んで感動してるじゃないの、そこにわざわざ私が読んで何かを語る必要はないでしょ、って気持ちですね。要するにへそ曲がり。

だから、私の好きな小説とかって、「オレが褒めなきゃ誰も褒めないからさー」なんて暴走気味に絶賛するので、割合からするとあんまり売れないものが多いなあ……。
ううううううむ。

とにかくフツーに小説を読んで感動したい向きにはこれはオススメ。「シンデレラマン」並みに外れなし。

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デカルトの密室

『これってジャズ?』


「虹の天象儀」を書いていただいた、瀬名秀明さんの「八月の博物館」から5年ぶりの長編新刊『デカルトの密室』。ついに出ました!

ロボット工学者尾形祐輔は、メルボルンで開催されている人工知能コンテストに参加していた。そこで出逢ったのは、かつて死んだと言われていた天才フランシーヌ・オハラその人だった。フランシーヌは尾形に、どれだけ人工知能が人間的かを判定するチューリング・テストを逆手に取った、どちらがより「機械らしいか」を判定する逆チューリング・テストを挑んできた。しかしそれが、ユウスケ、助手のレナ、そしてユウスケが作り出した子供ロボット・ケンイチを巻き込んだ殺人事件に発展するとは、神ならぬ祐輔には知るよしもなかった……。


最高傑作!

実は今作品は、ユウスケ、レナ、ケンイチの三人の主人公が織りなすロボットSFミステリシリーズの続編という形を取っている。シリーズ第一作である中編「メンツェルのチェスプレーヤー」は、カッパノベルズの島田荘司編「21世紀本格」に収録されている。さらなるシリーズ「モノー博士の島」も雑誌発表済み。予定では劇中で表明されている「ボンド氏の逆説」と中編集として出る予定らしい。
ロボットSFミステリというと、なんといってもアシモフの「鋼鉄都市」のシリーズが有名だが、どちらかというと「鋼鉄都市」がSFのルールを利用したミステリであるのに対し、このシリーズはミステリの枠組みを利用したSF、と言う方が近いと思う。
「デカルトの密室」というのがいかなる比喩表現なのか? と思って読み進めると、そうではなくて、まさしく「デカルトの密室」についての哲学・論理・倫理・ミステリSFなのだ!

デカルトの「方法序説」に提起された<私>の問題、そこにロボット開発におけるフレーム問題と、エラリー・クイーンのミステリにおけるいわゆる「後期クイーン問題」などが重ね合わされ、メタフィクショナルな手法も相まって……え? なんだか意味がわかんない? うーむ、実は私もよくわかってない。(爆)
強いて近い作品をあげるなら、森博嗣の「すべてがFになる」+笠井潔の傑作思索ミステリ「サマーアポカリプス」かな?

てなことを書くとやたら難しいのか? と思われがちですが、読んでる間はそうでもなくて、主人公達、とくに子供ロボット・ケンイチのけなげさに萌えるもよし、敵役との思想バトルにスリリングを味わうも良しです。
このあたりはミステリという形式を選んだことが、読者にとって読みやすさを与えたのではないかと思います。

前半の逆チューリング・テストが、こんなにサスペンスフルなものになるとは、というのと、第二部のクライマックスのケンイチの台詞にグッときましたよ。

敵の論理の先鋭さに対して、祐輔達の結論がすこぶる素朴なものになっているのは、きっとシリーズが続いていく形でどのように変化していくのか(いかないのか)、楽しみです。

デビュー作「パライサイト・イヴ」からこれまでの作品の集大成とも言えるし、その新たなスタートラインの宣言とも言えます。
実は「虹の天象儀」でなんで織田作を必要としたのか、これを読んで改めてちょっと解ったような気がします。


読んでいくうちでどうしても難しいと思う方は、第一作「メンツェルのチェスプレーヤー」とデカルト「方法序説」(岩波文庫など)を読んでおいてもいいでしょう。
またSFマガジン2005年10月号に瀬名さんのインタビュウが載っております。出来れば読了後に読んで、再読されるとより理解が深まるかも。


おそらく、今作はSF系の今年度ベストテン上位になることは間違いなし。

読むべし!

ドゥーダ、ドゥーダ、ドゥーダ。

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スピルバーグ 宇宙と戦争の間

今回紹介するのは、スピルバーグの評論本。
BAMBOO MOOKクリエイターズ・ファイル「スピルバーグ 宇宙(ファンタジー)と戦争(リアル)の間(はざま)」(括弧内はルビ)。竹書房刊。

このタイミングで出ているので「宇宙戦争」評が乗っているかなと思ったけど、公開直前まで試写がなくて、オマケに試写も公開まで内容が書けなかったから、やっぱり「宇宙戦争」評は載ってないのが残念。
巻頭の柳下毅一郎と中原昌也の対談が、ユルユルなほとんどオフ会の飲み話レベル。いや、それはそれで面白いんだけど、あちこち間違いが多すぎて、校正をもうちょっとちゃんとして欲しいなと。

個人的に一番面白かったのは、一番最後に収録されている西本直人氏の「『アミスタッド』に学ぶ物語力」で、タイトルこそ『アミスタッド』評のフリして、実際は物語力と論理についての論考であって、全然関係ないところが(申し訳程度に作品評がついているけど)読んでいて面白い。

さて、これ以降は雑感。
自分でも学生時代からスピルバーグ論の構想を立てていて、それは「E.T.」以前以後に分けていて、「E.T.」で子供時代の決別と、それ以降の作品は父となるための試練の物語という側面を持つようになり、その始まりが「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」で、あれで捕らわれた子ども達を救うインディという、代理父としての試練が始まるのですよ。
それ以降の主人公は、「フック」で童心を失ったピーターパンも、「シンドラーのリスト」のユダヤ人の保護者となるシンドラーも、「プライベート・ライアン」で最後の生き残りの息子ライアンを母の元に送り返すミラー大尉も、「アミスタッド」に至っては偉大なる国家の父たる大統領が黒人捕虜の人権を取り戻すことで父への復権を目指す物語と読めるわけですよ。
一応「宇宙戦争」だってダメ父トムが、異星人襲来のサバイバルを通して子ども達を守り抜く(守り抜いてないけど)話にはなっているわけですし。
ばっちりじゃん! >オレ

と思っていたら、アレが出てきたんですよ。

そう、「A.I.」。
スピルバーグが珍しく自分でシナリオを書いたというこの作品、キューブリックの遺稿が原案にあるとはいえ、観てみたらあまりに寒い展開と、全編を覆う体内回帰願望(と言ってしまうのがマズければ、母の愛を求める一途な物語)が、当時これを観て劇場を出てきた私の頭の中は「何じゃこりゃ!」と松田優作のごとく叫びたくなったわけですよ。面白いとかつまんないとかいう問題を飛び越えて、21世紀になってなんでスピルバーグはこんな作品を作ったんだ!? とメチャメチャ謎な作品。
一応DVDも持ってるんだけど、観てないなあ。実際、劇場で一回観たきりなんだけど。

でもスピルバーグの力の入れようから言ったら、近作のどの作品より力入っているし(例えば「ターミナル」なんてデカいセットを建てておきながら、中身は寅さんの併映作みたいな人情喜劇だよ。なんであんたがこれを撮る必要が……ブツブツ)そーとーにやりたかった作品なんだろうなということはわかるんだけどね。


だから「あんたの本質は結局これかよ!」と言いたければ絶好のフィルムですよ。学生の卒論でスピルバーグ論がやりたければ、是非とも「A.I.」に挑戦することをお薦めしますね。

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半島を出よ

ようやく読了した、村上龍「半島を出よ」。読むのに今週いっぱい、実質は4日間ぐらいかかったなあ。


2011年、プロ野球開幕戦の行われている福岡ドームに、北朝鮮反乱軍を名乗る9人の特殊部隊が占拠する。その後後続部隊五百名を合わせ、高麗遠征軍を名乗った彼らは、福岡県知事、福岡市長に福岡独立の声明を発表させる。日本政府は対応が遅れ、結局福岡封鎖を決行する。
自衛隊も警察も当てに出来ない状況で、あるグループが北朝鮮から来た「敵」と戦うことを決意する……。


ある時から、村上龍という人はとても勤勉で真面目なんだと思うようになった。時代に合わせて作品を提供し、ちゃんとヒットを飛ばせるというのは、才能だけでは駄目で、そう、テロリストのような厳しく激しい努力の末に獲得したものなのだ。

さて、この小説は我がふるさと福岡が舞台だけあって、舞台の一つ一つが手に取るようにわかる、というか福岡ドーム周辺はこの間も帰省したときに歩いたので、まざまざとリアルに画を思い浮かべながら読んでしまった。

北朝鮮の特殊部隊が福岡を占拠したとき、日本政府は戦うことをしないで福岡を封鎖してしまう。この展開は現実に起きたらやっぱりそうだろうな、と感じてしまう。実際に政府もマスコミも、東京、より限定していえば二十三区以外は日本扱いしないよな、と思う事がしばしばある。
台風一つとっても、東京を直撃するかしないかでニュースの扱いが違う。そしてただいたずらに騒ぐだけなのだ。
この東京への憧れと憎悪は地方から出てきた人間なら大なり小なり理解いただけると思う。

銃を持って自分たちを殺す気満々な人間がいたとして、そんな相手に世界平和を訴えても役には立たない。そのときは相手に殺される前に殺すか、殺さずとも相手が戦えないようにしてしまうか、どちらかしかない。そのために必要なのは「決断する」ということなのだ。でも今の日本では「決断」は絶対に出来ない。決断するとそこには失敗するリスクがあるからだ。

最近憲法改正論議がにぎわっていて、一方の人たちは9条を改正して自衛権を認めようとしているし、一方では軍国化だと反対する。
でも個人的に思うのは、改正できても実際は何も出来ないだろう。右の人でも左の人でも「決断」が出来ないからだ。北朝鮮がアブなさそうだからとお金をかけて偵察衛星を打ち上げても、じゃあ実際に我々を殺しに来たらその前に戦う決断が出来るか? 絶対に出来ない。

「そうなのだ。昔の日本はちゃんと決断して戦う意識を持っていた」なんて、アホなおっちゃんは言うかもしれない。でもそれも違う。子供の頃、どーみてもかつての太平洋戦争はバカとしかいいようのない拡大路線を進んだのは何でだろう? と疑問だったが、ある時にわかった。止める「決断」が出来ないからだ。一旦戦争を始めたら、とめどもなく北も南も戦線を拡大していっただけなのだ。戦争に負けて武装を解除されたら、今度はひたすら戦争はいけない、いけないことだから悪い。だからやらない、そこで思考が停止しているだけなのだ。
やる決断を出来るようになるためには止める決断も出来ないといけない。結局どちらも出来ないのだ。

先日のJR福知山線の事故も、ある時から宴会に行ったの行かないのばかりが騒がれて、結局事故そのものの問題点は隅に追いやられてしまった。なぜか?
事故原因を分析し、対処するには正しい情報分析と判断が必要だ。でもそれは忍耐と現実を直視しないといけない。でもそれに耐えられないのだ。だから枝葉末節な宴会がどうしたという目につくところだけをあげつらって、本筋から目をそらしているに過ぎない。

この「半島を出よ」は、戯画化されてはいるが、政府や日本人の行動は実際そうなるだろうな、と思う展開にうなずかざるを得ない。
先日の福岡での地震のときの、地元と東京の乖離具合に、この小説のリアリティを二重に感じてしまった。


とはいえ、村上龍を読んでなくても、まあそこそこ良くできたシミュレーション小説として読んでも楽しいと思います。ファンなら実は「あの」続編というところに読まざるを得ないでしょう。

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山田洋次・作品クロニクル

ぴあが出した山田洋次監督の全作品(「二階の他人」から「隠し剣 鬼の爪」まで)紹介と、山田洋次ロングインタビューを網羅した、今後山田洋次研究の基礎資料になるであろう大著『山田洋次・作品クロニクル』。
版型から考えて、ヒッチコック「映画術」とかを意識していると思う。
3800円もするので誰でもとは言わないが、ファンは買うべし。

名前を聞けば誰もが知っている監督でありながら、不思議なくらい評論対象として扱われることが少ない山田洋次監督ですが、同世代の監督が鬼籍に入る中、「たそがれ清兵衛」がアカデミー賞にノミネートされたこともあって、どうやら再評価の気運が高まってきたと言えるのかもしれない。

巻末の脚本リストは助かるなあ。これ調べようとして、あまりの量に挫折したのよね。

しかし、何が不満って、執筆陣が佐藤忠男、川本三郎、吉村秀夫の過去山田作品を評論してきたメンバーが中心。
「山田洋次の<世界>」を出した切通理作さんが入ったぐらいで、もっと他にいないのか? 執筆メンバーの平均年齢高すぎるわ。

要するにだなあ~、なぜ私を呼ばんのだ!(笑)

年齢から考えて、山田洋次監督の作品が80本に到達できるか(「隠し剣~」が76本目)どうかはわからない。でもこれまでのイデオロギーに偏ったものではない、新しい評価軸を打ち出しておく必要があると思う。


でも「山田洋次作品って好きなんですか?」「山田洋次ファンなんですよね」と訊かれると、「違います」と答えてしまうへそ曲がりな私。(爆)
そこいらへんの屈折した感情を書き出すとメチャメチャ長くなるので、それについては機会を改めて。

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このミステリがすごい!

毎年買っている「このミステリがすごい!」2005年版が出たので買う。
国内ミステリ1位が法月綸太郎「生首に聞いてみろ」。ええっ?!

今年は法月さんや綾辻さん「暗黒館の殺人」といった新本格第一期の皆さんの、久々のシリーズ長編が出たし、ベストテンには間に合わなかったが、馳星周「長根歌 不夜城完結編」、原寮「愚か者死すべし」などもでて「お久しぶりー」なわけですが。

ただ「生首~」の1位というのはちょっとどうかな? と思う。去年の歌野晶午「葉桜の季節に君を想うということ」は文句なしなんだけど、「生首」は法月さんならこれぐらいは書けるでしょ、って思うのは期待のかけすぎかな?
綾辻さんの「暗黒館」も、館シリーズ総集編のおもむきなので、ベストにするというより、久々の長編に対するご祝儀ぽい。

「愚か者死すべし」はハードボイルドだけど、原寮は大好きなので、この年末年始のお楽しみに読む予定。

あ、そうそう。来年は「私の隠し玉」で瀬名秀明さんが書いていた「大空のドロテ」「ダイヤモンド・シーカーズ」「デカルトの密室」の長編三連発、期待してまっせ!

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ロボット学創成

「岩波講座1ロボット学 ロボット学創成」(岩波書店 井上博允/金出武雄/安西祐一郎/瀬名秀明共著)読了。

全7巻の岩波講座「ロボット学」の第1巻。かの有名なSF作家アイザック・アシモフ(というフレーズも一般化しちゃったな)が自作のロボットSFの中で使った“robotics”という単語は、これまで「ロボット工学」と訳され、研究テーマにされてきた。
21世紀を迎えてホンダのASIMOやソニーのQRIOのような、現実に目に触れる人型ロボットが誕生した今、もう一度、というよりいよいよ人間とロボットの関わりを考える総合学問として「ロボット学」を提唱し、そのテキストとして執筆された力作。

前半の章はこれまでのロボットの歴史のおさらいをしつつ、「そもそもロボットとはなにか?」を再定義。
圧巻は瀬名秀明氏による5章の「ロボット共存社会とヒューマニティ」。これまで「ロボット21世紀」(文春新書)、「あしたのロボット」(文藝春秋)、「ロボットオペラ」(光文社)で書き続けてきた氏のロボット論の集大成と言える。(共著となっているが、この5章だけで全体の半分の量がある)

白眉は「5.4ロボット学の新たな実装」で、話はデカルトやウィトゲンシュタインまで広がり、「ロボットとは何か?」を問うことは結果「人間とは何か?」を問うことと同義となる。いわばアシモフの傑作SF「バイセンテニアル・マン」(『アンドリューNDR114』のタイトルで映画化)をいよいよ絵空事ではなく物語る時代の始まりに来たのではないだろうか。

「宇宙生物学」という分野があって、これはおおざっぱに言えば「地球外生命についての学問」と言えばいいのだが、ちょっと前まで「へー、宇宙人探すの?」とまあイロモノ扱いされてきた。ところが「地球外生命とは何か?」を考えるためには「じゃあ地球の生命って何?」という問いに正面から向き合わざるを得なくなり、結果個々の生物学を網羅した総合学として成長している。

同様に「ロボット工学」と言っている間は「じゃあアトム作ってるんだ」で話が終わる。結果「いつまで経ってもアトムや鉄人は出来ないじゃん」になってしまう。これはそこから先に向かうための総合学問としての「ロボット学」なのだ。

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電車男はネット羊の夢を見るか?

巷で話題の本「電車男」
知らない人のために説明しておくと、巨大な掲示板“2ちゃんねる”の独身板(独身男性専門掲示板)に書き込まれた投稿からはじまった話です。
いわゆるもてないクンがひょんなことから女性と知り合い、それはいいのだが女性と付き合ったことのない彼はどうしたらいいかわからない。そこで2ちゃんねるに書き込んでみんなのアドバイスを求めたというわけ。
それから怒涛の展開を見せるのですが、それは後に内容がまとめられ(前述の「電車男」のところをクリックしてください)、ネットでは誰でも読めるようになっていたのです。
どうやらそれを読んだ出版社からオファーが相次ぎ、なんと新潮社から出版されてしまいました。
しかもしかも、発売10日で23万部突破の勢いを見せなんとなんと映画化(!)のオファーが殺到しているとか。いやはや大変なことになってます。

肝心の本の中身は、掲示板の内容をそのまま載せているのですが、これはこれで大変な苦労があったようで。
しかしどこまで行くのか電車男、気になります。

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いまさら「デスノート」にハマる

日頃オタクに思われている割に、最近のマンガは全然知りません。「ハガレン」ってなんのことか知らなかったし。このあたりお子さんをお持ちのお父さんお母さんの方が絶対詳しいです。

「ヒカルの碁」の小畑健が週刊少年ジャンプで連載中の「デスノート」も実は今日本屋さんで立ち読みして知りました。即決で3巻まで買ってむさぼるように読む。


おもしれーーーーーーーーーーーーーーー!!!


ホントにこんな本格サイコサスペンスがジャンプで連載中なんですか? 素晴らしい!! マジヤバいじゃん!(←うわっ、キモっ!)


死神の持つデスノートに名前を書かれたものは死んでしまう。それを手にした高校生の夜神月(ライト)は、これを使って犯罪者を次々に殺害する。謎の連続殺人事件に手をこまねく警察は、一人の謎の名探偵“L”の手を借りて捜査に乗り出す。やがてライトとLの丁々発止の対決となっていく。最後に勝つのはどちらだ!?

いやあ、この殺伐とした時代に(ファンタジーな設定とはいえ)高校生が連続殺人を犯すなんて企画、よくやりますわねえ。しかもバリバリのサスペンスですよ、奥さん!


て、今更こんなことを書いてるぐらいだから、いかに最近のマンガとかに疎いかおわかりでしょう。これでもう私をオタクと呼ばないよーに。(爆)

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山田洋次の<世界>

評論家切通理作氏による「山田洋次の<世界>」(ちくま新書)が発売されました。
切通氏は「怪獣使いと少年」など、主に特撮系の評論を手がけられたのですが、今回は巨匠山田洋次に挑戦です。
拙文「山田洋次の軌跡」も引用されています。ありがたや。ただし引用部分はFILMDAYS内にまだアップしていませんので、近日中にアップさせたいと思います。

切通氏は1964年生まれ。これまで山田洋次評論を手がけれられた諸先生からすれば、ぐっと同世代に近づいてきました。同世代的なものの見方として共感するところ多々アリです。

新書コーナーで見かけられたら、是非お手にとってみてくださいまし。

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負け犬の遠吠え

諸般の事情により(理由を説明すると長くなるので省略)、酒井順子の『負け犬の遠吠え』を今更ながら読む。

いわゆるちまたで使われている「負け犬」と、ここで書かれているものとの相違に「ははあ」と思わされる。
酒井氏独特の視点で己の状況をあっけらかーんと「あたしゃ負け犬」と書いてある分には楽しく読めるんですがね、これがあーた、娘を都会に出したらもう三十路を越えちゃって、いったいどうしたらいいのかしらん、などと我が子の行く末心配するおっかさんが手を出しちゃあまずいでしょう。そこにはシャレもユーモアもウィットもございませんです。

しかし男の負け犬には手厳しい。オタクかめんどくさがり屋か男尊女卑野郎か単なる駄目野郎か。あーうー。


いわゆる勝ち犬の大ボスに緒方貞子(いいとこのお嬢様で立派なダンナがいて子供も育て、誰にもかなわないキャリアもある)つーのも……。こっちの貞子はつーよいぞー。

ちなみに負け犬の大ボスが……か、書けませぬ。それを知りたい方は読んでみてくださいませ。

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神か、悪魔か、綾辻行人

前作『黒猫館の殺人』からなんと12年、綾辻行人待望の「館」シリーズ最新刊、『暗黒館の殺人』がついに刊行されました!

この「館」シリーズ、中村青司という奇矯な建築家が建てた様々な「館」で起きる殺人事件のシリーズ。
探偵役も島田潔という素人探偵と河南孝明という学生(シリーズスタート時)が出てくるものの、本当の主役はまさに館そのもの、なのです。

これまで『十角館の殺人』『水車館の殺人』『迷路館の殺人』『人形館の殺人』『時計館の殺人』『黒猫館の殺人』と6作出ていました。全10作になるらしいのですが、冒頭に書いたとおり、『黒猫館~』の次がずっと出ないままでした。

学生時代に『十角館~』を読んで衝撃をうけ、次々とシリーズ作品を読んでいたものの、次はまだかと待っていたら、そうかあれから12年かあ~。

って私ゃ学生だったんじゃん!


『暗黒館の殺人』はある意味シリーズ集大成な2500枚、ノベルズ判上下巻の超大作になりました。
二晩徹夜で読みましたが、久々の綾辻節を堪能させてもらいました。


「神か、悪魔か、綾辻行人」とは『時計館の殺人』の帯コピー。いやはや懐かしい。

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新刊続々!

な、なんと恐ろしい。

「ハリー・ポッター」の新刊が9/1に出たかと思うと、その後も続々と、村上春樹、綾辻行人、歌野晶午、法月綸太郎とどなたも大好きな作家が、片っ端から久々の新刊を出すというではありませんか!
金もそうだが、そんなに読みきれるか!(爆)
てゆーか、もうちょっとバラけろよ!

と、お嘆きのかたは少なくないはずだ。


あ、「ダ・ヴィンチ・コード」まだ読んでません。(^^;;;

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過去の自分に会ってみる

先日本屋さんで見かけた写真集。

大谷全彦さんという方のポストカードブック形式の写真集『タイムスリップ』。これ、どういう写真かというと、過去の自分の写真に、現在の自分の画像をデジタル合成したもの。表紙は一見すると70年の大阪万博で撮った青年と少年の記念写真に見えますが、どちらも本人。
わざわざわかるように今の自分は現代のカメラを首からぶら下げているわけですね。

考えてみれば、こんなことはフォトショップがあれば誰でも出来るはずなんですが、それをやった人の勝ちですね。

見ていると、本当に本人がタイムスリップして撮影してきたような、不思議な感覚になります。


本の案内はこちら。ギャラリーで出してるみたいです。

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最恐ホラー大全【邦画編】

今回は宣伝。
私の知り合いが多く執筆している「最恐ホラー大全【邦画編】」、全国書店にて絶賛発売中です。

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日本映画の怪談映画、ホラー映画の黎明期から最新作までの99本が紹介。
特に数々の日本映画史に名を残した名作をものにした石川義寛監督(『怪猫お玉が池』)、石井輝男監督(『恐怖奇形人間』『地獄』)、山本迪夫監督(『血を吸うシリーズ』)、鶴田法男監督(『リング0』)などのインタビューは貴重です。

なんで紹介作品が99本というのは、わかりますよね?
最後の1本はあなたが選んでください。

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ものを作るって……

『虹の天象儀』をプロデュースしてから、プロデューサーって何やるんだろう? ということがちょっとだけわかったり、はたまたなおさらわかんなくなったりして。

そこで最近読んだ本2冊。

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一冊目は『映画プロデューサーが語るヒットの哲学』(原正人 構成:本間寛子 日経BP社)。
日本ヘラルド映画の宣伝プロデューサーとしてかつて『エマニュエル夫人』『地獄の黙示録』をヒットさせ、製作として『戦場のメリークリスマス』『乱』『リング』『失楽園』などを手がけた日本映画界の重鎮です。
70歳を超えて、語りおろしでまとまったのが本書。そこには軽い語り口でありながら、数々の現場で起きた修羅場をくぐり抜けた人のすごみを感じます。
一番「なるほど」と感銘を受けたのは、黒澤明監督『乱』をプロデュースしたとき、70歳を超えた世界の巨匠を相手に奮闘する50歳の若造(!)原プロデューサーが得た、「監督とプロデューサーは年齢差10歳以内がいい。それもプロデューサーが年長なほうがいい」という結論。たしかに「世界のクロサワ」の周りには手練れの黒澤組スタッフがいて、そんなところに「プロデューサーです」って入っていっても、茶坊主扱いされるでしょう。
おまけに巨匠とはいえ相手は70歳の老人です。意欲はものすごくあっても全盛期の体力がないわけだから、撮影が遅れていっても仕方ない、となります。
『乱』は結果的にお金をかけた割にヒットせず、失敗作(あくまで興行面でね)になってしまいますが、この部分だけでも読む価値ありです。

二冊目は『田尻智 ポケモンを作った男』(宮昌太朗 田尻智 太田出版)。
これは題名でわかるとおり、ゲームボーイの『ポケットモンスター』を作ったゲームフリーク社長田尻智氏のインタビュー集です。
田尻さんはかなり昔から知っていて、というか、ゲーセンで『ゼビウス』が流行っていた頃(もう20年ぐらい前か)、その名も「ゲームフリーク」というゲーム攻略同人誌があって、「ゼビウス1000万点への解法」とかが当時のゲーム少年では伝説化して語られていたのです。本人には会ったことはないですけど。
その後、自分でゲーム製作会社ゲームフリークを起こし、『ポケモン』で大ヒットしたとき、「へー、あの田尻さんが」と思ったことがあります。
この本も、ゲームに出会ってから同人誌を作り、会社を興して『ポケモン』をヒットさせ現在に至るまでが語られますが、いわゆる「オタク」のはしりだった人がいかにして大人になっていくかを知ることが出来ます。
最初はただゲームが好きだから金のことを考えずに突っ走っていったら、会社としてやっていくにはそれでは駄目で、社会人として求められることを果たすには何を取り何を捨てるかを選択させられるには、やはりどこでも同じような大変さがあるんだな、と思います。

二冊とも、去年読んでいたら「ふーんそうなんだ」と思っただけでしょうが、一つものを作り上げてからだと「ああ、やっぱり同じように考えるんだ」とか「あ、その手があるんだ」とか実感を込めて感じます。

ここで『虹の天象儀』で制作中に何を自分が考えていたかを語るのは差し控えますが、ものを作る人として先輩の貴重な意見を聞いたと思います。

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号泣する準備は出来てます

ベストセラー嫌いで通しているんですが、最近色々なしがらみもありまして読まなきゃいけない本ばかりを読んでいると、頭から煙が出てきまして(笑)、気分転換のつもりで「世界の中心で、愛をさけぶ」を手にしてしまいました。

あ、泣くわこれ。(;_;)

「21世紀に白血病で彼女が死ぬ話? ケッ!」とか思っていたんですが、読んで納得。だれもが経験するような世界で、ちょうどいいくらいに隙間のある話なので、読んでいるうちに脳内補完されて自分の朔太郎とアキになるようになっています。思わずクライマックスでほろりと来ました。

この間『CASSHERN』を観たら、もう1カット1カット密度の濃い世界が展開するんですが、おかげでもう観ているうちにアップアップで息苦しいんです。『ロード・オブ・ザ・リング』だってかなり密度は濃いんですが、それでも緩急がついているだけまだいいんですが。『CASSHERN』はもう急急急で、きっつー!

『世界の~』はその逆で適度な情報の抜き具合が心地いいんですね。

映画もいよいよ公開。観たら感想書きます。

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博士の愛した数式

なぜですかねえ、個人的にゃGWって感じがどこにもしないのは。

最近読んだ本。
小川洋子さんの「博士の愛した数式」。家政婦の主人公が新しく担当した主人は、記憶が80分しか持たない年老いた元数学教授。毎朝挨拶するたびに名を名乗ることからはじめないといけない。“博士”と主人公が呼ぶその老人は服のあちこちにメモ用紙を貼り付け、記憶代わりにしていた。あるとき主人公の息子を呼ぶように博士から言われ、老人の家に連れてくると、息子の頭の形が平らなのでその形に似せて、彼を“√”と呼んで博士は可愛がるようになる。三人の擬似家族のように楽しい日々は過ぎていったが、あるとき……。

「経理隊背中」(←ハハハ。打ち間違えたらこうでてきた)じゃない、「蹴りたい背中」とか「世界の中心で愛を叫ぶ」とか派手な売れ方ではないようですが、これもヒットしています。
恋愛小説とは違いますがじわっとくる悲しみとかさすがです。小川洋子上手いなあ~。

GW中に読書もいかがでしょうか?

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写真学生

出張途中に移動する中で、たまたま「写真学生」(著:小林紀晴)という小説を買って読む。思わず泣きたくなるようなこみ上げる思いに駆られました。
著者の小林紀晴さんは写真家なんですが、その自身の東京工芸大写真科時代の青春期を描いた小説です。
長野の田舎から写真家になろうと思って上京するも、東京はあまりに広く右も左もわからない。そんな中いろんな友人達との出会いと通して夢を語り、でも何者でもない自分に不安を抱いたり。

そう、自分もそうだったんだと思い出しました。自分の場合は写真学生じゃなくて映画学生でしたけど。
やっぱり田舎から出てきて不安の中で、夢しか語るものがなかった時代があったなあと。

小林さんは1968年生まれですから自分より3歳年上ですが、その時代の感じはよくわかります。その時代はバブル真っ盛りで、でも写真をやろうなんて思っている学生にはなんの関係もなかったわけで。自分の時はバブルが目の前ではじけちゃって、やっぱり映画をやろうなんて学生には社会に出るには狭い門戸がなおのこと狭くなっただけでした。(時々、「松竹とか東映とか入ろうと思わなかったんですか?」て訊かれるんですが、当時も今もそんな大手の映画会社は新卒採用なんかしてなかったんですよ。だから学生時代に一度大船撮影所に見学に行ったとき、そこで働いている人たちがまぶしくてまぶしくて……)
そう、この「写真学生」という小説はほとんど他人事でない、やっぱり同じようなことを夢見た若者の物語だと思います。

話はちょっとずれますが、「虹の天象儀」が公開初日を迎えて、仙台から東京に戻りながら、「ああ、ちょっと田舎に帰ってゆっくりしたいな。もう許してもらえるだろう」と思いました。「田舎に帰ろう」なんて思ったのは上京してから十数年、実は初めてなのです。(いや、ちゃんと盆と正月は帰省してましたよ)
そう、上京したときに何かしら「自分の作品」を世に出さないと、おめおめと田舎に帰るわけにはいかないだろう、と当時二十歳前の自分は思っていたのでしょう。
今回の「虹の天象儀」は多くの人の助けを借りながら、「これをやりました」と言えるものになったと実感できました。
だからパンパンに夢だけ抱えた十数年前の自分も許してくれるだろうってね。そんなことをふと思いました。

そんなこんなを思わせてくれた「写真学生」という小説はなかなかのオススメです。
集英社文庫で発売中です。

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